「ザ・ギフト」(2015)

  • 監督:ジョエル・エドガートン
  • 脚本:ジョエル・エドガートン
  • 製作:ジェイソン・ブラム・ジョエル・エドガートン、レベッカ・イェルダム
  • 製作総指揮:ジャネット・ボルトゥルノ=ブリム、クーパー・サミュエルソン、リュック・エチエンヌ、ロバート・シモンズ、アダム・フォーゲルソン、オーレン・アビブ、ドナルド・タン、デニス・ワン、ジェームズ・ワン
  • 音楽:ダニー・ベンジー、ソーンダー・ジュリアーンズ
  • 撮影:エドゥアルド・グラウ
  • 編集:ルーク・ドゥーラン
  • 衣装:テリー・アンダーソン
  • プロダクションデザイン:リチャード・シャーマン
  • 出演:ジェイソン・ベイトマン、レベッカ・ホール、ジョエル・エドガートン 他

「ウォーリアー」(2011)や「ゼロ・ダーク・サーティ」(2012)、今年日本公開された「ブラック・スキャンダル」など俳優として活躍するジョエル・エドガートンの初長編監督作。彼は今作の脚本も手掛けていますね。

といっても彼は「ディスクローザ―」(2013)や「奪還者」(2014)そして現在公開中で出演もしている「ジェーン」(2016)でも脚本を書いてますから、多才さも元々注目されてます。

主演にはコメディで有名なジェイソン・ベイトマンそして今年「BFG」に出ていたレベッカ・ホール。

実はこの作品公開規模が小さくて、新宿でなんとか観てきたのです。で、公開開始から少し経っているにも関わらず、ほぼ満席。評判がいいのかな?

シカゴから引っ越してきた、サイモンとロビン夫婦。

新たな家で生活を始めようとしていた二人だったが、買い物の際に偶然サイモンの旧友ゴードと出会う。その後、再会の祝いにとゴードは家にワインを贈り物として残していった。

ゴードはふと家に現れては親切に手伝いをしたり、贈り物をくれるのだったが、徐々にその行動は不気味になっていく。夫婦はゴードと話し関係を絶とうとするのだが、そこで過去が明らかになっていく。

今作の脚本はまず良いと思いましたね。

設定には無駄な人物はおらず、3人のキャラクターを回していくのです。そして家を何度も登場させて、こころ休まるべきこの舞台が薄気味悪いものとして置かれていることは、緊張感の持続にとっても良いものだと感じます。

最終的な結末までは革新的とか斬新とは言わないのですが、見せ方というところが堅実に作ってあるのです。映像だからということで、台詞にはその役割を担わせて、行動や撮影で色々と観客に投げかけていました。

撮影ではあえてフォーカスを合わせた人物を画面端に置き、ぼやけているものの、廊下だったり奥の部屋など奥行きある空間をとらえています。動くものはないか、何か出てこないか。人物以外にもどこかしらに意識が行くようなしかけ。

さらにゆっくりとした気味悪いズーム、誰の視点かわからないものなど、視覚的な違和感や不気味さがよく出ていたと思います。家のほかガラスを挟んで人物を映すなど、スリラーとして役割に加えて人物の関係も的確に伝えていると思います。

最後の夫婦とゴードの画面構図はお見事でしょう。こういった非言語での部分が全編しっかりとしていて好きですね。

またスリラーとして個人的に大事だと思っている小道具。これがまた良いですね。

ホワイトボード、ジュースのボトル、オフィスの傾いた絵画など・・・ちらりと入れ込んだ中にしっかり意味を持たせています。タイトル通り、贈り物のその箱が不気味に思えるだけで、今作は成功していると思います。

さて、台詞回しが生き生きとしているのはやはりサイモンとゴードの何かしらの過去があるからですね。

まずもって、二人が直接何かを話す、というよりゴードの登場自体は多くはないのです。

出てきても脅しも暴力もなく直接に核心に触れることもない。どういう人物なのか、そしてこの人物のやり方と生き方がジョエルによってよく表現されていますね。色々なキャラを演じる中でも、今回は人との距離が上手く計れないゴードが一貫して演じられています。

最後に本性を表すのではなく、というよりは最後まで彼らしいスタイルという感じ。

対してベイトマンも良い演技です。彼は今作で一番のキー。社会的な部分で演じている男が、ベールを剥がされていく様をしっかり見せてくれます。

直接言い合うことなしに、着実に積まれていく要素。

レベッカ・ホールの不安定さは観客もしっかりと共有していくことになります。ほのめかしという曖昧さが、人物たちを追い詰めていくのです。

これはオチの部分でも素晴らしく機能することになりますが、ハッキリと言及されないがゆえに人は悩み恐れ不安にさいなまれるのです。観客にだけ真実が明かされるわけでもなく、恐怖も驚きもロビンと共有する形です。

贈り物。夫婦でその言葉がタイトルという事、そして序盤の妻の話で気付く方も多いかもしれません。

しかし気付いていても素晴らしいのは、先にも言いました通りそれが画面上に見せられないからこそかと思います。

いじめのフラッシュバックもなければ、最後のビデオも途中できれている。

あえての歯切れの悪さ。これが良かった。

サイモンの罪は時が洗い流すどころではなく、その流れの中でずっとゴードを苦しめる。そしてゴードの放つ言葉も、サイモンを苦しめるでしょう。それこそが彼の目的でしょうから。

真実を握りつづけ、なぜ真実を言ってくれない?!と苦しむ様を見て人生を弄ぶ。見事なリベンジですね。

言葉はそれが真実であれ嘘であれ、力を持っています。どれだけ大きな力なのかを本作は巧みに伝え、またその言葉に何の信頼も持てなくなった不安と絶望を残します。

エドガートン監督はこの一番身近な道具をスリラーに組み込み、言葉を使い続ける上で私たちも抱える問題にすることで、人物たちへの心理の切実さと地続きの感覚をもたらしています。

スリラーですが、純粋な悪を特定せず、どの人物にも同情もできる作り。

日々使う言葉。投げかけるその言葉。いつの日にか贈り物が届いてしまわぬように、正しく使わなくてはいけませんね。

脚本に撮影、小道具に演出などが堅実だからこそ、全くチープにならない良作。エドガートン監督、ここからも楽しみです!ということで規模は小さいですがおススメのスリラー作品でした。

では、また~

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