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「遺灰は語る」”Leonora addio”(2022)

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leonora-addio-movie-italian-2022 映画レビュー
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「遺灰は語る」(2022)

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作品概要

  • 監督:パオロ・タヴィアーニ
  • 脚本:パオロ・タヴィアーニ
  • 音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
  • 撮影:パオロ・カルネーラ、シモーネ・ザンパーニ
  • 編集:ロベルト・ペルピニャーニ
  • 出演:ファブリツィオ・フェッラカーネ、ロベルト・エルリツカ、マッテオ・ピッティルーティ 他

イタリア映画界の巨匠であるヴィットリオとパオロ・タヴィアーニ兄弟。

今作は弟であるパオロ・タヴィアーニが監督し、亡くなってしまった兄ヴィットリオ・タヴィアーニに捧げている作品。

作品は実在のイタリアの文豪、ルイジ・ピランデッロの死去と彼の遺言、そして時が流れてからの彼の遺灰の輸送の旅を映し出すものです。

さらに今作はルイジ・ピランデッロの短編「釘」も付け加えられています。

ちなみに原題は”Leonora Addio”となっていて、意味としては「さようなら、レオノーラ」です。

レオノーラという人は映画に出てこず、この言葉はオペラのなかに、またピランデッロの短編にもあるようです。

ただ、タヴィアーニ監督のインタビューを読む限り、実はレオノーラの登場シーンもあったが製作過程でカットされたとか。それでもタイトルは素敵だったので残したと語られています。

【単独インタビュー】『遺灰は語る』パオロ・タヴィアーニ監督がスクリーンに焼き付けた映画の虚構における“真実” Atsuko Tatsuta fan’s voice 2023.06.23

タヴィアーニ兄弟の映画については多分見たことすらなくて、今作は映画館の予告で知りました。

なんとなく面白そうな空気、またモノクロームの映像が予告でも綺麗だったので鑑賞。

都内で平日夕方でしたが、そこそこの入りでした。

「遺灰は語る」公式サイトはこちら

~あらすじ~

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イタリアの文豪ルイジ・ピランデッロ。ノーベル文学賞を受賞した彼が死んだ。

時の独裁者ムッソリーニはファシスト党を支持したピランデッロを盛大な葬儀をもって送り出そうとしたが、ピランデッロの遺言には彼の死を報道せず静かな死後を求める意志が記されていた。

時は流れ、戦後。ついに解放されたピランデッロの遺灰を、遺言にある通り故郷シチリアへと運ぶ旅が始まる。

道中には迷信を信じる空軍や様々な人々と乗り合わせる列車の旅があり、トラブルも続く。

ピランデッロの遺灰は無事にシチリアへとたどり着けるのか・・・

感想/レビュー

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壮大な死生観の話

人が生きること、そして死ぬこと。それらについての考察を死生観と呼びます。

この作品がすでに死んでしまっているピランデッロの生きているときの哲学を映し、そして死後について語らった者=遺言をあつかうなら、まさに死生観に関しての映画となります。

私自身はイタリア文学史やピランデッロのこと、戦後あたり含めて全然詳しいわけではないのです。

しかし調べてみると、非常に多くの作品を残した方で戯曲化の面が強いようですね。

今作ではOPシーンにてノーベル賞受賞の模様などアーカイブ映像も使われていますが、しかし以降はタヴィアーニ監督の創作のようです。

ピランデッロの視点から死後の世界とそこからみる子どもたちとか、けっこうファンタジックな試みもあっておもしろい。

死から生をみて、生から死後を語る

タヴィアーニ監督は実際のピランデッロの遺言の内容自体には手を加えていないようです。

静かにしてほしいこと、火葬してほしいこと、シチリアの地に埋めてほしいこと。

その旅の中ではユーモアにも思えるようなちょっと変わった出来事が繰り出されます。作品としてはものすごく展開があるわけでもないですし、割と緩く淡々としています。

ただ、根底にあるのが死を迎えた文豪の遺言。それはつまり、生きているときに死後を想って綴られた思想。

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遺言を通して、生きているときのピランデッロの考えに触れる。同時に、今目の前にあるのはピランデッロの死後である。

生と死を行き来しながら対岸を見ていくのはおもしろいものです。

生きることの不可思議さの中に、死はある

人生の中の不可思議、迷信や愛、戦争と破壊、宗教と思想。いろいろなものが重くなく混じっている。

壺を棺に入れればOKとか、笑ってはいけないけど滑稽なものです。形式の中でしかない思想。それはふと純粋な子供から見ればすごくおもしろいわけで。

そんな中に死を置く。

モノクロームの美しい映像と共に、そして短編の「釘」と共に。カラーに移り変わる際の特別な瞬間がまぶしく感じます。

タヴィアーニ監督は死を過去でも現在でも、常にそこにあるものとして置いていると思いました。

「釘」における少年。移民としての生活、母との別れ。

彼の衝動が何だったのか、理由はあったのか。

その辺はよく分からないですが、わかるのはここもまたすぐそこにある死と、死後のことが映し出されること。

生を自分で語る。生を自分で語れなかったものは、その死後別の人間が語る。

その連続こそが歴史なのかもしれません。

なんとなく、兄に捧げつつも、自分自身の遺言であるかのようにも思える映画でした。

とっつきやすいかといえばそうではないですし、見やすいのかと言えばそうでもない。

でも私にもわかりにくいですが、ここで描かれることを理解した時に、おそらくすさまじい死生観にさらされるのでしょう。

多くの人間たちを映し、宗教も独裁も描き。すべてに対して優しさがある作品でした。

感想は以上。最後まで読んでいただきありがとうございます。

ではまた。

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