「ベイビーガール」(2024)
作品解説
- 監督:ハリナ・ライン
- 製作:ダビド・イノホサ、ジュリア・オー
- 脚本:ハリナ・ライン
- 撮影:ヤスペル・ウルフ
- 美術:スティーブン・カーター
- 衣装:カート&バート
- 編集:マット・ハンナム
- 音楽:クリストバル・タピア・デ・ビール
- 出演:ニコール・キッドマン、ハリス・ディキンソン、アントニオ・バンデラス、ソフィー・ワイルド 他
すべてを手に入れたかに見える女性CEOが、若きインターンとの出会いによって心の奥底に眠る欲望を暴かれていく姿を描いたエロティックスリラー。
監督・脚本は、「BODIES BODIES BODIES ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ」のハリナ・ライン。
主演は、「聖なる鹿殺し」などのニコール・キッドマン。キッドマンは、その演技が高く評価され、2024年の第81回ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。
ロミーを翻弄する年下のインターン・サミュエルを演じるのは、「逆転のトライアングル」で注目を集めたハリス・ディキンソン。ロミーの夫で舞台演出家のジェイコブ役には、「ペイン・アンド・グローリー」などで知られるアントニオ・バンデラス。
そして、ロミーに憧れを抱く部下エスメ役には、「TALK TO ME トーク・トゥ・ミー」で印象を残したソフィー・ワイルドが出演しています。
ハリナ・ライン監督の新作が出ると聞いていて今年に入ってから注目していたのですが、予定が合わずに見に行くのがかなり遅くなってしまいました。1日1回しかやって無くなっていたところに滑り込みで鑑賞。
~あらすじ~
ニューヨークでCEOとして華々しいキャリアを築き、舞台演出家の夫ジェイコブと子どもたちに囲まれて、誰もがうらやむ日々を送っていたロミー。
そんなある日、彼女はインターンの青年サミュエルに強く惹かれていく。サミュエルはロミーの心の奥に潜む欲望を見抜き、挑発的に迫ってくるのだった。
やがてロミーはこの関係に終止符を打とうとサミュエルのもとを訪れるが、彼の巧妙な駆け引きにより主導権を奪われ、2人の立場は次第に逆転していく。
感想レビュー/考察
エロティックドラマではなく、世界に理解されない性質を抱えた人間の苦悩
年上の女性と若い男性の禁断の関係。上司とインターン。秘密の逢瀬。刺激的なエロティックドラマ。。。ではない。
その舞台が整っているとしても、今作はそういう背徳的なエンタメではない。それをまず分かっておかないと、非常に的外れなことになってしまうと思います。
そもそも広告宣伝で、エロスを強調した動画も多いですし、なんだかそっち方面の映画っぽく宣伝されている。私はこれが間違いな気がします。
まあ集客の最大化としては分かりやすいものになるでしょうから仕方ないかもしれませんが、作品そのものには合っていないと思いました。
私が思うに、今作は世間に受け入れられないような性的思考と性質をもつ人間の苦悩であり、そして外圧やレッテルによって自分を決めつけられているひとりの女性が、自分自身への理解と発信を強めていくドラマだと思っています。
この点ではジュリア・デュクルノー監督の「RAW ~少女のめざめ~」とか思い出しました。
エロティックな話だとか、セックスの話だとか、禁断の関係を描くというだけで、「フッ」と鼻で笑ってしまってまともな議論すらしない人も多いかもしれません。
ただ、こういった作品を通してこそ、真剣に性について考えるということも重要だと思いました。
フェミニズムやセクシュアリティの脱構築
セックスを扱う映画がセクシーである必要はない。
これは「How To Have SEX」にも通じます。今作に対して、「エロくない」って感想は完全にハリナ・ライン監督の描いていることを理解できていない感想だと思います。
はっきり言って、ハリナ・ライン監督は非常に賢いなと思いました。それが最も言いたい、今作を観た感想です。
強い設定をもってして、そしてそれを演じきって見せる俳優陣をそろえて最大に効果を発揮して、また一つフェミニズムやセクシュアリティの脱構築を行って見せているのです。
満たされていない女性の演技のエクスタシー
主人公ロニーが旦那とセックスしているシーンから始まるこの映画。
喘ぎ声が画面が暗いころから始まって、そしてアントニオ・バンデラス演じる夫とのベッドシーンで幕を開ける。
