「イノセンツ」(2021)
作品概要
- 監督:エスキル・フォクト
- 脚本:エスキル・フォクト
- 製作:マリア・エケルホフド
- 製作総指揮:アクセル・ヘルゲランド、セリーヌ・ドルニエ、デイブ・ビショップ
- 撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロブレン
- 美術:シモーネ・グラウ・ロニー
- 音楽:ペッシ・レバント
- 出演:ラーケル・レノーラ・フレットゥム、アルヴァ・ブリンスモ・ラームスタ、ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム、サム・アシュラフ 他
「テルマ」や「私は最悪」の脚本を務めていたエスキル・フォクト監督が、超能力を手に入れた子どもたちのひと夏の遊びとその暴走をスリリングに描いた作品。
主軸となったのは子役たちですが、皆が素晴らしい演技を見せ、皆が本国のノルウェーのアカデミー賞であるアマンダ賞で最優秀主演部門ノミネート。
作品自体も監督賞、撮影賞、音響賞、編集賞と4冠を獲得しています。
もともとは2021年の映画であり、エスキル・フォクト監督は同年の「私は最悪」でアカデミー賞脚本賞にノミネートしていました。
作品自体実は知らなかったのですが、劇場で予告が流れてかなり引き込まれました。超能力暴走タイプも好きですし、いわゆる北欧ホラーも最近かなり勢いを増していますしね。
公開週末に観に行き、意外にもかなり混みあっていました。
~あらすじ~
ある団地に一家で越してきたイーダ。
時期としては夏休みのため学校に行くこともなく、引っ越し後の様々なことで両親も忙しい。
自閉症の姉アナの世話を頼まれることも多く、イーダは不満もありながら団地内や近くの森で一人遊びをしていた。
そんな時、イーダは同じく団地に住んでいるベンと出会う。彼は森の中でイーダに不思議な力を見せてくれた。
小さいものではあるが、念能力で物体を動かしたのだ。
ベンと力を使いながら遊びをして過ごしていると、ほかにもアイシャという子が同じような力でテレパシーを使えることが分かり、姉のアナもそれでアイシャと繋がることができていた。
4人は能力でできることを徐々に強めていきながら遊んでいたが、ベンは動物や人を傷つけるような危険さを見せ始めていた。
感想/レビュー
北欧の柔らかな光に包まれた「童夢」
団地の中で超能力を使った子どものバトル。
最終的な戦いの点はまさになのですが、大友克洋さんの「童夢」を彷彿とさせる作品です。
そして超能力を得た子どもたちの友情と各家庭事情からめての崩壊という点では、その「童夢」やまた「AKIRA」にも影響を受けたであろう、ジョシュ・トランク監督の「クロニクル」にも通じるものがあります。
超能力の起源や、そこからどこかへと向かうというストーリーではなく、持て余す力に環境の条件がそろったときに起きてしまう悲劇とも思えるドラマ。
心に平穏を与えることをせず、絶えずなにか底しれない不安を置き続ける。
それは不穏として確立されていて観客の心にざわめきを与えていますが、全体に北欧の柔らかな色彩、明るさなどもここではコントラストとして良い要素です。
暖かい画面ほどにスリラーとして効果的なのは「ハッチング 孵化」にも感じた要素です。
暖色を多く使い明るさもある、エッジを効かせる撮影でもなくソフト。
残虐性が引き立つのですね。
青春的要素もありながら、大人の不在を際立たせる
ストーリーとしては別に超能力の起源を巡るわけでもなく、もちろん子どものヒーロー映画でもありません。
ただ親、大人たちの管理や保護、関心から外れたところで、どんどんと力をつけていく子どもの姿を描いています。
それは普通に青春と言っても良いかもしれないですね。
10歳以降になり親から離れて自分自身の領域、自分だけの友人を作っていく。
ただ今作はそこに、大人の関心の欠如を社会問題として提示しているのかもしれません。
残虐性が育っていくのは子どもゆえの無垢さ、善悪のない純粋さからとも捉えられます。
ベンジャミンの加速度的な力の誇示、加害行為も背景にあの母親があることが分かります。
またOPでのイーダのアナへの暴行、その後の靴の中にガラスを入れる行為。
気に入らないことや自分の防衛に対するリアクションとして行われ、本来はそれが大人によって判定されるはず。
線引を自分でできる子はいないでしょうから。
しかしイーダの場合、両親の関心は常にアナに向いている。アナが何をしているかは気に留めつつ、イーダのことはそこまで目を向けていません。
ベンジャミンはなおさら、親の強烈さが見えます。
共感と善悪を学ぶ機会のない子どもは・・・
善悪、共感すること、他者の気持ちを推し量ること。それらを教わる間もないままに、超越した子どもたちが暴走していく。
イーダはベンとアナの喧嘩から、アナに感情があり痛みを感じていることを知ります。
そこで彼女は変わっていったのだと思います。
ただベンジャミンは孤独のままに、痛みを分かち合う相手すらいない。
だから自己防衛的に能力を破壊と加害に加速させていき、それが原因でさらに孤独を深めていってしまうのです。
子どもとは善悪すらも超えた存在だと捉え、そこに大人の無関心という社会的な要素を入れ込んだ超能力映画。
全体にかかる不穏さ、明るいのに不気味という北欧ホラーのテイストも存分に楽しめました。
今回はこのくらいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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