作品解説

第39回東京国際映画祭の「ユース」部門に出品されたギリシャ映画。「ムーン、66の問い」で監督デビューしたジャクリーン・レンジュの長編2作品目になります。
今作はヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門にて「最優秀監督賞」を受賞。
- 監督: ジャクリーン・レンジュ
- 出演: エヴィタ・アンドリオプル
〜あらすじ〜
ギリシャに住む15歳の高校生ジョーは、朝寝坊して母と喧嘩し学校へ。
いつものように友達と遊び過ごす学校生活で、音楽の授業で歌を発表したフェドラに強く惹かれる。
彼女を追いかけて図書館に行ったジョーは、フェドラと仲良くなり夜に一緒に会うことを約束。
学校から帰ると仲間たちと街へ繰り出すが、、、
感想レビュー/考察

東京国際映画祭のユース部門は個人的に毎年ちゃんと何本か見ようとしているカテゴリです。
結構昔ですけど、アイラ・サックス監督の「リトル・メン」にも出会えましたし、他にも去年は「マッドビルズ・トゥ・ペイ」とかがありました。
今年この作品には衝撃を受け、感想を残そうと思ったので、こちらギリシャからの「ジョーの一日:フェドラ編」の感想を記しておきます。
ハッキリ言って不可思議な作品です。飛び抜けて作家性ゴリ押しな感じで、荒削りな印象もありますし、同時に普遍的で優しく癒しのような作品でもありました。
ある高校生の何気ない1日を描くのだと思えば、映画のOPは謎の心象風景とモノローグから始まります。
光と波と空気の煌めき、宇宙のような母体のなかのような映像に重ねて、誰かを起こそうかというコメントが。
その次に出てくるのはちょうど朝寝坊のジョーです。
学校行きのバスを逃した彼女は母に車で送ってくれるように頼みますが、自己責任と断られる。
思春期真っ只中のジョーはここぞとばかりに母の車を殴る蹴る。学校では特段特別なことはないのですが、フェドラの登場です。
実際にその場で歌っているのかな?とにかく綺麗な歌声の彼女に心奪われ、観客もジョーと同じくうっとりします。
ジョーはその美しさに涙すら流してしまいますが、フェドラと仲良くなろうと図書室でストーカーまがいに笑
その後親交を深める彼女たちですが、ジョーの帰路に現れる父親含めて、心霊的な描写がはさまれます。
空には朧気な図形が現れOPのようなモノローグ。父親は指を鳴らすとパッと消えてしまう。
これは後半の布石。実は物語後半でジョーは死にます。町中で警官に撃たれるのです。
この作品自体がギリシャで実際にあった警官による15歳の少年の射殺事件から着想を得ているようですが、決して「フルートベール駅で」のような社会性をはらんだトーンには転向しません。
フルートベール駅でと同じように一人の人間を見つめつつ、なんと死後の世界や人の生をメタ的に描き始めるのです。

急にアフターライフに行ったジョーは、白いモヤのような存在に、他の精霊か魂に会い、ジョーというキャラクターの出てくる映画が終わったことを告げられる。
しかもこの間完全に画面には青白い砂漠と白いモヤしか出てこず、会話は字幕で進行するという責め具合です。
そこからジョーの魂は未来のフェドラの姿や、地震を妊娠した際の母など、未来と過去を見る。そしてジョーは現世に降り立ち、母の車で音楽をかけて。。。
心象風景を用いて人の生や死に普遍的に触れられるアプローチ。
悲劇的な少女の死について、それをあくまで1つのチャプターとする。終わりではない。
魂にこの映画を通してでも、時間を超越したチャプターを見せる。将来の友達の姿、自分が生まれる前の母の喜び。
本当に亡くなったら見せてあげれないけど、この映画というメディアのなかで、ジョーは時間や生死を超越します。
だから彼女に、これから友情を育むはずだったフェドラのその後を見せてあげる。自分がどれほど母に愛されこの世に生まれたかを見せてあげる。
ジョーに対しての優しさでもあり、残された人、魂への癒しにも思えました。
人の死は終わりではなく、チャプターがきり替わるだけ。
時間を超える媒体たる映画を使い、亡くなったら魂を癒し、残された人たちにも、故人がちゃんとそばにいると見せてくれる。
責めたアーティスト寄りの映像を繰り出していますが、とっても美しく優しい映画と思いました。
一般公開がされるのかは不明ですし、あまり期待はできませんが、今回の映画祭で観てよかった作品でした。


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