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「顔を捨てた男」ルックスと幸福を結びつける偏見に突きつける問い【ネタバレ感想・考察】

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A-Different-Man-2024-movie-sebastian-stan 映画レビュー
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作品解説

A-Different-Man-2024-movie-sebastian-stan

「サンダーボルツ*」「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」で知られるセバスチャン・スタンが主演を務めた、注目の不条理スリラー。

変わりゆく外見とアイデンティティをテーマに、重層的な人間心理を描いた本作は、国内外の映画祭で高い評価を受けています。

キャスト陣とスタッフ情報

映画祭での受賞歴

本作は、2024年・第74回ベルリン国際映画祭にて以下を受賞しています。

  • 銀熊賞(最優秀主演俳優賞):セバスチャン・スタン

  • 2025年・第82回ゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門):最優秀主演男優賞

監督は過去に「Chained for Life」という作品を撮っていて、そこでもルッキズムとかアイデンティティを取り上げていたようです。そちらは未見なのですが、今作でも出演しているアダム・ピアソンを起用しています。

映画を作るという映画になっていて、その中で容姿に生涯を持つ俳優と彼と共演することになる女優の関係性を描いた作品だそうです。

今回はセバスチャン・スタンの演技の評判とかを聞いて鑑賞したいと思いました。公開した週には見に行くことができなかったのですが、次の週で鑑賞。某人気アニメの劇場版の影響か、すでに上映は1日1回のみでしたが、何とか見れました。

上映回数が絞られているからか、かなり人が入っていて混んでいました。

~あらすじ~

A-Different-Man-2024-movie-sebastian-stan

顔に特異な特徴を持ちながら俳優を志すエドワードは、劇作家を夢見る隣人イングリッドに惹かれつつも、想いを胸に秘めて生きていた。

ある日、彼は過激な治療で外見を大きく変え、望んでいた“新しい顔”を手に入れる。過去を捨て、新たな人生を歩み始めたエドワード。

だが、自分と瓜二つの顔を持つ男オズワルドの出現により、彼の運命は大きく揺らぎ始める。

感想レビュー/考察

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ルッキズムとアイデンティティについて揺さぶる

今年はルッキズムに関する映画として、コラリー・ファルジャ監督の「サブスタンス」がありました。あちらはより若く、美しくという世界の圧力と女性との関係性をモンスターゴアジャンルに落とし込んだ快作でした。

今作でアーロン・シンバーグ監督もルッキズムを描いてはいますが、アプローチや描きたいことはまた異なるものだと思いました。

人間というモノはどうしても、その容姿に大きく印象を受けてしまう。どんなに社会の規範やらルールやら、ポリティカリーコレクトネスで騒いだとしても、本能が反応してしまう。

建前として挙げていることと実際に無意識の中にある差別意識含めて、ちょっと意地悪に描いて見せる作品で、その中で文字通り主人公にマスクをかぶせることで、アイデンティティの問題とクライシスにまで触れていく。

ちょっと笑ってしまうような、でも、自分の中にもある意識とか自己嫌悪とか、それは容姿も性格も含めて苦々しい思いをしてしまうこともあり、非常におもしろい映画体験になっていました。

古めかしくざらついて、そしてミステリアスな撮影

今作はすこしレトロな画面を持っています。16mmのカメラで撮られた、ちょっと時代を把握しにくく70年代化のようにも見えるその世界観が、不可思議なミステリーの世界に浸っていくかのようです。

全体の装飾や衣装、エドワードが暮らしているアパートについても、会社や町中のダイニングについても、年代的には少し前の気がします。スマホやインターネットが出てきませんし。

なんとなくデ・パルマ的な世界観とかミステリーノワールのような空気もある。

自分の過去の顔にうり二つのオズワルドの出現以降は、自分が誰なのか、あいつは誰なのかの疑心暗鬼と精神の崩壊のようなドラマにも展開していきますし。

画づくり的なところとかもかなり良いと思います。これ、面白かったのが、ちょう偽善的インクルージョンの社内コンプラ動画みたいなやつが、無菌室みたいな綺麗なデジタル画面だったところ。

作り物~って感じを、あのこぎれいな画面で作るの、イヤミで最高。

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みんな自分のこと嫌い。大なり小なり求めるものがある

序盤にあったトランスフォーム。なんらかの治験に参加して、エドワードの顔が崩れ落ちていく様。直接的ではなく反射でみせていくような撮り方に味わいがありつつ、ボディホラーの要素も感じます。

現れたのがセバスチャン・スタンの顔。

そこから大きく物語は変わっていく。

エドワードの気持ちが分かるのか。ここは人を選ぶかもしれません。でも、すごく醜悪な顔とか病気ってわけではなくても、誰しも自分の顔が大好きってことはないと思うのです。

やっぱりどこか気に入らなくて、鏡に映る度に嫌いなところに目がいってしまう。ここがこうだったらいいのに。なんでこうなっているんだろう。

その容姿に対しての自信のなさは、態度にも出てしまい、エドワードはどこか頼りなさげな姿勢で歩き、おどおどとしている。アパートの引っ越し業者が邪魔でも強くは言えないし、なんだか分からないけどとにかくエドワードを嫌っている4Bの住人は彼とすれ違うたびに「まったく。。。」と嘆いてくる。

エドワードの心である部屋に穴が開く、そして招き入れるのは?

