「立ち上がる女」(2018)
作品概要
- 監督:ベネディクト・エルリングソン
- 脚本:ベネディクト・エルリングソン オラフル・エギルソン
- 製作:マリアンヌ・スロ ベネディクト・エルリングソン カリネ・ルブラン
- 音楽:ダビズ・トール・ヨンソン
- 撮影:ベルグステイン・ビヨルグルフソン
- 美術:スノッリ・フレイル・ヒルマルソン
- 衣装:シリビア・ドッグ・ハルドルスドッティル
- 出演:ハルドラ・ゲイルハルズドッティル、ヨハン・シグルズアルソン、ヨルンドゥル・ラグナルソン、マルガリータ・ヒルスカ 他
「馬々と人間たち」のベネディクト・エルリングソン監督が、アイスランドを舞台に環境活動科の女性と彼女を追う当局、また彼女の養子縁組についてをユーモアあふれるトーンで描いた作品。
主演はハルドラ・ゲイルハルズドッティル。彼女は監督の「馬々と人間たち」にも出演していて、舞台でも活躍している俳優です。
彼女は今作で主人公とその姉とを一人二役演じ、批評面でも作品とともに高い評価を受けることになっています。
この映画はアカデミー賞でもアイスランドの代表作品として出品されました。そのほか映画賞も多く獲得しています。
好評を受けてすでにハリウッドリメイクが決定していて、主演はジョディ・フォスターで企画されているそうです。
日本公開もされていたのですが、予定を合わせられず観れませんでした。今回は配信での鑑賞となります。
〜あらすじ〜
アイスランドの田舎町。
聖歌隊のコーチをしているハットラには任務があった。
それはアルミニウム工場への送電網を攻撃し電力供給を断つことでその稼働を遅らせるというものだ。
地元の自然環境を保護したいため、自作の弓矢でたったひとりの環境活動を続けるハットラだが、当局も繰り返される破壊活動を看過できず、本格的な犯人逮捕に動き出していたです
一方でハットラは、長年の夢であった養子縁組をすすめており、ウクライナの孤児を迎え入れようとしていた。
感想/レビュー
ベネディクト監督が描いているのは間違いなくエコテロリストの話ですし、そこに同時に一人の女性の子どもを得るまでの道のりがあります。
ただこの題材をこのようなテイストで撮れるものなのかと、驚きと感心に包まれる映画体験でした。
妙なユーモアや不思議な構成と演出があり、笑ってしまうコメディではありますが決して冗談ではなく。
芯には重い社会批判と試練、特にラストについてはこの世の終わりとも取れる凄惨さと恐怖すら感じます。
真の人間を見せる強き女神の物語
この話はヒーローの物語。真に人間であろうという試みです。
差し迫る脅威に対してすべきことを堂々としていく、その強さ。そして優しさ。
さすがは男女平等が世界レベルに高く達成されているアイスランドであるからか、ここに出ているハットラの在り方には痛快さがあります。
彼女はとにかく強い女性です。めちゃくちゃに。
それは彼女の行動力にもあり、そして言動にもあり。環境活動という名目で結構強硬手段に出ているハットラ。
OPから自作の弓矢で送電網を麻痺させる。言論でなく行動を選ぶ彼女の、しかも立った広地でも黙々と任務を遂行する姿はかっこいい。
報道で政府の姿勢をみれば、迷わず弓矢をつかんで出ていくその即決力。
泥だらけになり、羊の死骸に紛れ、過酷な岩場も駆け抜け水中に潜る。なんという活力。
弓矢を使うことからも、その気高き強さからも、ハットラはギリシャ神話のアルテミスを彷彿とさせます。
彼女は自然と調和し守護する強者なのですよ。
そんな気高き女神ハットラを追いかけていくわけですが、先に言ったように演出が奇抜というかトーンがおもしろい。
守るべきものが美しく映し出される
まずは撮影による雄大で美しい、ある種原初に還ったようなロケーションには圧倒されます。
ここはアイスランドのロケーション風景を存分に楽しめるということもありますが、同時に自然を否応なく意識させられることにもつながっており、ハットラのともすれば突発的な活動について、その背景と意義を常に感じさせる助けをしてくれています。
とらえる撮影がとにかく美しいため、一つ神話のような感覚もありビジュアルでも楽しめるところでした。
ドローンとか現代的なものが確実に出てはきますけど、叙事詩的な荘厳さをたたえているのはやはり部隊のおかげです。
また、この現場主義的な演出が、机上の空論というか国連会議的なただの話し合いではなく、ハットラの行動こそ必要であることとマッチしています。
音楽の視覚化、感情の視覚化
今作を見て誰しもの印象に残る演出、それはもちろん音楽隊がそこにいること。
映画のサントラとしてバックで流れている音楽のはずが、実際にそこに楽団がいて演奏している。広大な平原でも通りでも、空港でもそしてバスの中でも。
彼らはただそこに現れているのではなく、存在をハットラも認識しているし、あの移民の旅人も彼らを見て”なんだこいつら?”って顔してます。
単純に奇怪な演出なのですが、この音楽隊が奏でているのはハットラの心情です。
彼女の心の抑揚がそのまま彼らの音楽でありそして彼らなのです。だからこそ表面上は強くたくましいハットラに対して、彼らも一緒に重苦しく歩んだり緊張の面持ちをすることが、ハットラに人間らしさを付与しています。
突き進むハットラ。強さと同時に見えるのは、救われるべきものへ手を伸ばす姿勢。
紛争によって孤児となった少女へ家を与えようとする彼女が暴力的な人間とは見えません。
むしろ、ただ通りすがっているだけでも、メキシコ系の人だからといつも何かと逮捕する当局の方がよっぽど愚かで攻撃的。
ここにはアイスランドの排他的な姿勢に対する批判も入っているのでしょう。
本当に立ち上がるべきは
私たちは本当の問題をとらえているのでしょうか。見えているのでしょうか。
この女神の闘いを通して自問します。
人道的に間違った扱いをしたり、危機に瀕する人を見て見ぬふりをすること。
そしてこの環境、自然つまり地球との共生。
不可逆的になってしまう地球環境の危機は2015年くらいにきていました。私たちは何をしたのか。
人類はあくまで地球に住まわせてもらっている。であるのならば共生し、自然環境と調和せねばならない。
映画を通した論ではあるのに、そこには映像とアクションと音楽という言語がある。
純化した映像体験と戦いから、この作品は観るものに自問させる。内省と何よりも行動を喚起する。戦え。立ち上がれと。
エルリングソン監督のユニークな語りが、このエコテロリストであり闘いの女神の話を得意なものにしながら、惹きつけて離さず観たものを変化させます。
ユーモアがあるのも見やすい点で、多くの方に鑑賞してほしい作品でした。
やはり当時映画館にってスクリーンで観ればよかったなと、結構後悔する映画って多いです。
機会を逃さず映画館に通います。
というところで今回の感想はここまでです。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
ではまた。
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