「アメリカン・ユートピア」(2020)
- 監督:スパイク・リー
- 撮影:エレン・クラス
- 編集:アダム・ゴフ
- 出演:デヴィッド・バーン、ジャクリーン・アセヴェド、グスターヴォ・ディ・ダルヴァ、ダニエル・フリードマン、クリス・ギアーモ、ティム・カイパー、テンデイ・クーンバ、カール・マンスフィールド、マウロ・レフォスコ、ステファン・サン・フアン、アンジー・スワン、ボビー・ウーテン・3世
元トーキングヘッズのデヴィッド・バーンが2018年に送り出したアルバム”American Utopia”。
ニューヨークのブロードウェイではそれら楽曲をショーとして公演し、大成功を収めた。
今作はそのショーを映像として切り出し映画化したものになっています。
監督は「ブラック・クランズマン」などのスパイク・リー。
主演?というかショーリーダーはもちろんデヴィッド・バーンです。
トーキングヘッズを題材にした音楽ドキュメンタリーといえば、ジョナサン・デミ監督によるコンサートの模様を追った「ストップ・メイキング・センス」がありますね(未見なのですが)。
自分としてはあまりトーキングヘッズを聴いた覚えもなく(マイク・ミルズ監督の「20センチュリー・ウーマン」で流れていましたが)アルバムやショーに関しても無知識なまま観賞してきました。
単純にスパイク・リー監督作であることや評価が非常に高いこと、また音楽ライブのドキュメンタリーは観たことがなかったので興味がありました。
一時緊急事態宣言発令によって映画館の休業もあったことから公開延期されていましたが、5/28から公開。
館数が少なかったり、待ち望まれていたこともあってかかなり劇場が混んでいました。
とくにあらすじも何もないので感想から書きますが、楽しさと示唆、感動に満ちた驚異のショーであったことは確実です。
そしてそれらショーの魅力をを完全に映画に取り込みつつ、さらに単純なライブ体験から変革してました。
脳みその解説のような曲である”Here”から始まるショーの最大の特徴は(途中でバーン自ら言及しますが)その自由さでした。
音楽ライブのショーというのですからまあ歌って踊って演奏します。
しかしステージにはまず物が全然ないですし、楽器のセットもなく音響装置へのケーブルコードの類いもありません。
バーンたちはマーチングバンドの衣装を纏い、楽器は持ち運びで体からぶら下げる。そして彼らは裸足なんです。
だからこそ四角いステージ内を縦横無尽に動き回ります。こんな自由さを持ちながら伸び伸びと演奏して歌ってみせる。
実際音のズレが無かったり、安定していたり、所作の雑音もないしどうやって実現しているのか素人目には全くわかりません。だってドラムとか普通は持って歩けないですよ。
それを持ち歩きにしているのに、スムーズに歩き踊り、音もブレない。デヴィッド・バーン含めてみんなヤバイ。
そしてその様子はスパイク・リー監督の切り取り方によって映画になります。ただのライブ映像ではありません。
カメラはバーンたち演者を追いかけ、クローズアップを見せたり、俯瞰した目線で彼らの動きを見せたり、果ては舞台袖の方へと出たバーンの顔も映し出します。
多分俯瞰始点とかストロボの激しいシーンは映像作品ならではのイメージになっています。会場の観客ですら見ることができない。
なんかシンクロナイズドスイミングのように見える”Don’t worry about the Government”のシーンとか、観客以上に映画館で見る私の方が良いもの見せてもらった気がします。
カメラすらもこのように自由である、その視点がくれるのは単なるライブの生の感覚や臨場感ではなく、そのショーの中に放り込まれる感覚でした。
不要なものは全てが取り除かれたこの四角い舞台。
その仕掛けはどんどんと明らかになっていきますね。そこも気持ちよく感動的。
自由さをもたらす人と楽器のみ存在する空間。そこで紡がれるのは音楽と歌とダンス、語りという純化されていてシンプルなエンターテイメントです。
それでもそのシンプルさからは全く豊かな芸術が生み出されます。
バーンのトークはユーモアに満ちていますが、すごく示唆的でもあります。
そして彼らの音楽も踊りもどこか気が抜けていますし、キレッキレすぎることもなく緩さもある。
そしてこのショーを構成するメンバーについて。非常に多国籍かつ多人種で、多様性に溢れていますね。
そうやって見ると、このステージはまさにアメリカそのものなのかもしれません。
多様な人種があつまり、協力して素晴らしい芸術を産み出していくわけです。
しかし、ただのんびりとしていて緩いユーモアを詰め込んでいるわけではなく、そこには今分断されディストピアに向かおうとするアメリカへの希望があります(歌でも希望は示されています)。
バーンは舞台上から、物質主義的に蔓延するモノを排除しました。
そこには超消費社会でありなにより行き過ぎた資本主義のようなアメリカへの批判が感じられます。
またジャネール・モネイの曲”Hell You Talmbout”では今なお止まない警官の暴力と人種差別が歌われます。抑制されない権力と政治や腐敗と差別がこの舞台では叫ばれるのです。
歌うのが白人のデヴィッド・バーンというのはシニカルかとも思いましたが、自分で「まだまだ自分も変わっていかなきゃ・・・」とユーモアに交じって鋭い言葉を残したり、たぶん茶化してない。真面目に、真っすぐ変革を意識しています。
そうして見ていくと全ての意味が分かってきます。このディストピアをユートピアにしていくこと。
まずは間違いなく人間を見ていくことが重要です。
人を見てほしいからこそモノを徹底的に排除し、自由な表現や束縛のなさを目指してワイヤーもアンプもない。
そしてマーチングバンド。ここには”Inclusion”があります。
ショーはただ舞台で終わらない。四角い舞台を囲っていた幕は取り払われ、バンドは境界線を超え始める。
そしてついには私たちのいる客席を行進(マーチ)していくのです。
なぜならこのユートピアは私たちが作り上げていくものだから。(ユートピアはユー(you)から始まる)
始めりは脳みその話。そこからバーンは、人間は年を取るにつれてニューロンの繋がりを失っていくと言います。
それはまさに人間たちの、人類の繋がりだと思います。
しかしそれで終わりではないのです。その繋がりというものは確実に取り戻せるはず。
私たちがモノやカネではなく人間を、お互いをしっかりと見つめていくことができれば。
最後のエンドロール。スパイク・リー監督の見事な功績だと思います。
ショーが終わって劇場を後にするバーンで終わらせず、またバンドメンバー全員がサイクリングバイクで集まって劇場へやってくるところへ繋げた映像を流しますね。
もちろんループ的な映画の楽しさで2回目の鑑賞もしたくなってしまいますが、それ以上に、彼らが街中を進んでいくのは、先程の”Inclusion”がステージから劇場全体さらに外の世界まで広がったようで感動的でした。
奇跡や希望を感じさせてくれる素晴らしいパフォーマンスは劇場で披露されますが、奇跡や希望を実現させるのは、他ならない現実を歩く私たちなのですから。
私たちは道半ば。
諦めてはいけません。あの四角い舞台でユートピアを作れるのなら、それを世界に拡げていく。
ショーそれ自体が凄まじいということもありますが、様々なアングルによるライブ以上の体験や、編集と構成により生まれるメディアを飛び越えた希望の広がりは映画ならではのマジックだと思います。
驚異の体験を是非劇場で。
あまり言葉が上手くないので伝わっていなさそうですが、とにかく必見のドキュメンタリーです。
今回の感想はこのくらい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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