「対峙」(2021)
作品概要
- 監督:フラン・クランツ
- 脚本:フラン・クランツ
- 製作:フラン・クランツ、ディラン・マットロック、ケイシー・ワイルダー・モット、J・P・ウーレット
- 製作総指揮:ジョー・エイブラムス、マイケル・リー・ジャクソン、ニコ・フォールズ、ダグラス・マティエイカ、マーシャル・ローリングス
- 音楽:ダーレン・モルゼ
- 撮影:ライアン・ジャクソン=ヒーリー
- 編集:ヤン・フア・フー
- 出演:リード・バーニー、アン・ダウド、ジェイソン・アイザックス、マーサ・プリンプトン 他
学校での銃乱射事件の加害者の両親と被害者の両親。彼らがある場を設けて対談をし、そのプロセスから互いの苦悩と答えを探してく。
非常に重苦しいながらも社会問題に切り込むドラマ映画。
監督は今作で長編デビューを果たすことになる、これまで俳優として様々に活躍していきたフラン・クランツ。
それぞれ両親を演じるのはリード・バーニー(「ザ・ハント」)、アン・ダウド(「ヘレディタリー/継承」)、ジェイソン・アイザックス(「ハリー・ポッター」シリーズ)、マーサ・プリンプトン(「LAW & ORDER」)。
サンダンスでのプレミア上映で好評を経て、非常に小規模、全米でも4館のみでの封切りから好スタート。
クランツ監督の手腕と演者たちの力も批評家たちから絶賛を集めた作品です。
日本公開に関してはあまり情報を拾ってはいなかったのですが、上映館での予告編を見てその題材のあまりの重さに興味がわきました。
公開週末に時間を調整してみてきました。小さな箱ではありますが、ほとんど満員レベルで入っていました。
~あらすじ~
高校で銃乱射事件が発生し、多くの死傷者を出し犯人の少年も自ら命を絶った。
それから6年後、被害者の両親はいまだ息子の死を受け入れられずに苦悩していた。
セラピストは彼らのことを気にかけ、今回ある提案をした。
それは加害者の少年の両親との対話であった。
場所は教会の中に用意された部屋。立会人はおらず、両親2組、4名だけでの対話が始まる。
ぎこちなくも確実に革新へと迫っていくこの対話は、ついに犯行の予兆や親としての責務などに及んでいくのだった。
感想/レビュー
現実に打ちのめされる魂への癒し
まずもって見るのに結構覚悟のいる作品でありました。
楽しいことになるわけはないです。
こちらとしてもセンシティブさには心苦しい思いをしますし、やはりフィクショナルな映画だとしても現実問題のことを考えずにはいられません。
そして同時に、いやだからこそ決してドラマチックさや安易な感動話にならないようなプレッシャーもすさまじかったのではないかと思います。
その意味ではクランツ監督はその不安や重荷を見事に背負って、素晴らしい手腕でこの題材をまとめ上げています。
現実の辛さに目を向けるためにも、この作品がよりミクロな、人間を見ていくきっかけと助けになってくれるのではないかとすら思います。
クランツ監督が送り出したこの対話が、癒してくれる魂があるはず。そう思えました。
宗教を精神と心の場とする
今作の原題タイトルは”MASS”。
日本語で言えば「ミサ」でありますが、同時に”Mass Shooting”(銃乱射、大量銃殺)も掛け合わされていると思います。
監督はこのふたつを結び付ける場所として、今回の対談の場所を教会に設定しました。
私はそれを、単純にキリスト教圏のアメリカの話だからとはとらえませんでした。
もちろん4名がたどっていく対話の先にあるものが、キリスト教的なものなのはあるでしょう。でもだからと言って日本など外国の観客が見て入り込めないとは感じません。
教会は精神や心を現していると感じます。
宗教そのものというよりも、宗教のような人間が信じたりすることそれ自体が重要なのかと。
人間を、世界を不信してしまうような事件が、銃乱射事件です。
理解ができず理不尽さに打ちのめされ、そして憎しみや罪悪感が全てを蝕んでいく。
人は見えなくとも心で感じ取れる
決してその事件のフラッシュバックをみせず、この場にいる人間以外を登場させませんが、クランツ監督は見事な脚本の中で想像させることから観客に状況を伝えています。
被害者の妹が不登校や不眠に苦しんでいること。
加害者の両親へのバッシングと人生を削り取り踏みにじる扱い。
システムにおける冷徹さ。家宅捜索にきた警官の言葉は個人的に聞いていて辛かったです。
状況が分かっていなくて、息子の安否を心配する親に対し、(それが良いことのように)「死にました。」と声をかけるとは。
数々の話を当人から聞いていく。
そこにビジュアルはなくとも、素晴らしい演技で繰り出される話から真実を感じ取り心を痛めることはできる。
このプロセスが銃乱射事件という題材へのアプローチに必要ということです。
決して、ニュース記事や現場映像などでははかり知ることはできない。
何度か手紙の件が出てきますが、実際にリンダとゲイルは話し合うことで母として繋がります。
細やかな演出から示される人が歩み寄る様
想いの象徴である鉢植え。あからさまに拒絶を示していたリンダがそれを最後に受け取り、そして箱に入れずにそのままで持っていきたいと言う。
これは対話を通じたからこその実現です。
冷淡であった固定カメラは次第に手持ちカメラとなり、それは感情を持ったゆえの揺れ動きを見せているようでした。
また、お互いの立場をそのまま示す座席についても、もともとジェイとゲイルが座っていた椅子に、後半にリチャードとリンダが腰を下ろします。
相手の立場になること理解を示すことが演出されています。
赦しと癒しと
最終的にきた赦し。そこから前を向いて生きることや希望のように、会場から聖歌隊の歌声が聞こえてくる。階段とその先から漏れる光を捉えたショット。
そして神の声に触れるように見えるジェイとゲイルの二人。
心を締め付けるような緊張感に満ちた対談が、知ることもできなかった当人たちの吐露を経て自分の心さえ癒していく。
涙せずにいられないほどの真実味は間違いなく4名の俳優陣の名演にあります。
そして何より、この作品を送り出してくれたフラン・クランツ監督への感謝を感じずにはいられませんでした。
本当に素晴らしい作品でした。これはお勧めです。
今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた。
コメント