作品解説

デンマーク映画界を代表する監督・脚本家アナス・トマス・イェンセンが、長年の盟友マッツ・ミケルセンと再びタッグを組んだヒューマンドラマ。
記憶を失い、自らをジョン・レノンだと思い込む男を主人公に、喪失と再生、家族の絆をユーモアと哀愁を交えて描きます。
主演は、数々のイェンセン作品に出演してきたマッツ・ミケルセン。主人公マンフレル役で、どこか危うさと愛嬌をあわせ持つ人物。
弟アンカー役には、同じくイェンセン監督作品の常連であるニコライ・リー・コスが出演。さらにソフィー・グロベル、ソーレン・マリンら実力派キャストが脇を固めます。
2025年には第82回ベネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映され、本国デンマークでは実写映画の歴代興行収入記録を更新する大ヒットを記録しました。
スタッフ
- 監督:アナス・トマス・イェンセン
- 製作:シーセ・グラウム・ヨルゲンセン、シーゼル・ヒブシュマン
- 脚本:アナス・トマス・イェンセン
- 撮影:セバスチャン・ブレンコー
- 美術:ニコライ・ダニエルセン
- 衣装:リッケ・シモンセン
- 編集:ニコライ・モンベウ、アナス・エスビャウ・クレステンスン
- 音楽:イエッペ・コース
キャスト
- マンフレル:マッツ・ミケルセン
- アンカー:ニコライ・リー・コス
- マグレーデ:ソフィー・グロベル
- ヴェアナ:ソーレン・マリン
- フレイヤ:ボディル・ヨルゲンセン
- フレミング:ニコラス・ブロ
- ローター:ラーシュ・ブリグマン
~あらすじ~

強盗事件で服役していたアンカーは、刑期を終えて出所し、15年ぶりに兄マンフレルと再会する。
事件当時に隠した大金のありかを知る唯一の人物だったマンフレルだが、記憶を失い、自らをジョン・レノンだと思い込んでいた。
失われた金の入ったバッグを探すため旅に出た兄弟は、その道中で過去と向き合いながら、自分たちの人生や家族との絆を見つめ直していく。
感想レビュー/考察

アナス・トマス・イェンセン監督が描く、暴力と救済の物語
アナス・トマス・イェンセン監督というと、前作は「ライダーズ・オブ・ジャスティス」です。
そちらでは極右組織のテロで家族を失った男たちが、少しシュールさもあるバイオレンス復讐劇を繰り広げつつ、暖かな人のドラマが刻み込まれるとてもいい映画でした。
今作も根底は似ているのかなと思います。
暴力やマッチョな解決策、つまり非常に良くない形でのマチズモ、有害な男性性の中で男たちがもがき、解放されていく様を描いているのです。
今作では主人公アンカーが、武装強盗というとてつもないゴリゴリのバイオレンス犯罪者です。OPに事件を起こし、奪った大金を隠しながら面倒ごとを家に持ち込みつつ、自分は投獄されてしまう。
そして15年もの服役期間を終えて、家に戻ったものの、もちろん本人は犯罪から足を洗ってはおらず、兄に託していた大金を自らの手に取り戻そうとするのです。
そしてもちろん、その暴力の渦からアンカーは逃げられてはおらず、ローターという粛々と暴力をふるう男に狙われていく。
この根源にある暴力の連鎖は、テーマ的にはクリント・イーストウッド監督が描き続けてきたことにも似ています。
ただ監督の持ち味としては、シリアスになりすぎないシュールなユーモアと、対比的にもかなり残酷に映り込む容赦のないバイオレンスです。
そのテイストの混合とシーソーに観客は感情を揺さぶられながら、笑いながらも恐れていく。
笑ってコメディとして見守っている仲に、確実に迫る惨たらしい暴力の影。
そのコントラストがあるから、より登場人物たちの行く末を案じて行けるのだと思いました。