そんなエドワードのまさに砦としての部屋ですが、ここで天井に穴が開いているというのが不吉であり、異物の混入が彼の人生を暗示しているように見えました。

実際、彼が快く部屋に招き入れるのがイングリッド。心そのものを部屋とするならば、彼はイングリッドだけには心を開こうとしたわけです。

しかし、顔の変化を経てエドワードはエドワードであることを捨ててしまう。彼がガイという新しい人格を名乗り新しい人生を歩んでいくのです。

ところが、そこでとんでもないクライシスが起こる。圧倒的ビジュアルを手に入れて女も選び放題になり、そのルックスで不動産営業としてもすさまじい成績を上げていくガイですが、イングリッドの手掛ける舞台にどうしても出たい。

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エドワードを捨てたら、ガイのルック(イケメンであること)のせいでうまくいかなくなってしまう

ただそのルックスから、もちろんエドワードに宛て書きしたエドワードの役はもらえない。しかし醜悪なルックスを差別し、侮辱するような人物を演じることは、ガイにはできない。

そこで彼は、かつての自分の顔を再現したマスクをかぶり(せっかくその嫌いだった顔を取り払ったのにも関わらず)、舞台でエドワードを演じる。もちろん中身はエドワード本人なのですから、その真実味は素晴らしい。

エドワードは自分の受けてきた屈辱を理解しているから。でも、エドワードはガイになってしまい、アイデンティを失ってしまうのです。そしてそこからおかしくなっていく。

今回の主演、セバスチャン・スタンが本当にすごいと思います。彼自身であることを前半のエドワードパートでは分からないくらいに、卑屈になり縮こまった男を演じきっていましたし、それにガイになってからもマスクをかぶるとすぐにエドワードになり切っていたり。

素晴らしかったです。

自分自身を失った男が迷い込んでいく

エドワード、ガイの崩壊の決定打がオズワルドの登場。

同じく顔に障害を抱えている男が現れたものの、オズワルドはエドワードと異なり才能に溢れチャーミングでその場の中心になっていくような人物でした。

それで見えてきたのはエドワード自身の偏見であったと思います。

ガイはエドワードがとてつもなく惨めな存在であったことを知っている。だからガイになれて人生が好転すると思った。でもエドワードという要素を好きになっていたイングリッドにとってはガイは理想の相手ではない。

それに苦しみながらも、追い打ちをかけるようにイングリッドはオズワルドとうまくいき始めてしまう。仕事でもそう。舞台の主役はガイではなくオズワルドになっていった。

いまやエドワードを捨て去ったガイは、何もできなくなる。

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醜悪な人間は不幸であるべきだ。。。?

そしてそれだけならまだしも、ガイはオズワルドを下に見ているのです。

その醜悪な見た目=昔の自分と思うわけですから、言い方は悪いですが「醜悪なものは良い人生を送るべきではない。」ともいえる偏見を持っていると感じました。

自分は不幸だった。ならお前だって不幸であるべきなんだ。

ここについては、例えばそんなにかっこよくもない男がきれいな女性と結婚している際に感じる劣等感や嫌悪感、また自分よりもかわいくない女がイケメンの彼氏と付き合っているときに感じるような気持ちなのかもしれないです。

ただ無意識の中で、ルックスとそれに紐づく人生というモノを、私たちは決めつけてしまっているのかもしれないと思います。

残念ながら、つまらない人間だからつまらない人生を歩むんだ

ともすれば自分の送るはずだった人生にも感じるのが、オズワルドとイングリッド。それを眺めるだけのガイは心底自暴自棄的になる。

エドワード、ガイ。関係ない。彼がイングリッドに贈ったタイプライターの扱いを見てみれば、そんなことははじめから分かっていたでしょう。

思いを込めていたけれど、それを贈り物とも言ってもらえず、欲しければあげるとまで言われてしまう。かなり切ないですが、現実にもあることです。

ルックスを消費対象として、エンタメとして見るような危険性も描きこみながら、アーロン・シンバーグ監督は残酷なまでの正直さを入れていると思います。私は辛くても、その正直さは好きです。

それは、ルックスでの偏見があるってこと。

そしてルックスにかかわらず、いい顔を手に入れても中身が大したことのない人間は、パートナーと手を取り合い月明かりの下を歩くことはないってことです。

厳しいなと思いながらも、真実なんだと思います。ルックスとアイデンティ、その両面に対して消費や偏見を入れながら、人間としての価値においては励ましでもあるような作品。

風変わりな作品ですが、かなり巧妙さも持っていておもしろい映画でおすすめです。今回はここまで。ではまた。

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