「ウインド・リバー」(2017)

  • 監督:テイラー・シェリダン
  • 脚本:テイラー・シェリダン
  • 製作:エリザベス・A・ベル、ピーター・バーグ、ウェイン・ロジャース、マシュー・ジョージ、ベイジル・イヴァニク
  • 音楽:ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
  • 撮影:ベン・リチャードソン
  • 編集:ゲイリー・D・ローチ
  • 出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン、グラハム・グリーン、ギル・バーミンガム、ジョン・バーンサル 他

「ボーダーライン」(2015)「最後の追跡」(2016)の脚本を手掛けてきたテイラー・シェリダンが初監督した作品がこちら。

主演には「アベンジャーズ」シリーズで有名なジェレミー・レナー、またFBI捜査官として同じくMCUで活躍するエリザベス・オルセンも出演。

今作はカンヌのある視点部門に出品され、テイラー・シェリダンが監督賞を受賞しています。

テイラー・シェリダン脚本作が好きで、彼が監督デビューと聞いて楽しみにしてはいました。実は昨年の9月にニューヨークで観れる機会があったのですが、都合が合わなくなり断念。何だかんだで1年越しの鑑賞。

HTC渋谷にてやっていましたが、1日1回というのもあってかなり混んでいました。

アメリカの原住民居留地区。そこは一年を通して雪に覆われる過酷な環境で、追いやられたインディアンの血を引くものたちが暮らしている。

地元でハンターしているコリー・ランバートは、ある日雪道に足跡と血痕を発見する。痕跡をたどると、そこにはインディアンの少女の遺体があった。

警察はFBIにも応援を要請し、若い女性捜査官が送られてくるも、この地のことはあまり理解しておらず、地理にも雪の中の捜索にも詳しいコリーは捜査に協力することになる。

しかしそれは同時に、コリーにとって忘れられない痛みを再体験することでもあった。

脚本家としてのテイラー・シェリダンの流れをみていくと、今作はデイヴィッド・マッケンジー監督「最後の追跡」と同様にアメリカの歴史、成り立ちから来る非常に残酷な性質を浮き彫りにするものでした。

前作においてもインディアン、白人そして資本主義と連なる略奪の歴史を色濃くしていたと思いますが、今作ではよりインディアンと彼らの現アメリカ社会での扱いを強めて、社会的な一面のある作品になっています。

しかし作品そのものはすごく上質かつ悲しいミステリーであり、あくまでその悲しさを増す意味で社会的な要素が配置される形となっています。

インディアン居留地区。

かつてこの大地を自由に駆け回った彼らが、今や全てを奪われてこの地にいる。雪と静寂だけの地に。

今作では採掘場が出てきますけど、ここまで来てなお資源の採集をされているなんて。

そして死に化粧すらまともにできなくなった。「もう教えてくれる人はいない。」

クリント・イーストウッド監督の「アウトロー」で強く覚えていたあのインディアンの死を覚悟して戦う際のデスペイント。

尊厳を守る文化すら彼らは失っているということを、スクリーンを通して見つめるだけでとても悲しかった。

若者はギャングか刑務所に。あの兄貴が言うように、何もないのです。今もそして未来にもなにもなく、絶望の中世界に押し潰され憤り苦しんで生きていくだけなんです。

今回の事件も、世界に負けてしまった男が卑劣な行為に及んだ結果です。

雪と静寂だけの世界は、人の本能を剥き出しにする。ある意味で、そうしなければ生き抜けないからかもしれません。

しかし、今作は人間はとことん芯から残酷ではないと、教えていると思います。

空気をそのまま体験するかのような今作は、風の音や冷気、雪が張りつめる音のみが聞こえてきます。

過酷な世界を観客と同じ視点で体感するのは、アウトサイダーであるエリザベス・オルセンが演じるバナー捜査官です。

知らない土地、知らない世界は厳しいですが、そこで彼女は導き手とも言えるコリーと捜査をします。

今回主演を務めたジェレミー・レナー、間違いなく彼のフィルモグラフィーでもベストクラスの名演をみせています。彼が演じたコリー・ランバートは静かながら非常に強く印象に残る人物でした。

彼は表面上に関してはどの映画でもあまり変わらない人で、道化みたいなことはしないんですが、表を変えずに奥底で渦巻くものを出せるんですよね。

抱え込んでいる感覚が見事でした。

ハンターとしてプロの切れ味もカッコいいですが、彼が過去に背負ったドラマからくるストーリーとその過去を受けて彼がどう生きてきたかというのがすごく興味深いです。

途中彼の話で印象的な場面がありました。

「苦しみから逃げることはできない。存分に苦しみ悲しめ。そうやって苦しんでいる間は、お前は娘と共に生きていける。」

「世界の理不尽さに怒るが、世界とは戦っても勝てやしない。だから俺はその感情と戦うことにした。」

今作はフランシス・マクドーマンド監督の「スリー・ビルボード」のように、子を失った親の物語でもあります。そしてその喪失と世界に対しての怒りの処理。悲しみとどう生きていくのか。

そういう点では、コリー・ランバートは映画の中から観客に、この先も寄り添いうるキャラクターですね。

いつしか悲劇が起きたとき、私たちは壊れてしまうかもしれない。勝てもせず答えもくれない世界に怒りと憎しみだけを抱えて生きるかもしれない。

そんな時、コリー・ランバートはそばにいてくれるはずです。

そして自分の中の感情との戦い方を教えてくれるのです。

自分中心に世界は成り立っていない。

何度も捜査権の話がでますけど、やはり支配権を常に持つことはできません。

この事件でも全てを管理できないのと同じで、私たちはこの世界において完全なコントロールなんて得ることはないんです。

しかし、非常に切ないですが、喪失という悲しみが、白人とインディアンを結びつけ寄り添い会わせてくれます。そしてほんの少しですが、未来への希望もあります。まだ生きて、戦い続けなくてはいけない。

テイラー・シェリダン監督は、人が人として扱われていないアメリカの問題点をベースに、歴史を踏まえて人間の残酷な本能と弱肉強食の世界を切り出します。

それでもなお監督は、普遍的な要素で人が支えあって生きていける希望を残しています。

奪われた傷跡は、雪の上の足跡の様には消えません。消してはいけません。

その後をたどることで、失ったものを思いだし、自分の歩む人生で運んでいけるのです。それがとてつもなく冷たい悲しみであったとしても、過去が忘れ去られるよりはずっと良いでしょう。

娘の件は何一つ解決しませんが、壁に貼られた写真を見たコリーはあの瞬間娘に会えたと思うのです。

重苦しいですし、やりきれない話ですが、観てほしい作品でした。

今後も脚本家としてまた監督としても期待のテイラー・シェリダンですね。ジェレミー・レナーも素晴らしいのでおすすめです。

感想はこれでおしまい。それでは、また。

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