「ヘレディタリー/継承」(2018)

  • 監督:アリ・アスター
  • 脚本:アリ・アスター
  • 製作:ケヴィン・スコット・フレイクス、ラース・クヌードセン、パディ・パトリック
  • 製作総指揮:トニ・コレット、ライアン・クレストン、ガブリエル・バーン、ジョナサン・ガードナー
  • 音楽:コリン・ステットソン
  • 撮影:パジェウ・ポゴシェルスキ
  • 編集:ジェニファー・レイム、ルシアン・ジョンストン
  • 出演:トニ・コレット、アレックス・ウルフ、ミリー・シャピロ、ガブリエル・バーン、アン・ダウド 他

長編映画初監督のアリ・アスターによるカルトホラー映画。

試写や北米公開から非常に高い評価を受け、主演のトニ・コレットの演技も絶賛されている今作。

昨今色々なアイディアの秀作が多いホラージャンルにおいて、比べ物にならない悪夢ということでとても期待していた作品です。

公開週の土曜日に日比谷で鑑賞。

今やみゆき座という名前ではなくなってしまいましたが、ちょっと小さめの劇場で、ほとんど満員状態で見ました。ファーストデーだからでしょうかね。

客層は広く、見終わったあとが良かったです。怖かったねとかビックリしたねとかではなく、これをどうしていいか分からない感じで皆さん席をたっていました。

女家長であるエレンを亡くしたグラハム一家。

娘であるアニーは、生前精神疾患のあった母の死をあまり悼まず、祖母とは関わりの少なかったアニーの息子のピーターも以前とさして変わらず過ごしていた。

しかし、とても大切にエレンに世話されていたピーターの妹チャーリーは、祖母の死をきっかけに様子がおかしくなる。

そしてある日起きてしまった最悪の惨劇をきっかけに、一家は崩壊していく。

地獄を解き放つ今作の最大の力は、この映画が上映時間を超えて観客を呪うことだと思います。

ホラー映画が上映終了してエンドロールが終われば解放され、観客はもとの現実に帰るということがないと思います。

作品世界に囚われるというよりは、作品が現実に侵食した感じです。

もう観る前の世界には戻れなくなったと思いました。

観客の現実まで呪ってくる圧倒的な力。個人的には1つが作品テーマによるもので、もう1つが脚本の秀逸さによるものだと感じています。

今作のテーマは逃げられない運命だと思います。この世に産み落とされた瞬間、いや、自分の生が始まる前から決められていた運命。

作品は最初からあのコテージを映すところから始まり、カメラがパンすると、ミニチュアへズームし、そのミニチュアの部屋で父がピーターを起こすところへ流れていきます。

初めこそ意外な、そしてちょっと理解しづらいスタートですが、後々思い出すだけでこのOPの周到さに恐ろしくなります。

帰結へ向けての出発と、今作の人物たちのたち位置がここでハッキリと決められているからです。

結局はどうあがこうと、ミニチュア模型の中の人形でしかありません。

念を押すかのように、ピーターの受けている授業では、ヘラクレスを題材に、”運命に抗う無意味な行為、結局はただの駒”という言及がなされていますから。

逃げ場のなさというのは、この森の奥の閉鎖した家屋が物語っていて、そして家族というものそのものです。

誰しも家族から、血族からは逃げられない。

無条件に生まれ持つ枷であり、それこそ呪いであるのです。

辞めたいから辞める職場や、行きたくないから行かないという場所でもなく、自分の出自でありそして逃げ切れないものとして家族を描くことで、今作は観ている人間からも逃げ場を奪い去るのだと感じます。

脚本は驚異的な周到さと暗示が組み込まれていて、家庭崩壊が自然かつ計算され、自発的にも操作的にも思える見事な流れです。

セラピーの話からアニーの生い立ちを紹介しつつ、思い返させることですべてがつながる。伏線が回収された時の、ハマってしまう感覚は、心底気味が悪いですよ。

なぜアニーの父は餓死したのか。なぜ兄は母の部屋で自殺したのか。なぜエレンはアニーに子供を産ませることに執着したのか。

語られる家族の歴史がすべて最悪の悪夢へ向けて紡がれてきたことが分かります。

切断されるハトの頭部、描かれる王冠。ナッツアレルギー、車を追うカメラのパンが急に止まりとらえる電柱と、そこに彫り込まれている何か。

音楽も絶えず不穏な音をやめず、担当のコリン・ステットソンが作曲するかすかな低音の響きなど学校やパーティに行く前のシーンなどにまで流れていて、心休まる暇を与えません。

また撮影でも、家族が崩壊していくにつれて引いた異常な視点からのものが増えていきます。

断層的な切り取りは、墓の下の地中まで追いかけ、そして家の中を文字通りミニチュアハウスのように映していくので、アニーたち一家が本当にただの人形である感覚が強まります。

ピーターは逃げます。

起こしてしまった惨劇から目を背け、ただベッドに入る。目が覚めたらすべてただの悪い夢だったと願いながら。

この描写が個人的に強烈でした。確かに人間、自分一人では抱えきれないものに直面したら、すべて他の人に投げて何事もなかったかのように振る舞いたくなるものです。

そしてアニーは自分の母との記憶や人生、今回の惨劇をミニチュアにすることで、なんとか乗り越え人生をコントロールできていると感じようと必死になります。

一家はこの惨劇から、団結ではなく隔絶へ進む。

一瞬たりとも一緒にいないために、アニーが車の中で待つシーンがすさまじくこの歪み切り後戻りできない状況を描いていました。

しかし、ピーターが無関係であろうとする逃げも、アニーの母への対抗や支配権の獲得への努力も、すべて計算の中にしか見えなくなります。

そうした各々の乗り越え方が結局は一家崩壊のステップであり、アニーはついに言ってはいけないことをピーターに言ってしまう(言うように仕向けられる)ので、もはや団結は不可能、互いに不信しかなく帰結へ直進しますね。

事故直後のテールランプにコテージの暖房、真っ赤な光が彼らを照らし、悪夢と地獄が解き放たれる。モンスターは出なくても、あんな食卓地獄以外のなにものでもない。

トニ・コレットの超顔芸もすさまじいですけど、彼女は必死にアニーであろうとするアニーと、何か別のものに食われていくアニーが同居し、戦いそして苦しむ様を見ごとに演じています。

自分自身に責任を感じつつ、なんとか家族の崩壊を食い止めようとしつつ、しかしそれもすべてアニーを動かす何かの演技にすら感じられる。

怖がっている人の顔のほうが怖いホラーはいい作品が多いと思いますが、まさに、恐怖におののくトニ・コレットの顔が最強に怖いです。

すべてが無意味。

生まれること自体が呪いだとすれば勝てるはずもありません。

アリ・アスター監督は普遍的に人間が持つ逃れられない環境を題材に、古典的なカルトホラーを展開し、どんなあがきすら封じ込める最低に気味の悪い悪魔のような脚本で現実を呪ってきました。

いったい監督は世界に対してどんな恨みがあるというんだ!地獄の門が開かれ、もう映画館を出てもこの作品が続いているようで心底恐ろしいです。

これが長編初監督作品ということで、間違いなく今後期待される監督の一人となったアリ・アスター監督。

古典的なホラー作品への敬意を払いながら、昨今はシチュエーションとアイディア勝負、どちらかといえば独自性の強い作品が多かった中で、王道ど真ん中を突き進み、カルトホラーを堂々と復活させた作品でもあります。

まったく新しい見せ方や設定なしで、ここまでできるという点でもく用意的な作品だと思います。

劇場で逃げ場のない中2時間くらいトラウマを植え付けられることをおすすめします。

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