作品解説
集英社「週刊少年ジャンプ」で連載され、全世界で累計発行部数2億2,000万部超を記録した吾峠呼世晴の原作コミック。その中でもシリーズ最大級のスケールを誇る最終章「無限城編」が、劇場版3部作としてアニメ化。
第1章となる本作では、主人公・竈門炭治郎をはじめとする鬼殺隊と、鬼の始祖・鬼舞辻無惨率いる強力な「上弦の鬼」たちとの激突が描かれる。
監督はテレビアニメシリーズや劇場版『無限列車編』から引き続き外崎春雄が担当。キャラクターデザインと総作画監督には松島晃、そしてアニメーション制作は圧倒的な映像美と演出力で国内外に衝撃を与え続けるufotableが手がけます。
- 監督:外崎春雄
- 原作:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』
- 制作:ufotable
- 声の出演:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞 他
~あらすじ~
鬼になってしまった妹・禰豆子を人間に戻すため、「鬼殺隊」に入った竈門炭治郎は、我妻善逸や嘴平伊之助とともに数々の鬼と戦い、仲間との絆を深めながら成長していく。
これまで、炎柱・煉獄杏寿郎とともに無限列車での戦いに挑み、音柱・宇髄天元と遊郭で、霞柱・時透無一郎や恋柱・甘露寺蜜璃と刀鍛冶の里で、それぞれ命懸けの死闘を繰り広げてきた。
鬼との最終決戦に向けて、鬼殺隊の剣士たちは柱による合同強化訓練「柱稽古」に挑んでいたが、そんな矢先、鬼の始祖・鬼舞辻無惨が鬼殺隊本部・産屋敷邸に突如現れる。
お館様のもとに駆けつけた炭治郎や柱たちは、無惨の力によって謎めいた空間「無限城」へと引きずり込まれてしまう。
そこは鬼たちの根城であり、逃れることのできない最終決戦の舞台だった。ついに始まる鬼殺隊と鬼舞辻無惨との全面対決。命を懸けた壮絶な戦いの果てに、炭治郎たちはどんな結末を迎えるのか。
感想レビュー/考察
ファンほど熱く、そして緊張する最終幕の始まり
なんだかんだで、前作?となる「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」を映画館で観てから、後追いでネトフリ配信されていたアニメシリーズをすべて鑑賞。
その後の遊郭、刀鍛冶の里、それから柱稽古も観ることになり、おおよそ全体に鬼滅の刃シリーズは追いかけてきたつもり。
最後にアニメを観てから今回の映画まで結構空いてしまっていたので、改めて柱稽古だけは見直して今回の映画に挑みました。
最終決戦に挑む!って形で、まさに魔王の城に入ってからスタートするようなお話。
さすがにこれまでの背景を知らないで、はじめて鬼滅の刃を見るよってのは無理な気がします。
全体の構成は3部作になるそうで、今回はその1作目。ラスボス戦といいますが、まだまだ中ボス的な鬼がいますためそれぞれとの戦いが一つ一つのチャプターのようになるということですね。
今回は各ドラマ部分とかエモーショナルなクライマックスが多くなるべく、シリーズを追いかけていた方ほど感情移入していくと思います。
映画というメディアにおいて、無現城という舞台はとてもあっている
その点は一旦は置いておくとして、私としてはいかに連続して連載された漫画というメディアを、元来は短い時間の中で完結する映画というメディアに変換したのかに注目していました。
実は前作を初めて観て鬼滅の刃に触れた際に、無限列車編はまさに映画というメディアにはピッタリだと感じていました。
列車が走り始めて止まるまでという分かりやすい空間と時間の制約があり、密室であるために舞台が過度には広がらない。
登場人物も限られていて、ストーリー進行と同時に紹介がされていく形で、うまく映画というメディアにハマっていたと思います。
その点で今回については、映画という大画面に起こした際のダイナミズムは非常に効果的なのではないかと思います。
無限城というのが、ドクター・ストレンジのミラーディメンションとか、現実世界のようで騙し絵の世界のような、上下左右の概念や空間制約がないかのような動的な舞台になっています。
これをよく漫画で描いたなと感心してしまいますが、映画という大スクリーンで捉えるのは最高の題材かもしれません。
