「ウォッチメン」(2009)
- 監督:ザック・シュナイダー
- 脚本:デヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー
- 原作:デイヴ・ギボンズ、アラン・ムーア『ウォッチメン』
- 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、デボラ・スナイダー
- 製作総指揮:ハーブ・ゲインズ、トーマス・タル
- 音楽:タイラー・ベイツ
- 撮影:ラリー・フォン
- 編集:ウィリアム・ホイ
- 出演:マリン・アッカーマン、ビリー・クラダップ、マシュー・グッド、ジャッキー・アール・ヘイリー、ジェフリー・ディーン・モーガン、パトリック・ウィルソン 他
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DCコミックス「ウォッチメン」を原作とするスーパーヒーロー映画。
監督は「バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生」などのザック・スナイダー。
アメリカに実際にスーパーヒーローが誕生し、歴史にも大きくかかわっているというパラレルワールドを舞台に、スーパーヒーローの殺害から始まるミステリーになります。
原作はコミック界では伝説級の名作であり、その実写映画ということでなかなかにハードルの高いものです。私もアメコミを読み始めてすぐ読みましたし、どのおススメリストにも必ず入っているような作品ですね。
公開時には観ていなくて、ずっと気にはなっていたのですが、上映時間3時間超えが響いてだいぶ後回しに。
今更ですがようやく鑑賞しました。
アメリカでギャングによる犯罪が横行した30年代、素性をマスクで隠し犯罪を重ねるギャングに対抗して、同じくマスクをかぶることで法を越えた行動に出るヒーローたちが現れる。
彼ら超人的な力の持ち主たちは、その後も大きくアメリカの歴史に干渉、貢献することとなった。
そして時は流れ1985年10月。
スーパーヒーローであるDr.マンハッタンの圧倒的力によりベトナム戦争に勝利したアメリカでは、ニクソン政権の第3期が始まっており、彼のキーン条例によっていかなる自警活動も禁止されていた。
しかし絶対的スーパーヒーローを国力として利用することが、地球規模にパワーバランスを崩し、アメリカに対してソ連は徹底的な核開発で対抗する緊張状態に陥っている。
そんななか、元ヒーローチームのメンバーであったコメディアンが何者かに殺害される。
キーン条例を無視し、自分のルールで悪党と戦い続けていたロールシャッハは、コメディアン殺害をヒーロー狩りであると推測し、昔の仲間たちに警告するとともに調査を開始するのだった。
はっきり言って、コンテンツへの愛情が深ければ良い作品が出来るわけではないという代表例のような作品でした。
たしかにコミックをそのままなぞり映像化したような今作は、リスペクトに溢れ、スナイダー監督がいかに原作を愛しているかがこれでもかと伝わってきます。
しかしこの作品はそれ以上の何物でもなく、原作コミックを読んでいるときの思考や期待、ページをめくるスリルなどは微塵も感じませんでした。
紙に描かれたコマをなぞることはできても、それは表面の話です。
その下にある意味、運ぶペンを握るものの思考や描こうとするに至らせた想いなどは、映画を通しては全く見えてきませんでした。
3時間半以上の長尺は、原作コミックを余すことなく見せたい以外に目的はなく、たくさん入れ込まれるポップカルチャーに関しても、ただそこに存在しているだけです。
アメリカの歴史に干渉したヒーローの存在や、子どもには見せられない直接的な暴力描写も、置いてあるに過ぎません。
結局はルック、”大人向けのアメコミ”という字面のかっこよさに自己陶酔してるように感じます。
一番弱く問題なのは、人として存在し苦悩し実在感を持つべきキャラクター固有のエピソードにおいて、その核心的な痛みに真実味がないことです。
おそらく題材を扱うことができないのでしょう。
ロールシャッハの抱える児童虐待、過去におけるレイプ(未遂)、コメディアンに投影されるベトナム戦争と帰還兵のPTSD。
それらは忠実に見せられますが、そこに映像ができる寄り添いも訴えも感じず、あっさりと流れていきました。
スナイダー監督はかなり改変もしていますが、つまるところメッセージに関してもはき違え感もあります。
痛みを受ける側の徹底した人間最低のロールシャッハと、高みにおける俯瞰的オジマンディアスの対比とか。
マンハッタンの仕業にすると、これアメリカ合衆国を基盤とする超人の暴走もしくは陰謀的な破壊活動に取られてしまって、人類統一にならないんじゃないかな。
ウォッチメンの世界はパラレルワールドです。
彼らを通して、読み手(ここでは鑑賞者)が生きる現実を問うのが魅力に思っていました。
ですが、この映画ではこの映画の中の完成された世界をただ追い続け、やり過ぎなほどに切り離してしまう。
この原作コミックは80年代に展開されています。
その意味で、当時生まれるべき作品であり当時生きた人々が生々しさを持って直面し考える題材だったのかなと。
それを2009年にして実写映画とするのであれば、その時代の切り替えにこそ、映画化する作り手の真価が試されるように思えます。
ノーランが「ダークナイト」を前年に撮ってるんですよ。
ウォッチメンが偉大なコミックなのは間違いありませんが、こんな映画化ではお粗末ではないでしょうか。
原作への敬意は分かりますが、ファンであることで素晴らしい映画になる訳じゃない。
キングの原作なんて興味もないキューブリックが「シャイニング」を生み出したことを考えてみましょう。
アラン・ムーアは結果的に今作との関わりを絶ち切りましたが、彼がいかに言おうと、映像作家としてできることをすべきだったんじゃないかと、疑問が残ってしまいます。
3時間以上もの予定調和とファンの自己満足を観て、結果思ったことは、原作を読むのが一番ということ。
そしてコミックを映像というメディアへ移したことの無意味さでした。
ビジュアルの面では確かに決め画はありますが、コミックを実写に変換したに過ぎず、動きというアクションには感激するものはありませんでしたので。
ザック・スナイダー監督がウォッチメンが大好きなことも熱意も伝わってきますが、それだけです。
どこまでも見た目を追った作品でした。
ウォッチメンファンがどう捉えているか分かりませんが、自分には原作を読んだときの感動は蘇りません。
酷評になってしまいましたが、怒るくらいウォッチメンが好きなのかなと気づかされた点だけは感謝です。
感想は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんどうか、原作はお読みください。
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