作品解説

失踪した娘を捜してモロッコの砂漠を旅する父と息子の姿を描いたロードムービー。
主人公ルイスを演じるのは、「パンズ・ラビリンス」のセルジ・ロペス。
監督・脚本は「ファイアー・ウィル・カム」で知られるオリベル・ラシェが務めた。製作にはスペイン映画界を代表する名匠ペドロ・アルモドバルも名を連ねている。
タイトル「シラート」が意味するもの
タイトルの「シラート(Sirât)」はアラビア語で「道」を意味する言葉。
イスラム教では、審判の日に天国と地獄の上へ架けられる細い橋を指し、人が救済へ至るか破滅へ落ちるかを分ける象徴として知られているそうです。
国際映画祭で高評価
2025年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、審査員賞を含む4部門を受賞。さらに第98回アカデミー賞では国際長編映画賞と音響賞にノミネートされるなど、世界的な注目を集めた。
スタッフ
- 監督・脚本:オリベル・ラシェ
- 脚本:サンティアゴ・フィロル
- 製作:ドミンゴ・コラル、ペドロ・アルモドバル
- 撮影:マウロ・エルセ
- 編集:クリストバル・フェルナンデス
- 音楽:Kanding Ray
キャスト
- ルイス:セルジ・ロペス
- エステバン:ブルーノ・ヌニェス・アルホナ
- ステフ:ステファニア・ガッダ
- ジョシュ:ジョシュア・リアム・ヘンダーソン
- トナ:アントニン・ジャンビエ
- ジャド:ジャド・オウキッド
- ビギ:リチャード・ベラミー
予告を見てからその世界観の意味の分からん感じが気になり、公開直後の評判がすごく良かったので鑑賞してきました。平日の夜の回に行ったのですが、結構人が入っていて混んでいました。
〜あらすじ〜

砂漠のレイブカルチャーを舞台に、家族の絆と喪失、そして現実と幻想の境界を描くロードムービー。
モロッコで暮らすルイスは、砂漠で開催されたレイブパーティに参加したまま消息を絶った娘を捜すため、息子エステバンとともに広大な荒野へと旅立つ。
山岳地帯から砂漠の奥地へと車を走らせ、ようやくたどり着いたレイブ会場で彼らを待っていたのは、音楽と熱狂、そして現実と幻覚が入り混じる異様な世界だった。しかし、そこに娘の姿はない。
わずかな手がかりを頼りに、父子は移動を続けるレイブ集団の後を追い、次なる会場へと向かう。
果てしない砂漠をさまよう旅のなかで、二人は娘の行方だけでなく、それぞれが抱える喪失や葛藤とも向き合っていくのだった。
感想レビュー/考察

「娘探し」ではなく、世界の理を描く映画
衝撃の映画体験とか、マッドマックスを超えるとか。
とにかく前評判が異常に高くて、ネタバレ厳禁も騒がれる話題作。
ただ個人的にはネタバレがどうたらということはないなと思いました。
確かに衝撃的なことが起こりますが、ミステリー的な犯人探しや、明らかになる真実はありません。
むしろ分からないという、ある感覚が強烈に観客を突き放してくるところが、衝撃的かつ今作最も力強い点です。
全体のストーリーこそ、いなくなった娘を探す父の物語です。
ただ、娘は見つかりません。なぜいなくなったかも分かりません。手がかりも出ません。
その点に関しては展開すらしません。
なら何の話なのか?
それはタイトルが示すとおりかと思います。
シラート。これは天国と地獄の境界線。髪の毛よりも細く、剃刀よりも鋭い。
私は今作はタイトル通り、世界は常に死と隣り合わせであることを描いたのだと思います。
娘の失踪はきっかけに過ぎず、またこの世界では失ったら取り戻せないことを示すのかと。

レイヴの共同体が見せる束の間の優しさ
今作の衝撃は中盤とラスト。
それまでの道のりはどちらかといえばそこまで危機を感じないロードムービーのようになります。
ただそこには後半の衝撃を強めるかのような、この世の温かさが描き込まれていました。
レイヴ自体には微塵も興味のない父ルイス。
彼に対してレイバーの人たちは結構親切に面倒を見てくれます。
距離を作っているのはルイスの方ですが、話しかけてくれるし音楽や踊りのことも教えてくれる。
「皆同じに聞こえる。騒音だ。」と言ってしまうルイスは結構保守的なのでしょう。
もしかするとそれが娘が彼の元を去った理由かも。
そんな交流のなかで、息子のエステバンは変化していく。
彼は自由なレイバーたちに対して憧れ、カッコいいと発言します。そしてチョコレートを分けてあげたいとも言う。
息子は交流を深めて親しくなれていき、父の保守的な姿勢との対比がより強く見えていくのです。
レイバーたちはみないわゆる普通の人々ではない。
彼らのルックはパンクロック風にも見えますし、ヒッピー的にも見える。そして彼らは手足が無かったり、セクシャルオリエンテーションもあいまいに見えます。
ストリートキャスティングで集められた彼らは、俳優ではないまさに世界にいる一般の人たちですが、いわゆる普通という枠ではなく、マイノリティに見えます。
そんな彼らが自由を求めていく、世界の渦から逃れて行こうとするたびに、保守的なルイスが同行し、次第に心通わせていくのです。
その様子は結構美しさがあり、眺めているだけでも満足感がありました。

突然訪れる地獄──エステバンの死
そんな風に、ここで一見うまく2つのコミュニティが融和するドラマになると思いきや、ラシェ監督はタイトルの意味を再提示します。
一瞬でも気を抜けば地獄に落ちること。この世は唐突な死が常に隣にいることを。
子どもと犬という、映画的な文脈では死んだり被害者になることの少ない存在が、一瞬にして死ぬ。
おそらく終盤の展開よりももっと衝撃的です。
エステバンと犬が車の中からこちらを見ていて、私たちは何もできないままその車が後退して崖から落ちていき画面から消え去る様を見ることになる。
これこそが地獄であり絶望。エステバンが死んだことに理由はない。ただこの世とはそういうものということ。
砂漠をさまよう父と、死の気配
息子を失ったルイスは口を閉ざし、絶望の中で砂漠を彷徨い歩く。
美しさをも感じる砂漠のシーン。
吹きすさぶ砂嵐と終わりの見えない情景に、父がひとり歩くショット。
もしも地獄が砂漠なら、こういう風景なのでしょう。

地雷原のクライマックスと「生き残る理由のなさ」
クライマックスはその砂漠が実は地雷原であり、一行は次々に爆死する。ただ地雷はどこにあるか分からず、一歩進むごとに死ぬかもしれないという恐怖が襲ってきます。
エレクトロニックな音楽と、一歩動くことへの恐怖が重なり、目を背けていたくなるようなスリリングさと怖さがありました。
修羅の道を進むルイスやほかの登場人物たち。誰が生きて、誰が死ぬかは分かりません。究極のシチュエーション。
しかしここで思い出す。世界とはこういうものであると。
今この瞬間に死ぬかもしれない。絶えず隣に死はいる。根底にあるこの世界の原則を思い起こさせるような作品。
ナラティブがはっきりしたいという意見も分かりますが、そのわからなさもまたこの世界の理ですね。なぜこんなことになるのか、なぜ死ぬのか、そして生き残るのか。それは分からない。
すごい映画体験であることは間違いないですし、とにかく音楽音響が良いのでぜひ劇場で鑑賞してほしい作品でした。
今回の感想はここまで。ではまた。


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