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「ダーティ・ハリー」”Dirty Harry”(1971)

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映画レビュー
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「ダーティ・ハリー」(1971)

作品概要

  • 監督:ドン・シーゲル
  • 脚本:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク、ディーン・リーズナー、ジョン・ミリアス
  • 原案:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク
  • 製作:ドン・シーゲル
  • 製作総指揮:ロバート・デイリー
  • 音楽:ラロ・シフリン
  • 撮影:ブルース・サーティース
  • 編集:カール・パインジター
  • 出演:クリント・イーストウッド、アンディ・ロビンソン、ハリー・ガーディノ 他

「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」などのドン・シーゲル監督と「荒野の用心棒」などでスターへ上ったクリント・イーストウッドがコンビを組み、型破りな刑事が連続殺人鬼を追う映画。

シーゲルとイーストウッドコンビ誕生の名作であり、アンチ・ヒーローの典型が作られた映画でもあります。

正義のために一線を越えるヒーローは、衝撃的なものでした。

イーストウッドの代名詞となりシリーズ化され、自身も4作目を監督。

台詞や44マグナム、キャラハンという存在など多くの影響を社会や映画に与えたものです。

また今作で殺人鬼のスコーピオン(さそり座の男)を演じたアンディ・ロビンソンはその開園から非常に強い存在感を示しました。

この役のイメージが抜けきれずにのちのキャスティングやオーディションで苦労したそうですね。

初めて見たのはたぶん午後のロードショーだったかと思います。小学生のころに観てクールながらも残酷なキャラハンにおっかなびっくり。でも44マグナムは子どもながらにあこがれの銃でした。

その後何度も観て、ブルーレイも買い、シリーズも高校までには全部鑑賞。せっかくなので感想を残します。

~あらすじ~

サンフランシスコでプールで泳いでいた女性が狙撃される事件が発生。

その捜査には「ダーティハリー」と呼ばれる一匹狼のキャラハン刑事が当たることに。

犯人は自身をスコルピオと名乗り、サンフランシスコ市警が金を払わなければ毎日一人づつ人を殺していくという挑戦的な手紙を警察に送り付ける。

異常者を相手に市警は及び腰で、金を用意するが時間を稼ごうとしたところ、スコルピオは犯行を重ね、子どもまで撃ち殺した。

キャラハンはこの男を強硬手段で追い詰めるべきと主張し包囲網を貼り追い詰めるのだが、捜査に令状がなかったこと、またキャラハンが誘拐された少女の居所を聞き出すために拷問じみたことをしたことが不利に働く。

なんと違法捜査としてすべての証拠はその能力を失い、スコルピオは釈放されてしまうのだった。

感想/レビュー

シーゲル監督のドライなバイオレンスが炸裂する傑作なのですが、ラロ・シフリンのクールなサウンドトラックに、ブルース・サーティースの撮る霧と闇、ネオンの光に照らされる人物なども最高にカッコいい。

OPからクールなテーマ曲がかかり、その中でセリフもなくアクション、映像だけで舞台セッティングをしてしまう手際の良さが光っています。

理不尽な悪が現実には存在する

正義の警官が悪人を逮捕するドラマとは違い、徹底的な社会投影がなされている本作。

まず犯人であるスコルピオのキャラクターが興味深いです。

犯人が最初からわかる上、自ら警察とやりあおうとする自意識過剰さと、犯行の狡猾さや残忍さ。

異常者でありながら、うまく法を盾にする姿は従来の悪役とは違います。

モデルはクロニクル紙に手紙を出していた連続殺人犯ゾディアックのようですね。フィンチャーが映画化していました。

当時のアメリカ社会において現れるシリアルキラー。自分の殺人をゲームとして盛り上げる異常者とそれに対処できず犠牲者を増やしてしまう警察。

反抗内容も無差別な狙撃、女子どもも手にかけ、さらに14歳の少女をレイプした挙句生き埋めにするという畜生っぷり。

観客には至極憎らしい悪役なわけですね。

と同時に、シーゲル監督はこのスコルピオに背景を与えません。正体がどうとか動機がどうとかもない。ただ純粋なる悪が存在するということ。

そこには理性や論理など通用しないわけであり、まさに現実において犯罪、暴力に巻き込まれるとはそういうことなのです。

社会に求められてスクリーンに現れたアンチヒーロー

そんな社会が求めたのがハリー・キャラハン刑事だったのです。

汚い仕事もする:ダーティハリー。

一匹狼で当たりが強く、平気で差別用語を吐き出す男。しかもホットドック片手に人を撃つような男です。

それでも果たされない正義のため、踏みにじられる被害者のため、法や制度を待たず、時には無視し悪を裁く。

全く異なるヒーローが生まれました。

キャラハンの憎悪

「今日はツイてるか?」”Do I feel Lucky?-Well, do you punk? “という台詞から見えるのは少し恐ろしいくらいの悪への憎悪です。

もちろん序盤のけがを診てもらうシーンと、のちにチコの奥さんと話をするところからキャラハンのこの憎悪の根源が覗けます。

酔っ払い運転に巻き込まれて事故死した妻。

そう、まさに理由も論理もなく理不尽な暴力によって犠牲になっているんです。

またスコルピオを撃ち、その傷を踏みつけながら尋問する、もはや拷問と言える手段。映画では闇に包まれたスタジアム。

ライトが付けられ、遠くからのショットの中スコルピオの叫びが響く。主人公の活躍シーンなのに、ただ不気味で爽快感のないシーン。

なんとも面白いですし、ふと暴力への疑問も浮かんでくるような作りです。

結局その行為が加害者人権や捜査正当性に触れてしまうのですが、キャラハンにはクズより救いたい被害者がいるのです。

さながら「荒野の用心棒」(1966)のガンマンのように、橋の上に斜めに立つイーストウッドを、少し遠くから撮るショットの見事なカッコよさが堪能できる、ラストのアクション。

司法ではなく自らのルールで決着をつける

クライマックスは印象的です。人質を取られてもためらいもせず引き金を引くキャラハン。

今までのヒーローには考えられない行動です。

「真昼の決闘」(1952)で、ゲイリー・クーパー演じるケインが花嫁であるグレース・ケリーを人質にされてひるむシーンがありますね。普通はそうです。

関連してケインと同じく最後は警官バッジを川へ捨ててしまうキャラハン。その輝く星になんの正義も宿っていないことに失望したのだと思います。

キャラハンは社会的なルールや法律、警察の起訴システムなどではなく、まるで荒野にいたガンマンのように、自らのルールに従い成すべきを成したのですね。

映画にアンチヒーローが出てくるとき、現実社会は?

正しいことがなされないとき、民衆に代わり徹底的に悪を潰す人物が必要なのです。

ダーティハリーはこのころの人々が必要として生まれたアンチヒーローだと思いますね。

この先も現れるアンチヒーロー。

日本では加害者を守る意味では少年法が問題になります。残忍な事をしても名も知られず守られる犯罪者に鉄槌を下す。

そういう映画もありますがやはり民衆の欲求がベースにあるんでしょう。

こうした社会が求めているヒーローには、キャラハンに続きブロンソンの「狼よさらば」があり、また割と最近でも「アウトロー」のジャック・リーチャー、さらに「イコライザー」のロバート・マッコールなどが登場しています。

スクリーンでのヒーローの在り方は、現実に影響される。興味深いものです。

そんなこんなで感想はおしまいです。

マグナムを構えるイーストウッドのカッコよさだけでも観て欲しい1本です。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

ではまた。

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