作品解説

シアーシャ・ローナンが初プロデュースを手がけ、主演も務めたヒューマンドラマ。
大都会でアルコール依存へ陥り自分を見失った若者が、故郷へ戻り、新たな生き方を模索していく姿を描いています。
監督を務めたのは、「システム・クラッシャー」でベルリン国際映画祭・銀熊賞を受賞したドイツ出身のノラ・フィングシャイト。
原作について
原作は、イギリスでベストセラーとなったエイミー・リプトロットによるノンフィクション回想録「THE OUTRUN」。
依存や孤独、再生といったテーマを、実体験をもとに綴った作品です。
キャスト
- シアーシャ・ローナン
- パーパ・エッシードゥ(「MEN 同じ顔の男たち」)
- スティーブン・ディレイン(ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」)
- サスキア・リーブス(「記憶探偵と鍵のかかった少女」)
もともと監督の新作って意味でも、シアーシャ・ローナンの主演最新作って意味でも注目していた作品。ただ公開初週からなぜか1回しか上映がなくて、しかも都合が合わずに見逃していました。
終わってしまうかもと思いながら、次の週で朝早い回が残っていたので鑑賞してきました。
もともと小さな作品ですし、そこまで混んではいませんでした。
〜あらすじ〜

ロンドンの大学院で生物学を学んでいた29歳のロナは、約10年ぶりにスコットランドの故郷へと戻ってくる。
恋人との別れや暴力的な体験、入院生活など、人生が限界に達した末、彼女は依存症治療施設に入所。90日間のリハビリプログラムを経て、断酒という新たな生活を歩み始める。
故郷では、野鳥保護団体で働きながら、ひとり静かな時間を過ごすロナ。
自然に身を置きつつ、少しずつ自分自身の内面と向き合っていくが、過去に引き起こしてきた数々の出来事や、断片的に蘇る記憶が、彼女の心をなおも揺さぶり続けていく。
感想レビュー/考察

依存症を描くという、ほとんど不可能な挑戦
なんらかの依存症を映画にするのは、とても大変なことだと思います。
依存症当事者の視点を保ちながら、同じく苦しみ闘っている人たちが真実だと感じられるものにしなくてはいけません。
また、それでも映画として、劇として、ドラマチックにもしなければいけない。ただし搾取的でもいけないのです。
その点でノラ・フィングシャイト監督の手腕は見事だったと思います。
私はアルコール中毒ではなく、依存症経験もないですが、しかし当事者の痛みに触れることもできました。
また、周囲の人間が感じる怖さが不安、無力感なども痛いほど感じ取ることができました。
「システム・クラッシャー」から続く、監督のまっすぐな視線
ノラ・フィングシャイト監督といえば、やはり「システム・クラッシャー」が言及されます。
幼児期の虐待から非常に暴力的になってしまった少女と、彼女を囲む親や支援施設の職員たちのドラマです。
その映画では何よりもまっすぐさが素晴らしかった。
メロドラマにせず、現実的に救いにくいことを示す。システムの限界、少女に対して感じる怖さやいら立ち。
綺麗事ではない生々しさの先に、映画としての解放を残した素晴らしい作品でした。
その視点や手腕があるからこそ、今作も成功しているのかと思います。
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依存から“逃げ切る”物語 ― The Outrunというタイトル
主人公のロナは30手前の無職。大学の生物学修士号を持っているようですが、目に大きなあざを作った彼女には問題がある。
ロンドンのパブで閉店後も、目に入った酒をすべて手に取り飲み干していくロナ。
彼女はひどいアルコール依存症を抱えています。
今作は彼女がそこから脱却するというお話。原題となる”The Outrun”は、物理的に追い抜くとか逃げ切るという意味や、心理的に脱却する、振り切るなどの意味があります。
ロナが自分自身の問題から抜け出していく姿を描くということです。
回想と現在の断酒に向けての取り組みが交互に映されていく構成で、センターにいるシアーシャ・ローナンがとにかく強力です。
彼女がいたから、朧気なプロットの輪郭にもまとまりが出ているのではないでしょうか。
セルキーの伝承と、自然への回帰
実際気になってしまう点はいくつかありまして、全体のストーリーになんとなく関わっているような、でも微妙なところがあると思います。
例えば今回の舞台のオークニー諸島。
スコットランドにあるこの地域で伝わるセルキーの伝承はメンションされ、劇中でもロナがアザラシと向き合う、見つめ合うようなシーンもありました。
ただその伝承が、ロナの依存からの脱却に係るのか、何か彼女が変身していくことに重ねているのか。
ちょっと曖昧で意図の見えにくい面もありました。
自然と一体化する。海や風とともに、コントロールする。
そういったロナの姿を自分の人生の主導権を取り戻していく姿に重ねているのかもしれませんが。
海に入っていくシーンがあるのは、彼女を浄化、洗い流すって意味もありそうですが。

