「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」(2024)
作品解説
- 監督:ジェームズ・ワトキンス
- 製作:ジェイソン・ブラム、ポール・リッチー
- 製作総指揮:ベアトリス・セケイラ、ヤコブ・ヤレク、クリスチャン・タフドルップ
- 脚本:ジェームズ・ワトキンス、クリスチャン・タフドルップ、マッズ・タフドルップ
- 撮影:ティム・モーリス=ジョーンズ
- 美術:ジェームズ・プライス
- 編集:ジョン・ハリス
- 音楽:ダニー・ベンジー、ソーンダー・ジュリアーンズ
- 出演:ジェームズ・マカヴォイ、アイスリング・フランシオシ、スクート・マクネイリー、マッケンジー・デイヴィス、アリックス・ウェスト・レフラー、ダン・ハフ 他
2022年製作のデンマーク・オランダ合作映画「胸騒ぎ」をリメイクしたサスペンススリラー。監督は、「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」で知られるジェームズ・ワトキンス。
狂気的で抑圧的な謎めいた男パトリックをジェームズ・マカヴォイが怪演しています。共演に、「ナイチンゲール」のアイスリング・フランシオシ。
また彼らに招待され地獄を見ることになるアメリカ人夫婦役を「ジャッキー・コーガン」のスクート・マクネイリー、「ターミネーター:ニュー・フェイト」のマッケンジー・デイヴィスが演じています。
もともとリメイク元は今年日本公開されていて記憶にも新しいですが、すでにその日本公開時期に、このリメイク版の予告自体は公開されていたのではなかったでしょうか。
なので、珍しいことに、オリジナル版とリメイク版が同年に公開されることになりました。日本だけですが。
リメイクというのも不安はありますが、予告の時点でいい具合にサイコがあふれてるジェームズ・マカヴォイが気になったので鑑賞してきました。休日に行きましたが結構人は入っていましたね。
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〜あらすじ〜
ロンドンに暮らすアメリカ人のベンとその妻ルイーズ、娘アグネスのダルトン一家。
イタリア旅行中に出会ったイギリス人のパトリックとその妻キアラ、息子アントの一家から田舎の農場に招待され、週末を一緒に過ごすことになる。
人里離れた美しい自然に囲まれた環境で、初めは楽しい時間を過ごしていたダルトン一家だったが、やがてパトリックたちの“もてなし”にどこか異様なものを感じ始める。
一見すると仲睦まじく見えるパトリック一家の裏に潜む異常性が徐々に明らかになる中、ダルトン一家は想像を絶する恐怖に巻き込まれていく。
感想レビュー/考察
リメイクの不安
原作というかリメイク元であるデンマークの「胸騒ぎ」を観ている身としては、心配な点も多かった作品。
非英語圏の作品を、ハリウッド側で権利を購入してリメイクして映画化するというのは映画の歴史の中では全く珍しいことではありません。
しかし、もともと非英語圏の作品にはその国や土地、文化に起因する脚本上の仕掛けや人物造形などがあることが多く、それを無理やりにアメリカナイズドすることは元の良さを潰しかねないと思っています。
ハリウッドリメイクされて、作品の規模は大きくなり、銃が登場し、派手なアクションとヒーローの登場が入り込んでよく分からない作品になることもあるでしょう。
アメリカ映画になりつつ、オリジナルの根っこを大事にした
その点が心配でしたが、今作では確かにリメイクとしてアメリカ映画らしい要素が入っているものの、根幹にあるテーマは大事にされていた印象です。
終幕は展開がオリジナルとは全然異なるものになっていますが、1幕目の夫婦の出会いから家に招待され違和感を覚えていく流れ、2幕目の違和感が肥大化し衝撃の事実にたどり着くまで。
これらはオリジナルを結構丁寧になぞっています。
リメイク元からのキャプチャーはしっかりとしていて、居心地の悪さはちょうどいい。
過度すぎると超常的なホラーになりますが、現実の生活でも感じ取った経験のあるような、はっきりと嫌だと言い難いけれど確実に嫌悪感を持つ空気が再現されています。
イヤな雰囲気でマイルドになった描写も
