「アダン 禁断の果実」(2019)
作品概要
- 監督:ローマン・ペリッツ
- 脚本:ローマン・ペリッツ、ヤム・ララナス
- 製作:ヤム・ララナス
- 音楽:フランシス・デ・ヴェイラ
- 撮影:アルバート・バンゾン
- 出演:レン・エスカノ、シンディ・ミランダ、ベンボル・ロッコ、エピ・キゾン 他
山奥で父と暮らす少女と、彼女に思いを寄せる友人。父の抑圧に対して起こした行動から二人の運命を描くフィリピンのスリラードラマ。
主演は「それぞれの記憶」などのレン・エスカノ、「MARIA/マリア」などのシンディ・ミランダ。
監督はローマン・ペリッツ。
日本での劇場公開はされていないフィリピンの作品で、アマゾンプライムビデオで配信されていました。
なんとなくスクロールしていたらおすすめの中にあって、全然見たことのないフィリピンの映画というのもあって鑑賞してみました。
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~あらすじ~
フィリピンの山奥の農家。
母が一家を去り、少女だったエレンは父と残された。
それから10年ほどが経ちエレンも成長しているが、この山奥で彼女のすることは父の食事の用意や家畜の世話、農業の手伝い。
数少ない楽しみであるラジオも電池が無くなり聞こえなくなってしまう。
エレンの唯一の外の世界とのつながりは、少し年上の友人であるマリアンだけ。
町で暮らしているマリアンはたびたびエレンのもとを訪ねて来てくれる。
しばし仲良く過ごす二人であったが、不作と借金に苦しむ父のある行動がエレンを突き動かし、事態を大きく変えてしまう。
感想/レビュー
フィリピンの映画には疎くて、その面では社会背景などは汲めません。
ただ今作は行き詰まりから逃れ出ようとする少女と、女性に対して抑圧・搾取的な仕組みなど、普遍的題材となるものへのアプローチに思います。
個人的にはフェミニズムの香りも感じますが、社会問題を取り上げるまでは行かずとも、うまく混ぜたエンタメでしょう。
細やかな描写での関係性
エレンとマリアンのロマンスとしては小さな描写が好きでした。
もともとエレンにとっての外の世界への渇望の象徴であったラジオ。
そのエネルギーがなくなってしまったときに、再び息を吹き込むように電池をくれたのがマリアン。
通信する携帯も同じです。
マリアンはエレンにとって自分を山小屋から救い出してくれる存在だったでしょう。
ただ、マリアンの登場の仕方は、恋人としてというよりも、母の声に重なるものでした。
だからエレンが寂しく感じていた母の不在を埋める存在でもあると感じます。
実際、生理についてマリアンがエレンに教えてくれ、母親のような役目も果たします。
一方でマリアンの方は単純な一目惚れなのか、セクシュアリティに関わる部分のみが浮いて見えました。
抑圧される女性
エレンが父に、労働力や使役するための存在としての娘にされていたように、システムにおいて喰い物にされるところが、マリアンの主な立場かもしれません。
マリアンは職場で罪を着せられる。
まず初めに疑われるという公平さのなさも嘆きたくなりますが、疑いを漬け込む道具にしてくる警察署長もとんでもないクズです。
エレンが個人的な抑圧者に対抗したなら、マリアンはシステムに逆襲していました。
強めの性描写
そんな二人の抵抗の連帯ですが、ロマンスとしてはやたらとセックスシーンというか性的なシーンが多い印象です。
ポルノかなんかかと思いましたが、それはフィリピンのロケ地など舞台が持つ空気のせいに思います。
湿気ですね。濡れてる。
引きのショットとはいえ結構攻めた性描写もあり、生々しいなと思います。
月と薪の明かりに照らされたプロポーズとか素敵なシーンではありましたけど。
互いしかいないからこその悲劇
うまく抜け出せず、搾取され行き詰まり追い詰められた互いが行き着く末路は、なんだか切なくも思いました。
あそこまで行くのは、二人とも本当にこの世界でお互いしか自分の理解者がいないと思うからでしょう。
最後の最後の味方が、自分の方を向いていないという絶望と悔しさ。
何度も映される寝ている二人の俯瞰ショット。画面内で分かたれることはなく、しかし悲しい結末でした。
アジアの独特な曇り感、湿気が、閉塞した女性二人の悲劇に良い味わいを出しています。
社会問題提起に至らない点や性描写が変に強めなところがバランス悪くも感じましたが、楽しめました。
今回はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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