一見エクスタシーを感じて終わったように見えたそのセックスは、夫だけが「愛している」を話し、妻ロミーは無言のまま。
そしてベッドから去っていったロミーは、すごい速さでパソコンを開き、SM系のポルノを見て床に這いつくばりながら自慰行為を始めて、そこでエクスタシーに達する。
強烈なOPですが、これが全て。女性が演じてセックスしていることと、主人公の性的思考は夫に共有されていなくて、自分自身で隠しながら陰でそれを満たしている。
真摯に欲望と本性を演じたキッドマンと、概念のようなおぼろげさを纏うディキンソン
そんな秘密が見えた後、ロミーは道でサミュエルに出会うのです。
そこからお互いの求めている性的趣向を、感じ取って理解した2人が激しい関係性に落ちていく。
ロミーとサミュエル、それぞれを演じたニコール・キッドマンとハリス・ディキンソンの二人がとにかくすごいです。
キッドマンは美しさよりもむしろ、いい意味での人間の醜悪な部分を正直にさらけ出し、そしてそれを抑え込もうという周囲から期待される自分のレイヤーで包んで見せている。
ただ卑しいとかではなくて、難しいバランスだと思いますが、苦しんでいる点とそして人生で初めて自分がしたいことをできることへの喜びも感じられていて素晴らしかったです。
エクスタシーを感じるシーンで、演技であればさながらポルノ的な変な綺麗さがありますが、ガチの場合は野太い声を漏らす。
性的な趣向の面ではそんな弱さというか、マゾ的なロミーですが、ただそれだけではなくてやはりオスなんです。ロミー自身が仕事とか社会的な部分では、やはり上に君臨する捕食者側。
なので自分を脅かすものへの態度にはキレとカッコよさがあります。
対して今作ではともすると機能的に思えるサミュエル。
ロミーの欲望を見抜いて与える都合のいい存在になりそうですが、謎多き感じが、彼をまるで概念のようにしていて良かったと感じます。
ハリス・ディキンソンが絶妙にうまくて、サミュエルという個人だけれど、同時に少しフワついたつかみどころの無さも持っていて。観客をも翻弄するような。
女性に敬意を。。。そんなフェミニズムの考え方もまた、押しつけになる
アントニオ・バンデラスも結構良い存在感。繊細で優しく、ロミーを深く愛しているけれど、彼の愛し方は彼のものでしかない。
ロミーの欲求に応えることはできていなくて、でもマッチョな独りよがりって程ではない。彼が怒ることももっともですし、でも非常に大きな勘違いもしている。
女性にはマゾ性愛趣向はない。ファンタジーだ。それを押し付けるな。
それはフェミニズムにもかかりますが、ハリナ・ライン監督はその先を行く。マゾ性愛趣向の女性はいると。
脱構築というのはこの点です。フェミニズムが進み、男性側からの勝手な女性像は否定されてきた。そこまでは良い。ただ、変わらずある決めつけが問題。
ロミーの味方をするようで、かえってまた彼女を勝手に人格付けてしまう。
女性のロールモデルという外圧、枷
また女性側からの女性像も問題として取り上げられています。それはソフィー・ワイルドが演じている部下からの圧です。
男性社会で成功し、自立した女性。
強い女性像はフェミニズムの中でもとてもよく語られますが、この周囲からの期待やロールモデルにならないといけないという圧力もまた、ロミーを苦しめている。
自分がどうありたいかではなくて、望まれる女性にならなくてはいけないのです。
同じようなことで、映画ではクィアを描き出そうとする運動?取り組み?がある中、やたらとクィアの人たちが静かで繊細で善人に描かれることがあります。
でも現実にはクィアで残酷な人間もとんでもないクズ悪人もいる。
これに近いと思いました。女性を蔑視してはいないものの、しかし一周回ってまた枠にはめ込んでしまう行為です。
ロミーはその圧にも苦しんでいたのですね。
OPでの乾いたセックス。イキたくてもイケなかったロミー。すべてをさらけ出して夫は理解してくれて、そして最後もセックスシーンで閉じていくが、最後はイクことができた。
感じられなかった女性が最後はエクスタシーを迎えて終わるのは、オードレイ・ディヴァン監督の「エマニュエル」とそっくりですね。
テーマやあらすじを聞くとスクッと笑われてしまいそうですが、非常にスマートで考えられ示唆に富んだ、個人の欲求と世界との折り合いなどのドラマでした。
今回の感想はここまで。ではまた。
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