イタリアで出会った際に、自分の料理のことばかり話す夫婦がいて、ベンとルイーズはちょっと迷惑していました。そこでパトリック夫婦と出会う。
パトリックは食事の席で排泄回りの話をしてその夫婦を追い払うのです。笑ってしまうシーンですが、自分に向けられると困る。こういう嫌な感じが続いていきます。
ただ、嫌な感じも少しマイルドにはなっているかもしれません。オリジナルでは主人公夫妻の妻が入浴しているシャワー中に、なんとバスルームに相手側の夫(今回のマカヴォイの役)が入ってくるんです。なんの悪びれもなく。
また夫婦のセックスも、部屋の横の窓からのぞき込んでいる。プライバシーに侵害して来るような描写が強く出されていましたが、今回はその点はかなり控えめになっていました。
若干の変化はアリながらも、役者が支えているのでしっかりと気味悪いです。
有害な男性性が歩き回るようなマカヴォイ
目立つのはやはりマカヴォイです。「スプリット」で多重人格者を演じてから、なんか変わった気もする彼。あそこでみせた豹変演技が今作でも生きていますし、ビーストを演じてから、マッチョなフィジカルになり威圧感もあります。
有害なマッチョ、男性性のような今作のパトリックとしてかなりハマっていますし、3幕目の家の中での追走劇においても、フィジカルに脅威性が必要なのであっています。
本人は今回の役作りにおいて、オリジナルの方は観ていなかったようです。「撮影が終わった翌日に観た」とインタビューで答えています。いい意味で、オリジナルの影響を受けないままいたことで、野性的で危険なマチズモのような男を作り上げたと思います。
スクート・マクネイリーの弱弱しい感じも、マッケンジー・デイヴィスと夫婦間の問題を抱えているところにあってます。また、「ナイチンゲール」での輝きが今もあるアイスリング・フランシオシ。彼女の曖昧さが正直最後まで残ってて印象的です。
最悪な終わりを迎えるオリジナルから、闘い生還へ向かうアメリカ映画に
途中途中で、パトリックを怒らせないように諭すのは、実は本当に彼女も被害者なのか、もしくは主人公たちをだますための罠なのか。彼女のどこか脆くはかない感じが出ていると、パトリックとは異なるミステリアスな不気味さがありました。
リメイク元では完全なバッドエンド。
娘は取り上げられ舌を切り落とされてどこかへ連れていかれるし、もともと居た子どもは殺される。夫婦も全裸にされた挙句採掘場で石を投げつけられて死ぬ。
でもここの結末への方向は実にアメリカ映画らしい展開をしています。嫌いな人は、アメリカ映画ってこうだよね。っていやでしょうし、しかしそうしないと、アメリカ映画としてリメイクする意味がない。いわゆるアイデンティティを持たなくなります。
なので、個人的にはアリかなと思いました。
崩壊の危機のあった結婚生活に、最後は協力し結束することで外部の危機をも乗り越えるわけです。いざというときの互いへの態度という点でも、パトリック夫婦とベン夫婦が対比的に構成されていますし。
文句を言わない私たち、強い女性
最後にアントが復讐を果たしている点は賛否も分かれるかもしれません。パトリックには制裁が下されるべきですが、子どもに人殺しをさせていいのかというと、難しいですからね。
でも、父の腕時計を取り返してちゃんと手首につけているアントの姿を見ると、彼の父への愛の深さやくやしっさと怒りも理解できます。
全体のテーマはやはり、「私たちは礼儀正しすぎる。思っていることをちゃんと言わず、つけこまれる。」というところ。それはオリジナルから継がれています。
ただ、そこにブレンドとして、テスラのってる奴って・・・みたいなちょっと嫌みがあったり、戦う女性も出てくる。
実際に危機に瀕してからは、監督も「藁の犬」のようになると言っていますが、闘いが始まり分かることがあります。それは戦うのが女性であること。
こうした部分で少し現代アメリカ社会の様相を混ぜ込んでいるのは、個人的に好印象でした。
リメイク元のインパクトを持つのは難しいでしょうけれど、話に触れる間口の大きさを持つとして良いですし、単なる焼き回しでもない挑戦と自分自身のオリジナリティを感じる作品でした。
感想はここまで。ではまた。
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