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「アクトレス~女たちの舞台~」”Clouds of Sils Maria”(2014)

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映画レビュー
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「アクトレス~女たちの舞台~」(2014)

  • 監督:オリヴィエ・アサイヤス
  • 脚本:オリヴィエ・アサイヤス
  • 製作:シャルル・ジリベール
  • 撮影:ヨリック・ル・ソー
  • 編集:マリオン・モニエ
  • 衣装:フランソワ=ルノー・ラバルテ
  • 美術:ユルゲン・ドーリング
  • 出演:ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツ 他

やっと観てこれたこちらの作品は、フランス人監督オリヴィエ・アサイヤスによる女優のお話。あんまり公開規模は大きくないですね。

プロット読んで、なんだか「イヴの総て」とか想像してましたが、そういう女優のバトルとかではなかったです。舞台という邦題がついてはいますが、上演に関しての部分はほんの一部。ほとんどは主人公の内面の旅です。

時間帯もあって空いてはいました。今はみんな何に注目しているんでしょうね?

あ、私はこの映画でますますクリステン・スチュアートが好きになってきました。

大女優マリア・エンダース。忙しく華やかな日々を、個人秘書であるヴァルと共に送っている。

自身の出世作「マローヤのヘビ」の監督が死去し、悲しむ中で奇遇にもその作品のリメイクへの出演を依頼される。

だが、今回は過去に演じた若き主人公シグリッドではなく、彼女に魅了される年上の女性ヘレナ役だ。

そして今回そのシグリッドを演じるのは、何かとゴシップで騒がれている若手女優のジョアン・エリスであった。

若さと時代、未来と活力。マリアはこの出演を通してなにを見るのか。

上でもさっと言ってますがね、助演にあたるクリステン・スチュアートが主演のビノシュに並んで素晴らしいです。

「アリスのままで」(2014)にてすごいなあと思っていたら、今作にて完全にお気に入りです。いままでトワイライトのあの人くらいの認識でごめんなさいw

彼女はヴァルというある意味でマリアの一番大事なパートナーを演じていますが、けっして女優マリア一人に焦点を当てない作りで、彼女に必要かつ一人の若者として存在するのがヴァルですね。正直なところ、ジョアンよりもヴァルが、マリアの向き合う若さでしょう。

重ねるごとに読み合わせなのか、現実の会話なのか混同してくるあの別荘での会話シーンは、両者の見事な演技が出ています。役者が役の中でさらに演技するというのは、常に面白いと思いますね。

迫真の演技のマリア、そしてヘレナという役に嫌悪を示す彼女に対して、相手するヴァルのだんだんと切なそうになる表情。

緊迫した台詞や場面で、まるで「これはお芝居なんだ」と現実じゃないことを確かめるように、状況や動作の確認をしていますね。

後半別れのシーンを読み合わせるときには、台本を見ながらでマリアの方を見なかったりです。ヴァルにとっては、読み合わせるごとにまるで自分がマリアを追い詰めているようで辛かったのだと思います。

さて、実際に対峙するのは「現代的」であり、若く活気のあるジョアンです。といっても彼女は実際に出る場面は少なく、象徴的でした。

グーグルの画像やゴシップ記事、動画でマリアは彼女を覗きます。しかし軽蔑しているというよりは、タフさに感心しているようでしたし、揶揄する記者団の動画では下らない彼らに嫌悪を示したように見えました。

クロエは確かにゴージャスで、自由さが良かったです。若さゆえの怖いもの知らずさと言いますか、終盤にマリアの提案をバッサリ切り捨てて、「終わった女に客は興味がないわ。」と言うあたり、しかも遠慮のなさが素晴らしい。

彼女もしっかりと現代の、若い女優の体現であります。スーパーヒーロー映画に出ているところ、マリアにはこれまた難しいものです。

ヘレナを演じることは、マリアにとってはいろいろと挑戦になるでしょう。その作品と役から色々な時代に彼女は直面しなければならないからです。

彼女詩人がクラウスに言ったように、「私は今もシグリッド」なんですね。それは当時の無垢さをそのままでなく、欠片のように持っているのでしょう。

実際過去のシグリッドは彼女自身ですから。しかし年を重ね、ヴァルに応えたように無垢に戻れはしない。

そしてリメイクのためにもう一度読み合わせや、ジョアンをみてシグリッドに対面する。それは過去の自分であり、また別の若く力ある女でもありますね。

さらにつながるのがヴァルです。彼氏話をしたりして、ここにもまた若き娘を見るのです。

その上、若い時から嫌いだったヘレナにも向き合わなければなりません。年をとった女、破滅に向かう者。さらにさらには現在の自分にも、過去にシグリッドを演じたからこそ向き合うのです。

今作のメイン舞台は、劇場でも控室でもホテルでもなく、役作りのためにそして亡くなったウィルヘルムが過ごしたシルス・マリアです。作品の名のままの「マローヤのヘビ」が見える山々と谷。

ヴァルがおそらく別れでイラついたドライブをした時、低音の響く音楽と共に、またあるときはクラシック音楽で荘厳に、ヘビが流れていました。

読み合わせや役作りのことを離しながら、マリアとヴァルはたびたびここを訪れるのですが、どういう意味があったのでしょうか?

このヘビというのは、イタリアの湖からずっと流れてくる雲だと説明されますね。私はこれは時の集約、人生の流れそのものではないかと思いました。

遠く(過去)から絶えず流れ続け、荒れることも美しく輝くこともある時間の群れ。ここに来ることで、マリアは彼女の人生のあらゆる点の彼女自身に知らずに直面していたのではないでしょうか。

時間は流れ、人は老いていく。まさにマローヤのヘビのように止めがたいその流れですが、その雲のひとつひとつは大切な時間であって、無かったことにはならず絶えず自分の中にも流れている。流れているなかの一つに合わせようとしなくていいのでしょう。最

後に企画を持ってきた男は、自分の時代と自分は関係ないと話します。また、”時間を超えた”存在を見ていましたね。

どうせヘビは大きくうねりながら流れていくのだから、何をしても無駄なんです。ある意味で、あきらめて気にしなければ、時間を超えてどんな年、時代をも取り戻せる。

すっかりと投げ捨てたようなマリアの顔がとても清々しく映るラストでした。

長めになりましたが、どうしてもつきまとう年と若さなどの女性の題材において、しっかりと向き合う姿を見せつつ、華麗なまとめ上げで全肯定したような映画でした。

ビノシュの葛藤と、そして反射しながらもがくスチュアートが素敵な作品。お勧めですよ。

なんだろう、クリステン・スチュアートほんとかわいくて綺麗だ。なんとなく女性版ジェームズ・ディーン感をうけるなぁ。 まぁここらでおしまいです。それではまた~

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