「ジュディ 虹の彼方に」(2019)
- 監督:ルパート・グールド
- 脚本:トム・エッジ
- 原作:ピーター・キルター『エンド・オブ・ザ・レインボー』
- 製作:デヴィッド・リヴィングストーン
- 製作総指揮:ミッキー・リデル、リー・ディーン、チャールズ・ダイアモンド、エリス・グッドマン、アーロン・レヴェン、ローレンス・マイヤーズ、キャメロン・マクラッケン、アンドレア・スカルソ、ピート・シレイモン
- 音楽:ガブリエル・ヤレド
- 撮影:オーレ・ブラット・バークランド
- 編集:メラニー・アン・オリヴァー
- 出演:レネー・ゼルウィガー、フィン・ウィットロック、ジェシー・バックリー、アンディ・ナイマン、ダニエル・セルケイラ、ルーファス・シーウェル、マイケル・ガンボン 他
1940~50年代を代表する大スター、ジュディ・ガーランドの晩年を描く伝記映画。
今作は舞台である『エンド・オブ・ザ・レインボー』を原作とし、ルパート・グールドが監督を務めています。
ジュディを演じるのは「ブリジット・ジョーンズの日記」などのレネ―・ゼルヴィガ―。
彼女の演技は各方面で高く評価されており、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞にて見事主演女優賞を獲得しています。
正直ジュディ・ガーランドに関してはクラシック映画をまとめて鑑賞したあたりに色々観たというくらいの知識しかなく、彼女の人生などはあまり知りませんでした。
知るきっかけとして、そしてレネーの受賞などが主に観たいと思った理由ですね。
感染症の影響もあってなのか映画館自体が空いていて、ちょっと寂しい感じではありましたが、年配の方のほか若い女性も観に来ていました。
「オズの魔法使い」で子役として大スターへと昇ったジュディ・ガーランド。
しかし少女に対しては過酷すぎる撮影スケジュールや、イメージを守るための束縛がジュディを疲弊させてしまい、大人になってからは薬物依存と神経症に悩まされていた。
仕事も続かず、子どもたちの親権を持っているものの、共に暮らしていく生活費すら危うい。
そんなとき、ジュディにイギリスでの舞台公演の話が舞い込み、彼女は今度こそ立派な母として生計を立て子どもたちと暮らすため奮闘する。
各賞レースでもその力を見せつけるレネー・ゼルヴィガーの迫真の演技は必見です。
ここだけは間違いないです。
今作は、ジュディ・ガーランドの晩年を主軸とし、時に「オズの魔法使い」の頃のフラッシュバックを挟みながら展開されます。
なので基本的にはジュディは落ち目です。
疲れはて非常に危うい。
どこか幼少期に得られるべきものを喪失し、渇望している、いってしまえば幼さすらあるジュディを、ゼルヴィガーは素晴らしい演技で見せてくれます。
圧倒的な歌唱シーンではワンカットにて全て歌いあげており、一つのショーとしても演技としても完璧です。
個人的には、あれだけの圧巻の歌唱シーンにおいても、しっかりとジュディの心理状況を映し出しているゼルヴィガ―が恐ろしいくらいに思います。
確かに素晴らしいパフォーマンスでありながら、彼女の眼は見開いており、焦点はあっていないように見え、半ば過覚醒しているように見えるのです。
なのでステージで喝采を浴びていながらも、ジュディの消耗の先の狂気に似たものが覗けるのです。
ジュディは夫と別れ、子どもたちと離れ孤独ですが、残酷なことに拠り所は得られません。
「私たち付き合ってる?」とミッキーに聞くホテルでの場面が象徴的ですが、やはりジュディ・ガーランドを求めるものは多くても、フランシス・ガムを一人の女性として愛する人が欠けていました。
インタビューで「ステージの上のわずかな時間、ジュディをやっている。その他は母親であり普通の人間。」と答えます。
普通の人間として愛されることを望むのに、彼女に求められているのはジュディとしての役目なのです。
ショーをするスターとして、ビジネスパートナーとして。
確かに彼女がドロシーとして背負った、夢を与える星としての役目はあるのですが、フランシス・ガムとして愛されたいのは当然でしょうし、子どもたちを優先したいのも事実。
しかしどこまでも、”オズの魔法使いのドロシー”、”子役から成功したジュディ・ガーランド”というタイトルが付きまとうのです。
レネ―の演技により感情移入できる造形になっているのは認めますが、しかし一方で私にはちょっと問題もあった作品でした。
それはそもそもの”ジュディ・ガーランド”というアイコン、大スター、愛される人気があまり見えなかったことです。
ジュディの伝記映画として、彼女への愛が溢れているのは分かるのですが、実は彼女のリフレクションとなる世界の描写があまりなかったのが残念です。
ジュディを演じ続けることを求める、または熱狂的に愛を送る世界が描かれていないと思うのです。
ショーの成功などは会話にあり、また歌唱シーンは見事ではあるのですが。
個人的にそれらを感じることができたジュディを見る側の視点としては、あの劇場側の運営をしているロザリンを演じたジェシー・バックリー、そして同性愛者のカップルを演じたアンディ・ナイマンとダニエル・セルケイラが良かったです。
ロザリンはスタートして見ていません。完全に一緒に仕事をする人としてジュディを見ます。
なので出会ってからの、遅刻やすっぽかし、ショーをちゃんとできるのかなど不安や疑念の絶えない表情やリアクションを小さな役回りながら重要な意味合いを持って演じていました。
またダンとスタンのカップルは、ジュディが与える希望や寄り添いを正面から受け、彼女を愛した人々として見られるので、ジュディというアイコンを理解する上でとても大切な存在に思いました。
彼らを通して孤独ながらも、誰にでも希望を与える役を果たすジュディを知ることができる。
だからこそ、ちょっとドラマチックすぎるラストステージの展開にも思わず涙してしまいました。
少なくともダンとスタンカップルとジュディには、ファンとスターの強いつながりが感じられたからです。
ジュディ・ガーランドとしての魅力や彼女が大スターだという証明にはちょっと演出や描写が足りませんが、なんとも切ないままに生涯を終えた女優への愛情は感じる作品です。
何にしても、レネ―のパフォーマンスが素晴らしいので、それだけ目当てに観に行っても大満足の作品でしょう。
ということで、今回は以上にて感想はおしまいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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