暴力から抜け出せないアンカー──父から受け継いだ呪縛
主人公アンカーは過去の出自から危険な男になりました。
武装強盗を働き、罪を償うために服役はするものの、真に赦しを得ようとはしていない。
アンカーを演じるニコライ・リー・コスは映画全編を通してほとんど表情を変えません。無表情ではなく、いつも怒りを抱えているような表情です。
彼は兄のマンフレルと共に、過酷な父からの虐待を受けて生きてきた。
身を守るために武装し、敵意を向け、避け離れたかった父のように暴力の世界に生きることになったのです。
今作を通して、このアンカーの変化、リアクションが重要に思いました。暴力と怒りに支配された男が、自分の罪を認めていく、そんなドラマです。
ジョン・レノンを名乗る兄マンフレルが背負う心の傷
しかし、マンフレルはもともと精神的な疾患もあるのか、身を守るすべがない。
よりどころのない彼は、マンフレルを守るためのかわり身として、ジョン・レノンという存在を作り出したように思えます。
環境から人格を守るべく、もう一つの人格を作ったのかなと。
マンフレルは受けた敵意や害に対して、自傷行為で処理をする。
アクロバティックすぎて笑えるところがまた絶妙なバランスですが、ダイナミックな途中下車。窓からの外出。
マッツ・ミケルセンが非常に危うく目を離すと何が起きるか怖いマンフレルを好演。何かしでかすと言うよりも、自分を傷つけてしまうことへの恐れです。
ただ実はアンカーもまた自傷行為をして怒りや苦しさを処理していると思います。
彼は劇場に駆られると机や地面を殴りつける。自らの拳が血を流してもそれをやめません。それはアンカーなりの自傷行為に見えました。

傷ついた男たちが集う、奇妙で優しいユートピア
世界との付き合い方や感情の処理の仕方が難しい男たち。
男としての有害なマチズモに囲まれた彼らが、トラウマでもある実家に帰りつつ、そこで他にも壊れてしまった男たちとバンドを組む。
ゴリゴリのメタルとかではなくビートルズを組むあたりに、やはりマチズモからの逃避が見えました。
森の家で出会うのも、作家ながら作品が書けない、ある意味で機能不全に陥った男、そして彼との愛情関係に確信と安心が持てず、不倫しようとしてしまう彼の妻。
バンドのメンバーも、中東出身の俳優が印象的です。彼は自認と世界から見た自分のギャップを象徴します。
ホロコーストについてやたら言及するというのも、おかしな男ながら人類史上もっとも邪悪な暴力を出すことで、やはり主軸には有害な男性性が置かれていると思いました。
暴力の化身・ローターが突きつける現実
限定的なユートピアのなかで、アンカーの暴力の連鎖であるローターが近づいてくる。
コミュニケーションの一発目が顔面パンチというイカれ野郎ですがおもしろいながら普通に怖い。
まさに暴力に化身でありアンカーやマンフレルたちにつきまとう概念のようです。

家族への愛だけが、暴力の連鎖を断ち切る
暴力に苛まれ、罪を背負い生き、あがいても結局は暴力に付きまとわれる兄妹の行きつく先は、家族の愛情でした。
暴力の理由に違いがある。自分勝手なものではなく、弟を、兄を、守るためだった。暴力によって人生がゆがめられてしまっていても、染まってしまっても、何のためにそうなったかが重要なのです。
バイキングは暴力的な意味があります。マッチョの極みみたいな。それでも、バイキングの中で家族への愛を優先し、奇妙でも平和を得ていった。
その寓話がそのまま現実に投影されたような話。
ニコライ・リー・コスが終始厳しい顔つきだったところ、溜めて溜めて最後に見せる笑顔が飛び切り輝くラストは、本当に素敵でした。
ヘンテコな笑いと、思っている上を行く酷さがある暴力描写で、やや取っつきにくかったりしまうけど、寓話的な運びでみせる暴力の連鎖とそれを断ち切る家族の愛情のドラマがすごくいい映画でした。
今回はここまで。ではまた。


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