「君は行く先を知らない」(2021)
作品概要
- 監督:パナー・パナヒ
- 脚本:パナー・パナヒ
- 製作:ジャファル・パナヒ、パナー・パナヒ
- 音楽:ペイマン・ヤザニアン
- 撮影:アミン・ジャファリ
- 編集:アミール・エトミナン
- 出演:モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ラヤン・サルアク、アミン・シミアル 他
イランの荒野を車で旅する家族の姿を描いたロードムービー。監督はパナー・パナヒ。
1995年の「白い風船」、2000年の「チャドルと生きる」、そして2015年の「人生タクシー」など、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの三大映画祭で栄冠を勝ち取ったジャファル・パナヒ監督の長男です。
父の映画制作現場で経験を積んだパナー監督が満を持して長編デビューを果たした作品になり、カンヌをはじめ世界各国の映画祭で高い評価を得ています。
ジャファル・パナヒ監督は「人生タクシー」を見に行った覚えがあります。芸術の創作活動の禁止下でも、タクシー運転手のふりして映画を撮り続ける魂の覚悟のできた方ですよね。
そのお父さんと共に映画にかかわってきた息子さんの監督デビューで、映画祭での費用化からの好評かとあれば観に行きたいわけです。
公開日が地元は少し遅かったので先週観てきた形になりました。
~あらすじ~
イランの大地を走る一台の車。
車内には、足にギプスをしている父が後部座席で悪態をつきながら、はしゃぐ幼い次男と共に旅をしている。
母は助手席に座り、カーステレオから流れる古い歌謡曲に身をゆだね、運転席では成人した長男が無言で前を見つめている。
次男がな署で持ってきた携帯電話を道端に置き去りにしたり、尾行者から怯えたり。何やら訳ありの旅。
途中で自転車レースの選手を車に乗せたり、余命わずかなペットの犬の世話をしたりしながら、一家はやがてトルコ国境近くの高原に到着する。
そこで長男は「旅人」として村人に迎えられ、この度の目的が明らかになっていく。
感想/レビュー
一緒に旅をしながら、今とこれからを理解していく
今作の冒頭において、荒涼としたイランの高原、道路の脇に車が停まっており、その車には4人の登場人物が乗っています。
音楽にシンクロしてギプスに落書きされたピアノを弾く幼い子、寝ているおじさんが映され、後ろからは謎の青年が歩いてくる。
開けっ放しの窓からは時折通り過ぎていく車の音が入ってきますが、その騒音が少しびっくりするような音でスリリングさをもたらしています。
青年は中を覗き、水の入ったペットボトルを取って飲み始める。
この瞬間から、彼らが何をしていて、どのような場所に辿り着くのか、どんな結末を迎えるのか。
全く予測できない状況で引き込まれました。
物語が進んでいくと、車内の後部座席で足にギプスをした男性が父親、助手席で眠っている女性が母親であることが明らかになります。
そして、車内で元気に騒ぐのは彼らの次男で、なぜか携帯電話を持ってきたことで叱られてしまう。(これもまた少しスリリングさを煽る。)
車内には1匹の老犬もいます。さらに、車の外にいるのは長男であることも分かります。
まだ分からない要素が残され、時間の経過とともに人間とその関係、現状が少しづつ見える。なんとも映画という時間の箱舟らしい構成です。
ちなみにこのOPの人物の位置関係は、彼らの運命を示唆します。
父と母、次男は社内つまり国内に残り、兄は社外つまり国外に行ってしまうってことですね。
旅の中では時折、イランの高原や砂漠など心を奪われるような絶景も登場し、美しさの中で人物の心の寂しさも感じさせる要素で素敵でした。
個人であり普遍でもある
作品内の人物には全然名前がありません。
父、母、長男・・・みんなが名前では呼ばれない。
そこに確実に個性はあるし、個人としてドラマが成り立ちつつ、名称が省かれることで普遍的な家族の物語としても受け取れますね。
家族の関係性は随所に入れ込まれるからかいと揶揄を含んだ皮肉交じりのセリフで構成されます。
静かでミニマムなセリフから、本物が出てくる
セリフはすごくミニマム。少ないという意味ではないかもしれません。
そのセリフの規模が仰々しさとか映画っぽさがないのです。
他愛もない家族の会話。本当に家族の旅に傍観者としていた時に聞こえてきそうな、何の変哲もない会話なのです。
しかしつまらなくはありません。むしろこんなレベルで会話を生み出しセリフを構築するのは難しいはず。
嘘くさくならないように、でも、演劇っぽくてもダメ。
家族の関係性を表現するのに素晴らしく、またところどころに哀しい運命を感じてもしまう。
「最後の最後で・・・」から今後お兄ちゃんには誰も二度と会えないという不安がほのめかされます。
一家は家も車も失っていることもわかる。
そしてそこまでしても兄をどこかへ行かせる必要がある。
携帯の件、ついてきた車への警戒心の強さ、謎の男の件。危険の伴う旅でもあることが分かってきます。
なんどとなく笑い、皮肉りあう。
でもたまに、母は悲しみに打ち震える顔をして、父は鋭い目で家族を見る。
最後の別れだとすれば、くさい演出もできる。でも、パナー監督は家族にあくまでいつもどおりっぽいセリフと演出を与えています。
悲しい時ほど、悲しみたくないのです。それってすごくリアルですよね。
心の代弁とイランの現在に刺さるミュージカル
映画の中ではこんなにもリアルな旅を描きつつ、楽曲を使用して家族が歌い始めるシーンがあります。無邪気な次男が急にカメラ目線で曲に合わせて歌い始めたり。
不思議な演出ではあるのですが、ここはセリフ外に込めているセリフなのかもしれません。
楽曲はいずれもイラン革命以前のものだそうです。
そして革命によって言論統制などが敷かれ、どうしても国外に逃げるしかなかったようなアーティストのモノだとか。
つまり、これらの楽曲は現イラン政権からすれば使ってほしくないものですね。そして、より自由であった時の音楽でもあるわけです。
今作の旅は背景にこのイラン政権による抑圧と弾圧を持っています。
これらはパナー監督が父のジャンル監督やその他上の世代の闘いを観てきたゆえのモノと思います。
「2001年宇宙の旅」が好きだという長男。
作品は完全統制型のAIに危機に陥れられる話ですから、やはり体制への批判もあるでしょう。そして旅である点もこの映画と同じ。
しかし、神秘的でありながらどちらもどこに繋がっていくのか見えない不安を抱えています。
長男の話を聞く母の切ない顔が忘れられない。
ギプスをしていて不自由さがある父。彼の状態は硬直化してしまって保守的になった彼の世代、今のイランを示しているのでしょう。
だからこそ厳しい目でも見つめていて、次の世代の身を案じている。
長男がこの先どうなるのかも分からないですし、次男がこの先イラン国内で暮らしてどうなっていくのかも不明です。
少し怖さもある作品ですが、中心に愛が炸裂している。それが救いかと思います。
こぼれ出そうな涙を叩き抑え、笑顔で愛を歌う。
これまでジャファル監督の下で観て、感じてきた光景と闘いをここまで見事に昇華したパナー監督の初長編作品は、今後イランの代表的な次の世代という輝きを持っています。
素晴らしい作品でおすすめです。
今回の感想は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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