TVやスマホなどの小さな画面ではなくて、体感型の映画に落とした点で観る価値があるのだと思います。
さらに研ぎ澄まされる戦闘描写
部隊の設計としての相乗効果に加えて、もちろんアニメーション表現は健在。というかまたレベルアップもしていると感じます。
超速バトル的な部分はほとんどエフェクトで見えないですけれども、重要な攻撃のシーンでは何をしているのかがある程度分かりやすくはあります。いつもの、雷や水、炎のエフェクトが、底だけは筆で描かれたようなエフェクトになっているのもやはり視覚的におもしろいところだと思います。
作画のレベルであったり、戦闘描写などは、無限上の部隊を活かして、なるべく場がマンネリ化しないような点も含めていいと思います。
最初の童磨との戦いではある程度の閉鎖空間でしたし、黄色の頭の少年の兄弟子との戦いは結構狭い座敷と、上下の空間を生かした決着シーン。
猗窩座との戦いは移動も多くて、観ごたえはあります。
同じ戦いではなく、構成も決着も異なる
アクションの種類というか、構造も分かりやすくはありました。今作は3構造で3つの闘いを繰り広げます。
1つ目の闘いについては、毒を使ってどこまで鬼を追い込めるかということ。鬼の首を斬るというゴールではなくて、様々な毒を高速で叩き込みトドメまでいけるか、もしくは鬼側がそれを防ぐか適応しきって見せるか。
2つ目の闘いに関しては、雷の呼吸の型というモノが中核で、1の型しか使えない1以外様々な型が使える鬼の構造で、結果としては型は継承するものであるが、守破離ではないですが、自分のモノにして新たな型を編み出したものが勝つという構図。
最終幕の猗窩座との戦いに関しては、新しい世界を見えるようになる炭治郎という覚醒のパートもありますが、基本的には力VS力というところから外れた決着がありました。
単なるぶつかり合いだけではないので、3つの闘いそれぞれが異なるテンションで楽しめるわけです。
連載を前提としている漫画と、短く統制された時間の映画という呼吸のズレ
基本的なレベルは高いのですが、映画として見てみると個人的にはどうしても気になる点はあります。
それはまず一つに上映時間の長さです。長さ自体が問題というより、展開される戦いだけで2時間30分ではないという点。それぞれの闘い自体は正直短いものだと思います。
ただ、戦う理由周りはすべて回想シーンとして語られていきます。思い返していくことが鬼滅の刃の語り方であることは十分に知っているのですが、さすがに目の前のストーリーを一時停止しすぎて感じます。
原作がこうだというならば仕方のないことですが、映画というのは決められた時間の中で始まりがあり終わりがある進行をします。時系列を入れ替えたり戻ったりはできますけれど、基本的には現実の観客が鑑賞する時間という制限がある。
この点が、続けることができれば無限であり、また連続性がなくても間を空けることに違和感のない漫画の連載というメディアとの違いです。
結構不利な形なのかもしれないと感じます。
少し絞ってしまうこともできたかもしれない
各エピソードが独立していますし、最初に出てきた柱たちが何をどこまでしているのかは分からない。であれば今作ではキャラクターを絞っても良かったのかもしれません。あのキャラたちは何してるの?特に絡まないなら出てこなくてもいいのでは?と思ってしまいました。
ドラマというところについて言えば、負けて後へ、勝って先へ。そして人としての心を取り戻すことで、鬼が自ら自決。と3様のもの。
同じパターンではないのは良かったと思います。やはりタイトル通り、猗窩座がメインですね。彼の、生きていく意味を失ったことからの終わらせ方は良いと思います。
それぞれに語りを入れて深みを出す手法自体は、もはやシリーズの売りなのでそれがどうとは議論する意味はないと思います。
ただし映画というモノに落とし込む上でのリスクはあったと思います。漫画で何話くらい?コミックスでは1~2巻分くらいは詰め込んでいるのかと。
とにかく熱量はすごい作品ですので、アニメを見てきた方は劇場の大きなスクリーンで観なくてはいけない映画ですね。
あと2本で全体が完結するということで、次の公開も楽しみにしていきます。
今回の感想はここまで。ではまた。
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