「アーロと少年」(2015)
- 監督:ピーター・ソーン
- 脚本:メグ・レフォーヴ
- 原案:ピーター・ソーン、エリック・ベンソン、メグ・レフォーヴ、ケルシー・マン、ボブ・ピーターソン
- 製作:デニス・リーム
- 製作総指揮:ジョン・ラセター
- 音楽:マイケル・ダナ、ジェフ・ダナ
- 編集:スティーブン・シェーファー
- 出演:レイモンド・オチョア、ジェフリー・ライト、フランシス・マクドーマンド、サム・エリオット、アンナ・パキン、スティーヴ・ザーン 他
作品概要
「ファインディング・ドリー」のピクサー・アニメーション製作。
もしも恐竜を絶滅させた隕石が地球に落ちなかったら?という世界を舞台に、文明化し進化したアパトサウルスの子どもと、まだ言葉を持たない原始人の少年の友情と冒険を描きます。
監督は学生時代には「アイアン・ジャイアント」に関わり、その後には「ファインディング・ニモ」や「レミーのおいしいレストラン」などで脚本、製作、声優まで広く活躍するピーター・ソーン。
主人公アーロを演じるのはレイモンド・オチョア、彼の両親にはジェフリー・ライトとフランシス・マクドーマンド。
その他「アリー/スター誕生」のサム・エリオット、アンナ・パキンやスティーヴ・ザーンらが恐竜たちの声を担当しています。
作品は好評を得てアニー賞やゴールデングローブ賞にもノミネートしましたが、如何せんこの年は同じスタジオが送り出した「インサイド・ヘッド」があまりに強すぎたので、ちょっと影をひそめる結果となってしまいました。
私個人としては恐竜というコンテンツは好きなのですが、どうにも予告で見たときのアーロの造形モデルにはしっくりこなくて、当時はこちらは観なかったのです。
後にソフトで鑑賞した覚えはありますが、今回改めて鑑賞したのでこの機会に感想をまとめて残します。
~あらすじ~
6600万年前、恐竜たちが暮らしている地球に巨大隕石が接近する。が、隕石はそのまま地球の横を素通りしていった。
それからさらに何百万年も時が流れ、絶滅をまぬかれた恐竜たちは進化し、言葉を持ち文明を築いていた。
アパトサウルスの一家に生まれた少年アーロは、トウモロコシの栽培をする父と母を、兄と姉に倣って手伝っている。しかしアーロは怖がりな性格で、任された仕事がうまくいかない。
ある時父はアーロの仕事として、トウモロコシのサイロに忍び込む泥棒退治を命じる。
しかしアーロは罠にかかった泥棒が怖くて逃がしてしまい、父と農場を出て追いかけることに。そのうち天候が悪化し、川が氾濫、父は鉄砲水からアーロを守り命を落としてしまった。
悲しみに暮れる一家だが、アーロは再びその泥棒を見つけると恨みを晴らそうと追いかけるも、川に落ちて流されてしまった。
その泥棒は人間の少年でまるで犬のように言葉も通じないのだが、アーロはこの子と一緒になんとか家に帰るために旅立つのだった。
感想/レビュー
ピーター・ソーン監督には確かにアニメーションを通じてミニマムにドラマを語る手腕があると感じられますが、しかし今作においてはややバランスのとり方に難があり惜しいといった印象になっています。
もちろん、公開時の情勢は悪すぎるとは思います。
「インサイド・ヘッド」と同年公開させたのはピクサーがあたまおかしい・・・
「絶滅しなかった」という設定の掘り下げ不足
しかし根本的にこの作品で気になってしまうのが、着想についての一貫した帰結がないことです。
この作品はパラレルワールドを舞台にしています。もしもの世界です。
それはピクサーがこれまでにも描いてきたことで、”もしもおもちゃが人間のいないところでは自由に動き回っていたら?”とか、”もしもモンスターが子どもを怖がらせたエネルギーで暮らしている世界があったら?”に連なるDNAだと思います。
ただ、そこに関して今作は恐竜が死なずに進化していたら?という世界設定はふと手の中からすり抜けていってしまった印象を持ちます。
恐竜だからこそ、こうなる。という部分についてはあまり感じないのです。
肉食竜などが出てきているとしても、それは言葉を話す恐竜映画「ダイナソー」とかでも同じこと。
「絶滅しなかった」という設定がすごく活きているところが見えませんでした。
写実性とデフォルメが衝突
また、良いものが揃いながらもそれぞれが衝突してしまっているように感じるのが、ビジュアルです。
この作品の映像表現は圧巻です。
映し出される自然風景、息づく川、大地、地球には息をのむ荘厳さと美しさがあります。
写真のようなのにそれでいて太古の地球だと感じさせるような、生き物としての自然がそこにあります。
非常にリアルな触感すら感じるこの映像ですが、逆に主人公アーロたちのアニメライクなルックとデザイン、モデルとは相性が悪いようです。
もともと恐竜という生き物自体は実在し、私達は彼らの屈強な四肢やうろこ上の皮膚のことをはじめからイメージとして持っているわけです。
写実的な背景とキャラクター造形がチグハグに感じてしまい、ややノイズかなと思います。
心奪われる風景にふとキャラクターが出てくると、キャラクター自体はかなり非現実的な造形で・・・
どちらも単体ではいいものの、なんだか相乗効果にはならず邪魔しあってしまった印象です。
と結構批判的なことを書いてはいますが、それはそもそものレベルの高さや、期待の大きさがあるからです。
私的には好意的に見ている作品ですよ。
監督が「アイアン・ジャイアント」と「ファインディング・ニモ」に関わっているからか、2つの種族の友情と別れとか、どこかへ冒険して帰ってくるところとか、プロットが好みです。
恐竜で西部劇
あとはジャンルとしても。まさか恐竜で西部劇をやるとは。この点は嬉しい誤算でした。
農場、家畜。カウボーイと牛泥棒。
カウボーイとしてのティラノサウルスたちが雄大な大地をかけていき、アーロが牛たちと伴走する。
心奪われるショットの数々です。
ストーリー第一に進めてきたピクサースタジオにしては、ややビジュアルに頼る印象もありますが、大きなプロットは”恐怖や喪失の受容”です。
言葉なくアクションという言語で喪失を共有する
今作の白眉たるシーンは、夜にアーロとスポットがお互いの家族についてを語るシーンです。
語るといってもこのシーン、まるでサイレント映画のような輝きをもって、話す言語を通さずに二人が会話するのですよ。
木の枝と砂に描く輪によって、喪失を共有したからこそ、アーロはここで父を手放すのです。
父がいないこと、頼れないことへの恐れ。恐怖というものを、怖いという感情を認めたうえでわがものとしていくこと。
父の言うような「怖さを越えた先に見えるもの」というのが、あの雲を抜けた先の景色なのでしょう。
ちょっとね、この怖さを超える物語についても、アーロはともかくスポットの方はそのドラマが共有されないなど、ストーリーファーストだったここまでのピクサーに比べると実は弱いのが残念。
ただ、先ほど言ったような圧倒的なビジュアルや、マイケル・ダナ、ジェフ・ダナコンビによる美しい音楽など見どころはあります。
個人的にはアーロを押し上げた後、押し寄せる水に飲まれる直前のヘンリーの顔が忘れられません。
我が子を安心させ、最後に笑顔を見せようというあの瞬間の表情。アニメ、CG、作り物と分かっていても、父の深い愛を感じました。
超傑作ではないのですが、十分に楽しめる作品になっていると思いますので、ディズニー+加入者の方は気になったら鑑賞してみてください。
というところで今回の感想は以上です。
さいごまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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