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「理由なき反抗」”Rebel Without Cause”(1955)

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rebel-without-a-cause-1955-movie-james-dean 映画レビュー
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「理由なき反抗」(1955)

  • 監督:ニコラス・レイ
  • 脚本:スチュワート・スターン、アーヴィング・シュルマン
  • 原作:ニコラス・レイ
  • 製作:デヴィッド・ワイスバート
  • 音楽:レナード・ローゼンマン
  • 撮影:アーネスト・ホーラー
  • 編集:ウィリアム・H・ジーグラー
  • 出演:ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、サル・ミネオ、ジム・バッカス、デニス・ホッパー 他

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「夜の人々」のニコラス・レイ監督が自身の原作を自ら映画化した作品。

主演は「エデンの東」など当時大スターとして活躍中のジェームズ・ディーン。彼は今作の公開1か月前に亡くなりました。

また「三十四丁目の奇蹟」「捜索者」のナタリー・ウッド、「ジャイアンツ」などのサル・ミネオも出演しています。

ジェームズ・ディーンのアイコン的な映画であり、また作品自体非常に高く評価され、アカデミー賞にてはナタリー・ウッド、サル・ミネオ、ニコラス・レイ監督がノミネートしています。

私はハリウッドスターの代表作を順番に見ていった学生時代に「エデンの東」「ジャイアンツ」とともに初めて鑑賞しました。

時代を超えて愛される作品の一つなので、未鑑賞であれば一度何も情報を入れずに見ることをお勧めします。

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家族で引っ越してきたばかりのジムは、暴行容疑で警察へ逮捕されてしまい、両親と祖母が迎えに来る。

ジムはその警察署で、夜間外出で保護されていたジュディ、子犬を撃ったことで注意を受けていたプレイトウに出会うことになる。

ジムの両親は頼りない父と管理的な母、また脅迫的祖母がおり、彼はあれこれと言うことの違う家族にうんざりしていた。

初めての登校日、ジムは不良グループと絡み、ナイフでの喧嘩に発展する。その場では守衛に見つかったことで場は収まるが、夜にチキンゲームとして度胸試しをすることになる。

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この記事を書いている時点はもう65年も前の作品となり、私が初めて鑑賞したのもさらに数年前であります。

しかし確実に言えることは、この作品が永遠のものであることです。

これまでにどんな年代の若者が観てきても、そしてこの先のまた違う年代の若者がこの作品に巡り合ったとしても、おそらく古い作品であるとは思わないでしょう。

この作品の中核には、いつも普遍的な若さや苦悩、自分の世界での位置の模索と葛藤があり、主演のジェームズ・ディーンがそれらを象徴する存在としていつまでも生き続けるからです。

もちろんこの作品が発端となり有名になった要素、文化を変容させた点も重要です。

グリフィス天文台は世界中から注目の観光地になりましたし、チキンゲーム(レース)は形を変えても様々に残り、下着扱いのT-シャツも外出着に来ています。(マーロン・ブランドの影響もあるとは思います。)

ただ、やはり時代にとらわれないのは、いつでもだれでも、若き頃に欲した空間と愛、友情が、非常に共感をもって描かれているからです。

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ジェームズ・ディーンの象徴的なOP(これオール撮影の末にアドリブで撮ったらしいです)に始まり、警察署での泣き叫び、自由の渇望とそれでいて所属や帰属意識との揺れ動き。

ジムというキャラクターを通して、決して言葉で言い表せないものを、アクションでジェームズ・ディーンは体現して見せたのです。

もちろん彼の力を見抜いて、アドリブやシーンへの提案を自由にさせたニコラス・レイ監督の手腕もここには大きく貢献していると思います。

人間の若き日々は、親に属するものから脱却し、個人として成長していきながらも、やはり親に無条件の、そして際限のない愛を求めてしまうものです。

ジュディの父への甘えと拒絶の苦しさも身近ですし、また関心を持たれない寂しさを抱えるプレイトウの切なさも身に沁みます。

プレイトウがやっと見つけた、得たであろうジムとジュディという拠り所に依存する様も痛々しい。

3人のそれぞれの俳優たちが、大人ほどにうまく感情表現できないところを、誰に目線を送るのかなどの些細な部分で見せている素晴らしさにあふれています。

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そしてこの作品はその普遍性を打ち出したという点において、初めての若者映画であり革命であると感じます。

すくなくとも、メインにこれだけ未熟な若者が主軸におかれるドラマはなかったのかと思います。

息子や娘というのは、まさにアメリカの古き良き家の描写において、両親に従順でありやはり「○○の息子/娘」でしかなかったのです。

しかし50年代の流れの中で、アメリカでの家父長制の揺らぎが起こり、その崩壊を目の前に、新しい時代、家族の在り方に直面した若者たちにとっては、ジムの境遇はまさに自分事だったのかと考えられます。

「波止場」でのマーロン・ブランドは、不良青年でありながらも社会における不正に挑む、いわば大儀ある存在として描かれていることに対し、今作のジム含めた3人は、その反抗が非常に個人的ですね。

言ってしまえばわがままな、幼稚な部分すらあるこの赤裸々な感覚を、逃がさず恥じずに映像にして見せたことは、時代の定義をするような衝撃を持っていたといえます。

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ニコラス・レイ監督の演出が、言葉を使わないものが多いことも(言葉にできない思春期ゆえ)効果的。

それぞれの光の当たり方や、空間使いによる心の距離や隔絶表現など巧みです。

家の中での廊下、奥行き、部屋の仕切りでのジュディと父の距離とか、ジムと両親の会話シーンでのライティングとカメラの傾きとか、本当に感心します。

そしてそれだけでなく、絶対に忘れがたいジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、サル・ミネオの存在。

メタ的にはそれぞれが若くして亡くなったことなどが、さらにこの作品の完全性を高める形になっており、また不思議な力を持たせていると感じます。

時代を切り取りながらも、革新的で、それでいて普遍的な思春期映画である。ジェームズ・ディーンというスターをいつまでのジム・スタークとして記憶に残す意味でも人生に刻まれていくような作品です。

感想は以上となります。

たまには過去作を紹介していきたいですね。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

それではまた次の記事で。

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