作品解説

1990年代の独裁政権下にあるイラクを舞台に、学校で大統領の誕生日を祝うケーキ作りを任された9歳の少女の姿を描くドラマ。
実体験をもとに描かれるイラクの物語
監督・脚本を務めたのは、イラク出身のハサン・ハーディ。本作が長編映画初監督作となり、自身の体験をもとに、独裁政権下のイラクで暮らす人々の姿を描いています。
主人公ラミア役のバニーン・アハマド・ナーイフをはじめ、キャストには演技未経験者を起用したようです。
カンヌ国際映画祭で高い評価
2025年・第78回カンヌ国際映画祭では、監督週間観客賞とカメラドール(新人監督賞)を受賞。長編初監督作ながら国際的に高い評価を獲得しました。
製作総指揮には、「フォレスト・ガンプ/一期一会」などの脚本家として知られるエリック・ロスと、「幸せへのまわり道」の監督マリエル・ヘラーが名を連ねています。
スタッフ
- 監督・脚本:ハサン・ハーディ
- 製作:リア・チェン・ベイカー
- 製作総指揮:エリック・ロス、マリエル・ヘラー
- 撮影:トゥードル・ブラディミール・パンドゥル
- 美術:アナマリエ・テク
- 編集:アンドゥ・ラドゥ
キャスト
- ラミア:バニーン・アハマド・ナーイフ
- サイード:サッジャード・モハンマド・カーセム
- ビビ:ワヒーダ・サーベト
- ジャシム:ラヒーム・アルハジ
〜あらすじ〜

1990年代のイラク。戦争と深刻な食糧不足に苦しむ人々をよそに、フセイン大統領は自らの誕生日を祝うケーキを各地の学校で用意するよう命じていた。
9歳の少女ラミアは、学校のくじ引きでその“名誉ある”ケーキ係に選ばれる。しかし、期限までにケーキを完成させられなければ、厳しい罰が待っているという。
祖母と暮らすラミアは、翌朝、父の形見である時計と大切な友だちの雄鶏ヒンディを連れて町へ向かう。
ところが祖母が考えていたのはケーキ作りではなく、生活苦からラミアを養子に出すことだった。
突然の決断にショックを受けたラミアはその場から逃げ出し、祖母と離れずに暮らすため、自分でケーキの材料を集めることを決意する。
クラスメイトのサイードと力を合わせ、ラミアは限られた時間のなかで材料を探して町を駆け回る。
感想レビュー/考察

イラクという国を「市民の目線」から見る
イラク映画というのは実は全然見たことがない気がします。
中東方面ではサウジとかイラン映画は割と映画祭で観る機会があったり、一般公開もあると思います。
ですが、やはり政治情勢の混乱の長期化などからおそらく映画産業自体が小さいのかも。
そんな中で非常にいい機会でこの作品を見れて、イラクという国の様相の認識もまた改まったと思います。
イラクという国は多くの表現の中では、おもにアメリカ側からの提供映像やフィクションでの描写が多い印象です。
そこでは戦争、暴力、民兵などが多く、土地も乾いた砂漠の町が良く描かれています。
しかし今作では大都市ではないものの、賑やかな雑踏も感じる街と川が流れる湿地帯のビジュアルが登場しています。
イラクに住む人から見たイラクの様相を、市井のレベルで観れることが新鮮でした。
独裁政権と経済制裁、その中で生きる人々
そしてそれ以上に重要なのは、独裁政権下、経済制裁下でのイラクというところ。
そうした状況下での一般市民の世界がどんなものだったのか。これを見ることにも意味があります。
さらに、今作は子どもの視点でそれを巡って行くのですから、非常に重要な作品だと思うのです。

主人公のラミアは少女です。ここは独裁政権下を示すうえでも大事かもしれません。
戦争とは街や家庭から男を奪います。徴兵や当局からの逃亡。
残るのは年寄りや戦えない男性であり、実質的に家庭は女性たちの手に委ねられます。
そうした社会では、子どもという地位には意味がなくなります。
「子ども」でいられないラミアとサイード
今作でラミアもサイードも子ども扱いされません。物資がなく人もいない社会では一人の人間として扱われ、相応のことを求められる。
それは厳しくも、当時の様相や経済制裁が一般社会レベルに与えるインパクトを適格に描いているものでした。
そんな大人にならざるを得なかった子どもたちは、当然学校のあとで家を手伝っています。
なんなら家族に対してのあれこれを外で受けに回ることも。
ラミアもサイードも直接政権に関わらずも、監視社会にさらされ、ケーキの材料集めの旅では往々にしてその歪みに直面していくことになるのです。
学校の先生は政府当局の監視員で、街ゆく大人たちは子ども相手のビジネスマン。そして捕食者もいます。

物資不足が生み出した「人間の商品化」
問題なのは物資不足が、危険な商品化を進めていること。
物がないので、もちろん何にでも金を要求されますが、他にも交換できるものは何でも差し出すように仕向けられるのです。
すなわち、ラミアの祖母がやろうとした養子へ出すこと、人すらも商品になることです。
時間も商品、労働も対価に、子どもは品物になっていく。
経済制裁が行われると、市民の意識も変わっていってしまう。その結果をみたようです。
ラミアとついには出会えずに亡くなった祖母。子どもを見失っていく。
死というダウナーな要素の入った終わり方に、約束のケーキ作り。
子どもたちの無垢な眼差しが映し出すもの
それまで何度もラミアとサイードがやっていたにらめっこが、最後に強烈な使い方をされます。
あっけにとられる対位法の残酷さ。恐ろしさにとらわれた際にフセイン大統領の誕生日パーティーのきらびやかな様子が映し出され、観客は放り出される。
ラミアとサイードは、生きているならばいま40代でしょうか。
彼女たちの未来であった、今を生きる私たちにとって、これを繰り返していいのかと考えざるを得ません。
世界では同じようなことが起きていますから。
イラクの様相を子どもたちの無垢な眼差しから見ていき、独裁政権と経済制裁下での暮らしと、そこで失われていたものを見る。
非常に重要な役割を担う作品だと思いました。
特に子役の演技が素晴らしく、演技未経験から出る生の反応などが見どころです。
今回の感想は以上。ではまた。


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