「THE GUILTY/ギルティ」(2018)
- 監督:グスタフ・モーラー
- 脚本:グスタフ・モーラー、エミール・ニゴー・アルバートセン
- 製作:リーナ・フリント
- 製作総指揮:ヘンリック・ゼイン
- 音楽:カール・コルマン、キャスパー・ヘッセラゲール
- 撮影:ジャスパー・スパニング
- 編集:カーラ・ルーフ・ハインツェルマン
- 出演:ヤコブ・セーダーグレン、イェシカ・ディナウエ
グスタフ・モーラーによる初の長編監督作品。脚本も監督が自ら手掛けているこの作品は、批評面にて高い評価を得ており、アカデミー賞のデンマーク代表外国語作品に出品されました。
主演はスウェーデン出身のヤコブ・セーダーグレン。彼はこの作品の主演にて、欧州映画賞で多くのノミネートや受賞を果たしているようです。実際のところ、彼のワンマン映画でありますから、彼なしでは成立しない作品。
海外評を受けて無事に日本でも公開となり、公開週末に観てきました。口コミなのか、かなり混んでいて、ほとんど満席に近かったです。
緊急ダイヤルのオペレーターを担当するアスガー。
今日でこの仕事も終わりという時、彼に女性から救助を求める電話が入る。彼女は誘拐され、まさに今犯人と一緒に車で移動しているというのだ。
電話から聞こえるわずかな手がかり、彼女から聞き出せる情報をもとに、居場所を突き止め救助しようとするアスガー。鬼気迫る状況の中、果たして電話の向こうで起きる最悪の事態を食い止めることができるのか。
前評判通りのおもしろさ。
もちろん宣伝の時点で、電話越しだけで繰り広げられるサスペンスというので、脚本がしっかりしているのも、演出が良いのも期待されますから、それにしっかり応えているという点では普通かも?
ただ、アイディア勝負のところもさることながら、個人的にはメディア論としてこの作品は興味深いものでした。
メディア論でいえば、スティーブン・ナイトの「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」が大好きですが、それと同じく、やはり電話音声であることから肉体接触がないですが、今作はそれよりも、状況が視覚的に確認できないという点をうまく使っています。
今作は映画でありながら、その映像というデバイスを取り去るような作りです。
画面に映り続けるのは、アスガーただ一人。彼の焦燥や苛立ち、不安と絶望までをも見事に見せてくれるヤコブ・セーダーグレンには感謝でしょう。
彼が今作のまさにリードとしてしっかり観客を導いてくれます。
この作品はアスガーだけを通し一切のビジュアルを与えないことで、観客に常に想像し考えさせるというシンクロ効果をも与えています。アスガーと同じ条件で状況を整理し、予測と思考を巡らせる。
見る人によって声の主のイメージから、家の間取り、外の状況まで様々に異なるのです。それでも、一本の話として絶対にずれることがない。とても楽しいですよ。
これだけ観客の想像にゆだねながらも筋のしっかりした脚本に隙は無くできていますからね。
そして、やはり映像が無いことでのはき違えが肝になっています。限られた情報だけである際に、人間がそれを補って筋を通していくために必要とするのが、自身の経験や蓄積された知識ですね。
それのいかに危険なことか。それがたたってアスガーは後戻りできない状況まで差し掛かります。それまで何度も「自業自得だろ」といってきたアスガーが、ここにきてその言葉と向き合うことに。真っ赤なライトに照らし出され、外界から遮断された牢獄のような中地獄のひと時を観客も過ごす。
なぜなら、観客も同罪だからです。一歩も外へ引かないカメラが残酷。
最後は1人の男が人を救うことで、自分も救われる話かなと思いました。肉体接触そして視覚的な確認のないこのシステムはどこか欠陥のある心無いシステムに思われ、機能不全ではないかとも思えます。
しかし、最終的にアスガーは今回の一件を経て、心から他人に寄り添い、最終的には子供の母を救うことができました。それは同時に彼が映画が始まる前から目を背けてきた事実に向き合うことに繋がり、そしてギルティ(罪)を認めることになります。
私はこの作品を、直接的接点がないから危険で脆い救済システムを描いているとは感じませんでした。確かにそのせいで起きてしまった間違いはありますが、むしろ、そういった接触がなくとも、見えない相手を想うことができるんだと。
必死に想像して、相手の気持ちを理解しようとして、そして救えるんだということ。
どんなに遠くの問題でも、違う環境でも。アスガーのようにすべてを振り絞って共感しようとすれば、私たちにだって誰かを救えるのかもしれないなと、そういう意味で、とても希望に満ちた作品でした。
秀逸な脚本でおもしろく、リードも素晴らしく。これはまさに体感型の映画館向けの作品ですので、ぜひ劇場での鑑賞をお勧めします。感想はここまで。それでは、また。
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