作品解説

2024年1月、パレスチナ自治区ガザで実際に起きた6歳の少女ヒンド・ラジャブ殺害事件を映画化した社会派ドラマ。
イスラエル軍の攻撃によって家族を失い、車内に取り残された少女と、彼女を救おうと奔走したパレスチナ赤新月社の救急隊員たちの実話を描きます。
監督・脚本は、「皮膚を売った男」「Four Daughters フォー・ドーターズ」でアカデミー賞にノミネートされたチュニジアのカウテール・ベン・ハニア。
本作はパレスチナ赤新月社が記録した緊急通報をもとに制作され、劇中の電話シーンでは事件当日の実際の通話音声が使用されています。
第82回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞し、第98回アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネート。
キャスト
- サジャ・キラニ:ラナ・ハッサン・ファキフ
- モタズ・マルヒース:オマール・A・アルカム
- クララ・フーリ:ニスリーン・ジェリース・カワス
- アメル・レヘル:マフディ・M・アルジャマル
監督
- カウテール・ベン・ハニア
スタッフ
- 製作:ナディム・シェイクルーハ、ジェームズ・ウィルソン、オデッサ・レイ
- 脚本:カウテール・ベン・ハニア
- 撮影:フアン・サルミエント・G
- 美術:ベッセム・マルズーク
- 衣装:カディア・ゼガイ
- 編集:クタイバ・バルハムジ、マキシム・マティス、カウテール・ベン・ハニア
- 音楽:アミネ・ブハファ
非常に評価も高く注目の作品でしたが、公開された週には見に行けず、遅れてシルバーウィークでの鑑賞となりました。
すでに上映回数が1回/1日に減っていて焦りましたが、ほかの方も同じなのかかなり混雑していてほぼ満席の状態でした。
~あらすじ~

2024年1月29日、イスラエル軍による攻撃が続くパレスチナ自治区ガザ。人道支援組織「パレスチナ赤新月社」の緊急指令室に、6歳の少女ヒンド・ラジャブから一本の助けを求める電話が入る。
ガザから避難する途中、一家が乗った車は銃撃を受け、ヒンドを残して家族全員が命を落としていた。車内にたった一人取り残された少女は、電話越しに恐怖と絶望を訴え続ける。
赤新月社のボランティアたちは通話をつないだまま、危険な戦闘地域へ救助隊を向かわせようと奔走する。しかし、一人の少女を救うための時間は、刻一刻と失われていく――。
感想レビュー/考察

実話の結末を知っていても、この映画は成立する
まず初めに今作の題材に関して整理しておきます。
今作は実際の事件に基づいての再現ドラマの体裁をとっていますが、その手法は巧みに構成されていて、映画らしい体験になっていると感じました。
この事件いや、戦争犯罪に関してはネットでも取り上げられてはいました。
なので事の顛末自体はすでに知っている人もいるでしょう。
実際にこのヒンドちゃんと、彼女を助けに行った救助隊員のユスフ・アル・ゼイノさんとアハメド・アル・マドフンさんが無残に殺されたという事実は揺るぎません。
ということで救助作戦が巧く行くのかどうかをスリリングに描く作品ではないのです。むしろ、その場に居合わせた赤新月社の人々、支援者の感情を共有する映画です。

本部の屋内だけで描く、息苦しい緊迫感
今作は劇映画になっています。
冒頭の何気ない社員たちの休憩シーンから、オペレーター室に映ってからの緊張感など、すごい緩急です。
まるで密室劇のように、カメラは本社の部屋から出ません。想像でも現場の様子を映すとか、救助隊員や兵士たちの様子を挿入することはない。
ただ建物の中にいるだけの絵面になります。でもそれがクリティカルで非常に大事なのです。
展開されていくのは、追い詰められていく、焦っていく社員たち。多くのステップが用意されており、正しく踏んでもたらいまわしにされてしまうような救助活動の中で、辛抱強く調整を続ける。
すでに数か月も家に変えれていない彼らが、救えなかった命を、ボードに写真を飾ることで刻み込んでいく。その写真の多さ。
ふとした所作やモノから、彼らの長い戦いや犠牲者たちが覗けるなど、語りにも無駄がない。
今回の件では一刻も早く少女を助けたいオマールと、国防省やイスラエル軍、救助部隊などすべての調整を行うマフディの間でたびたび衝突が起こるなど、現場の緊迫さとやりどころのない怒りが彼らを消耗させる様も描かれています。
メンタルケアの方が常駐していたり、それでも支えきれないくらいにラナが追い詰められてしまったり。こうした戦争が、その現場以外にも人の心を引き裂いていく様が見せつけられます。
スタッフのドラマの中で、限界を迎えたマフディがオマールのスマホを威張ってトイレにこもるシーンが印象的です。
あそこで二人が急にスマホのゲームをしだすんですよね。アレがきつい。あまりに残酷な現実を前に、平常を取り戻そうとするできる最大限の抵抗。

何もできないという感情を、映画は体験させる
スタッフの映像のほかに展開されるのは音声。電話の向こうから聞こえてくる、実際のヒンドちゃんの声。
むき出しの恐怖、幼いゆえの言葉の中で、こちらもどうすればいいか分からない。ただ勇気づけたいし。最悪のことが頭によぎるけど、安心させたい。
早く助けに行って抱きしめてあげたい。でもそれができない。
何もできないもどかしさ。ただ聞いていることしかできない。この関係性が映画というメディアとシンクロする。
観客もただ、スクリーンを見守ることしかできないから。本当に悔しくて怖くて、憤りと、恐ろしさからの吐き気がする。
まさに2024年1月、赤新月社の方たちはこれを感じていたのでしょう。いや、彼らの精神的な負担に比べたら、映画を眺める私の負担なんてなんてことはない。
他社の痛みを推し量れる、人間性に賭けた
それでも、映画という感情の箱舟は、観客をみんな当事者の感情の渦に叩き込み、なすすべもなく運んでいくのです。
映画だからこそできる、現実の痛みに対しての叫びなんだと思います。そして同時に、人を信じた作品だとも思います。
人間は、その推し量る気持ちと力がある。他者の痛みを理解することができる。それに賭けていると。
この作品を見て、凄惨な現実に打ちひしがれるなら、まだ救いがあると感じます。遠い国のことでも、音声だけで人は想像し痛みを共有し怒ることも嘆くこともできる。
人間性に訴える、映画だからこそできる表現。誰しもが見るべき作品であると思います。
今回の感想はここまで。ではまた。


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