世界から距離を取るという治療
さて、舞台となっているオークニー諸島。この海とある意味で殺風景な背景だけの世界が作品の中でも好きなところ。
イギリスはヨーロッパから離れた島。そのイギリスから離れた島がオークニー諸島。そしてさらにそのオークニー諸島から離れた島が、ロナが最後に行きつくことになるパペイとい島です。
とにかく、外界からの物理的な距離がすさまじい。
ロナが全てから距離を置きたい、そして心も一度は話していくということがそのままに投影されています。こうして雑念や雑音、情報をとにかく絞り込むことによって、彼女は自分自身とより真っすぐに向き合うということですね。
さらに彼女は作中、よくヘッドフォンをして音楽をかけている。ここにきてさらに音までも遮断しているのですが、それは彼女がふさぎ込みすぎていることにも見えます。
聞いているのもテクノっぽい音楽だったりと、穏やかでもないのです。
髪色で語られる、ロナの心の変化
彼女の心は閉じていて、そして変わっていこうと奮闘する。それがロナの髪の色にあると思います。
ロンドンで荒れていた頃の髪はブルー。そこで断酒のためにオークニーに戻った時は、少しだけ自分を取り戻したブロンドに、毛先にはブルーがまだ残っている。
移り変わりと過去を引きずる様子が髪に現れています。
依存症との戦いの先に、ロナの髪の色は新しいオレンジになります。全く新しい彼女の再スタート。そういう意味での髪色表現が素敵でした。

依存症は、本人だけの物語ではない
苦しんで、変化していくロナ。演じるシアーシャ・ローナンの独壇場たるこの作品ですが、その主演の素晴らしさ以外にも、やはりノラ・フィングシャイト監督が周囲位にいる人の真実を見せてくれます。
ロナの恋人、デイニンや両親の描写がすごくいいと思います。
ロナだけがフォーカスされていれば、当人としての苦しさで終わるでしょう。ただ依存症はそれだけではない。周囲にいる人間も、とても大きく傷つくのです。
酔った彼女の荒れ具合や罵詈雑言も聞いていて辛いですが、そこに本音を感じてしまったり。。。
また、辛い状況陥っている目の前の恋人、娘に対して、自分が何もできないという悔しさや無力感も感じます。
救う側の痛みまで描き切る誠実さ
デイニンは限界を迎えて、一時ロナと距離を置く。それでもロナが暴行された際には病院に来てくれるくらいに、心の底では彼女を心配しているのです。
しかし、そんなデイニンに対して、久しぶりにあえたロナは「少し飲みにいかない?」と誘ってしまう。その時のデイニンの、裏切られたような、ここまで来ても変わってくれないことへのやるせない気持ち。
そういった周囲の人の苦しみもまっすぐ描いているのが素晴らしいところです。
救いを必要とする人間の生々しい痛みに加えて、その周囲で救おうとする人の偽りない辛さも描きこむ。ノラ・フィングシャイト監督の作家性ってここにあるのでしょう。
素晴らしい主演と、メロドラマにせずに難しい題材を、すごく平等な目線で描き出して見せた秀逸な作品でした。
ノラ・フィングシャイト監督はまた次の作品も楽しみですね。また今作で製作にも乗り出したシアーシャの俳優以外の領域での活躍も期待です。
今回の感想はここまで。ではまた。


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