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「ファインディング・ドリー」”Finding Dory”(2016)

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映画レビュー
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「ファインディング・ドリー」(2016)

  • 監督:アンドリュー・スタントン、アンガス・マクレーン
  • 脚本:アンドリュー・スタントン
  • 製作:リンジー・コリンズ
  • 製作総指揮:ジョン・ラセター
  • 撮影:ジェレミー・ラスキー
  • 音楽:トーマス・ニューマン
  • 編集:アクセル・ゲデス
  • プロダクションデザイン:スティーブ・ピルシェア
  • 美術:ドン・シャンク
  • 出演:エレン・デジェネレス、アルバート・ブルックス、ヘイデン・ローレンス、エド・オニール 他

ご存じピクサーアニメーション「ファインディング・ニモ」(2003)の続編となる今作。

メインキャストはそのままに、タイトル通り今作はマーリンとニモ親子が出会ったドリーを主人公とした作品になっています。

基本的にピクサーはスタジオ主導で続編を作ることはないそうで、オリジナルの監督がまだ描きたい話があれば、それを映像化していくそうです。

まあドリーは前作でもかなり気になる部分のあるキャラでしたから、個人的にも観て観たかったものです。

夏にぴったりな海の物語。子供たちもたくさん。ロスのEl Captainシアターでしたが賑わってましたね。ディズニーストアでもドリー一色。

1年前にマーリンの息子ニモを探す冒険に付き添ったドリー。

今や彼らや他の魚たちと仲良く暮らしている彼女だが、ある晩ふと昔の記憶が蘇る。幼いころの記憶。自分を大切に守ってくれる両親との思い出。

すぐに物事を忘れてしまうのがドリーの悩みであったが、思い出せなくても両親がいることは確かなはず。自分がどうしてここにいるのか、両親とはどうして別れているのか、そして彼らは今どうしているのか。

わずかな記憶を頼りに、ドリーはマーリンとニモ親子を連れ、両親を探す旅に出る。

ピクサーの水の中の表現はもはや言うまでもなく素晴らしいです。もういうことはないw

今作はやはりピクサーゆにある程度確実な巧さ、良さはあります。ただし・・・

全体的なリアリティライン。それがノイズになってしまって、私としては実は微妙な評価になってしまいました。

具体的にはキャラクターの能力とそれからくる行動です。

まずもってとっても気に入ったと同時に嫌なのが、今作では7本足のタコ、ハンク。すごい良いキャラですが、彼の擬態や移動というのがもう何でもあり。

陸地移動はお手の物、文字だって読めるし最後は車の運転までする始末。万能すぎる。

それは他の魚たちの描写にも言えることです。障害、身体的なものも含めたそれらを乗り越え、何より魚がどうにかして別の水へと自分で移ること。

それがいとも簡単にしかも何度も行われる。そのせいで困難な感じや挑戦に見えなくなり、また達成しても喜びが無くなってしまいました。

前作で行われた、水槽からなんとか外へ出るという大作戦に比べると、すごいことを次々にやりすぎる。ですから、たとえ何かマズイ状況になったとしても、それほど危機を感じなかったですね。

もう終盤のトラック運転とかラッコとか、いくらなんでも過剰ですよ。

キャラクターそれぞれは可愛らしいんです。みんな何かしらのハンディキャップを抱えていて、お互いを励まし合って各自がそれを乗り越える。そこは純粋にアニメーションの中でやることに感服します。

みんなの能力を活かすってのもやはりアガるものです・・・けどね~やっぱり万能すぎやしないかい?

まあ、不満点はこうありますけど、この作品、「ファインディング・ドリー」ですよね。そこがしっかり描けてるからやっぱり良い作品なんです。

「ドリーを見つけ出す」って感じのタイトル。前作はそのままいなくなったニモを探し出すものでしたが、今回は別にドリーが消えてしまうのを探すわけではなくて、探すのはドリーの両親です。

ではタイトルは「ファインディング・ドリーズペアレント」?いいえ、今作はまさにドリーを探す物語なんです。

つまりは、アイデンティティーの問題。ドリーは健忘症で、自分の出自を忘れてしまっています。つまり自分がどういう歴史を歩んできたのか、それを思い出せない。

ドリーは思い出せる限りの自分のパーツをつなぎとめて、両親へ会いに行く。しかしそれは両親を探し出すこと以上に、この記憶の揺らぎを抱えるドリーが自分を探す旅でもあります。

親、昔と今の友人。自分を構成してきた要素と離れてしまい、一人また昔のように海にホ織り出されてしまう。その時のドリーを囲むのは無。何もない暗い水。画面上彼女を除いて本当に何もなくなってしまうんです。

しかし彼女は水草からのぞく淡くかすかな光を頼るようにまた泳ぎ続ける。

「ドリーならどうする?」

散らばってしまう自分をなんとか拾い集めて、自分が自分である印を探し回る。あの一連のシーンは感動です。

忘れてしまうけど、なくなるわけではない。自分が自分であったことそして今もそうであることは常に残っている。

親の絶え間ない愛がドリーを照らし、また出会ってきた友人がドリーを証明する。そうしてドリーは無の世界から、仲間のいる海藻地帯へと泳ぎ戻っていきます。

自己確立、自分が何者であるかを確かめること。魚ではありますが、やはり人間の事。

人はどんな障害があっても、その人自身が自分を失っても、やはり存在が消えたりはしないんですね。私が私である証明。それは絶対に忘れられるものではないのです。

なんだか最後のあたりは「アリスのままで」(2014)を思い出しました。

お魚アニメに、ここまで切り込んだものをぶち込む魂に感服。の一方で、見せ場を多く設け過ぎたために、基本的に成功と達成が薄まってしまっているのも否めない。

ドリーの物語としては良いので、もう少し絞るべきと思うのですが、ヒット作の続編ゆえの”盛る”という制約に苦しんだ印象。

しかし安心と信頼のピクサーです。前作と合わせて是非ご鑑賞を。でっかい画面でね!

感想終わり。では、また~

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