「灼熱の魂」(2010)
- 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
- 脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
- 原作:ワジディ・ムアワッド『焼け焦げるたましい』
- 製作:リュック・デリ、キム・マクロー
- 音楽:グレゴワール・エッツェル
- 撮影:アンドレ・トゥルパン
- 編集:モニーク・ダルトーネ
- 出演:ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモ=プーラン、マクシム・ゴーデット、レミ・ジラール 他
「プリズナーズ」や「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がワジディ・ムアワッドの『焼け焦げるたましい』を映画化した作品。
戦乱を生きた母を「テルアビブ・オン・ファイア」などのルブナ・アザバルが演じています。
そして彼女の子どもたちとして、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マクシム・ゴーデットが出演。
今作はかなり高い評価を得ていて、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされました。
ヴィルヌーヴ監督の「プリズナーズ」を劇場で観た際に、カナダでの製作としてこの作品を知ったのですが、なんだかんだで観る機会がなくこれまで未見でいました。
カナダのケベック州に住んでいるジャンヌとシモン姉弟。ある日、母がプールサイドで呆然とし反応を示さなくなり、そのまま病院で息を引き取ってしまう。
母は二人に遺言を残していたのだが、そこには二人の父を探すこと、そして存在すら確かかわからない兄を探すことが書かれていた。
シモンは晩年の母の言動に嫌気がさしており、やっと重荷が下りたと思ったが、ジャンヌは母の遺言通りに、父を探しに母の故郷へと赴くことに。
そこで明らかになっていくのは、残酷な出自や翻弄された母の人生だった。
ヴィルヌーヴ監督はのちのちにも壮大なドラマを展開する中で、大作になってもテーマを忘れていないのかと感じます。
この作品は私、遡ってみることになったわけですが、”愛”を非常に強く感じる作品でありました。
そして作りに関しても、やはりヴィルヌーヴ監督は映像言語を強く使い、言葉や示されるものをうまく直接的ではない語りに役立ててストーリーテリングを展開する監督なのだと感じます。
今作は脚本の面では、往年の紛争とそれに振り回された家族のドラマではあります。
それでも、明かされていく事実というのはそのメロドラマになりそうな流れに大きな衝撃波を生じさせるような大きな石です。
しかしそうした残酷な描写も、直接には少なめであると感じます。割と静かなんですが、効果的。
出産に関してのおびただしい血、キーとなってくるアザの紹介。刑務所での描写も、始まりと終わりだけを見せますが、ベルトを締める男と床に横たわる女性というだけでも強烈に想像を刺激し心えぐられますね。
印象深いバス炎上シーンでの射殺も、その瞬間に遠景のショットを使います。
あんなにも残酷かつ衝撃的な行為が、まるで背景にあるなんでもないことのように映されるので、これは私としてはより非常さを増していると感じました。
語りの点では、主人公となっていく娘ジャンヌがはじめ、助手として大学の講義に出ているところで重要な暗示というか道標が残されています。
対処しきれない問題へと挑戦すること。
それに疲れ去りたくなるかもしれない事。真理を語るただの講義ですが、ジャンヌの旅には十分な説明になります。
母の歩んだ道とカットバックでは同じようなショットを挟みながら進む、それは旅の繰り返しのようですから、ジャンヌの身も案じてしまいます。
ただ重ねられていく悲劇と重き業の数々に苦しくなりつつ、さらにはこうした宗教間の対立というのが世代の映った今でも続けられているのも残酷なことです。
信仰の違い、移民。罪そのもののように、生まれながらに扱われる子ども。
どうしてここまで人は残酷になれるのか、人間という生き物の業の深さに打ちひしがれてしまいます。
しかしナワル・マルワン、歌う女であった母が残したのはその業の深さでも、罪でもありませんでした。
それは宗教も紛争も、1+1=1の示すあまりに非常な現実をも超越し、すべてを赦し迎え入れるもの。愛でした。
OPでの子どもはカメラを凝視しています。私たちを覗きこむその瞳は忘れがたく、強烈です。
彼の生は過酷であり罪深いものですが、母の愛はそれをも包み込む寛大なものです。
それは罪と業、ただ悪化していく復讐の連鎖を断ち切り、次の世代を解放すると思うのです。
宗教間の闘争や移民問題。
世界に溢れる悲痛な現実を、静かに無駄なく映像に語らせながら、超越した愛を持って制する、力強く美しい作品でした。
今更でしたが観れて良かった作品です。
今回の感想は以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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