「ロッキー・ザ・ファイナル」(2006)
- 監督:シルベスター・スタローン
- 脚本:シルベスター・スタローン
- 製作:チャールズ・ウィンクラー、ビリー・チャートフ、デヴィッド・ウィンクラー、ケヴィン・キング
- 製作総指揮:アーウィン・ウィンクラー、ロバート・チャートフ
- 音楽:ビル・コンティ
- 撮影:クラーク・マシス
- 編集:シーン・アルバーソン
- 出演:シルベスター・スタローン、バート・ヤング、ジェラルディン・ヒューズ、マイロ・ヴィンティミリア 他
1976年に映画史に登場し、アンダードッグスポーツ映画の伝説として輝く「ロッキー」。
シリーズはその後5作品続き、ひとまず1990年の「ロッキー5/最後のドラマ」で幕を引きましたが、そこからさらに16年の時を経て再び描かれたのがこの作品。
今回スタローン自身が監督を勤めながら伝説のボクサー、ロッキー・バルボアを再び演じ、またポーリー役のバート・ヤングも出演。
またロッキーの息子役にはマイロ・ヴィンティミリアが出ています。
そもそもシリーズ自体は既に終わっていたわけですが、スタローンの熱意によってもう1作ということで、こちらが完結編として製作されました。
当時はロッキーというと自分が生まれる前の映画だったのが、リアルタイムで新作ということでちょっと嬉しかったことは覚えています。
北米でももう過去のものと思われていたようですが、公開後にはその内容の思わぬ良さから好評。
初めて見たときからずいぶん経って、何度かBlu-rayも鑑賞していましたが、今回は初めて感想を残そうと思います。
かつてボクシングヘビーウェイト級のチャンピオンであったロッキー・バルボア。
彼も今は歳をとり、自分で経営するイタリアンレストランで客に昔話を語って静かに暮らしている。
妻エイドリアンに先立たれ、その悲しみを拭いきれない彼を、昔からの親友で義兄でもあるポーリーは心配していた。
ロッキーには息子がいるが、偉大すぎる父を重荷に感じたのか、成人し独立すると地元を離れてしまった。
そんなある日、TVでコンピューター算出したデータにより、現代のボクサーと過去のボクサーを戦わせる企画が目に入る。
お遊びの企画ではあるが、それを見ていたロッキーの中で、ボクサーとしての何か熱いものが込み上げてきた。
この作品が大好きです。
ロッキーシリーズが好きだということもありますが、映画のメディアを越えて、観客の心に宿り、またこの現実世界に存在していると言っていい存在、ロッキー・バルボアが好きだからです。
単純な映画として観ることができないというのが本音でしょうね。
映画の人物は歳をとらないものですが、ここでスタローンは年老いたロッキーを赤裸々に見せています。
現実のスタローンよろしくみんな歳をとっていくのです。
哀愁漂い、イタリアの種馬のハングリー精神はもう感じられないバルボアが、フィラデルフィアの町で暮らすその様だけで、時の流れというものを嫌でも感じます。
ここが、シリーズものの特徴であり、非常に密接に観客の人生の時の流れと接するところ。
単作ではなくて連続する、それも実際にかなりの年数期間を持った映画群としての効果が最大限に引き出されます。
ジャンプではない時の流れをアイコニックなキャラクターを通して見るとき、自分が歳をとったこともまた確かな手触りをもって感じられるからです。
そんなどうしようもなく避けられない接点をうまく使いながら、スタローンは輝かしい1作目を踏襲しつつ、素敵なドラマに仕上げています。
くすぶっているところ、現役のチャンプとのエキシビションマッチが転がってくる。それ自体は全く1作目の焼き回しではあります。
また、突っこみどころとか大味な部分というのも間違いなく存在します。完璧できれいな映画ではありません。
ただここに、いつの時代でも、そしてどんな世代でも大切にしてほしいメッセージが込められています。
その根幹にある心が、初めて1作目を観た時の感動に近いものをよみがえらせてくれる。自分はまだ、熱くなれるんだということを見せてくれるのです。
前半部分についてのざらつきはどことなく70年代風で、しかし最後のファイトでは本物の試合中継のようなクリアさや臨場感を持っているなど、技術的な面での楽しさもあります。
最終試合に関しては実際に殴りあったようで、それゆえにカットを割りすぎないことが可能になっていたり、その迫力も余すことなく伝わってきています。
そう考えると焼き回しになりすぎないようなアップデートもされているかと。
そして個人的には息子ロバートの存在とドラマが効いていると感じます。彼は親の強すぎる光がつらくて、距離を置いた存在です。
彼のパートを見ていれば、気持ちも痛いほどに分かります。それでも、どこかで逃げ口を求めていては変わらない。
ロバートに対してロッキーが思うのは、周りに勝つことではありません。
むしろ自分自身に負けないでほしいこと、自分で自分をあきらめないでほしいことです。
「人生はバラ色とは限らない。大切なのは、どれだけ強いパンチを撃てるかじゃない。どれだけ強いパンチを受けても、前に向かって進み続けられるかだ。」
1作目の脚本を書いたスタローンだからこそのセリフです。
優勝するとかトップに立つことがロッキー・バルボアの提示するメッセージではないのです。
ただ言い訳したり逃げたりせず、自分のことをあきらめないで頑張ること。その全肯定です。
たとえ周囲が笑っていようとも、恥さらしだといっても、君には資格がないといっても、やるかやらないかを決めるのは自分だけです。他人に決めさせてはいけない。
もうロッキーを通して人生の教訓が語られる教典のような作品です。
若い人にもそうですし、一緒に年を取った昔からのファンに対してもです。誰に対しても言えること。そして底抜けに優しい言葉です。
マチズモでもなく他人を蹴落とすようなことでもなく、努力を笑うなということ。
「なんでまだ続けるんだ。これ以上恥をかかせないでくれ。」
そう思われてしまうロッキーの再起には、一切の恥なんてありませんでした。
まったくもって素晴らしい有終の美だと思います。一人の俳優が演じてきたキャラクターで、こんなにも世界中に熱狂を巻き起こし続ける存在はいないでしょう。
試合のシーン。ロッキーの登場に観客がわきます。ロッキーのパンチに体を乗り出します。ロッキーのダウンに拳を握ります。
すごい力ですよ。現実にはいないボクサーですよ。映画なんです。それでもその嘘はもう、私たちにとって本物なんです。
だからこそ、あれだけ多くの人たちが、世界中の人たちがフィラデルフィアの階段を上る。
この作品、そしてロッキー・バルボアという人物に何かインスピレーションを受けるから。
原題はロッキー・バルボア。個人の名前になっています。この空想上のボクサーはどれだけの人を湧かしてきたことでしょうか。
どうにも現実とは切り離せないロッキー・バルボアを、現実を突きつける形での年数の厚みを持って語る。いつの時代も、彼はこの世界に生きている。
思い入れによってだいぶ印象が異なる作品かもしれませんが、私はすごく好きで見事なロッキーシリーズの完結作だと思っています。
この後に、魂を受け継ぐライアン・クーグラー監督の「クリード チャンプを継ぐ男」が続きますが、そちらも素晴らしい。
さて長くなってしまいましたが、今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた。
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