「視線」(2022)
作品解説
- 監督:クロエ・オクノ
- 製作:ロイ・リー、スティーブン・シュナイダー、デレク・ドーチー、メイソン・ノビック、ジョン・ファインモア、アーロン・カプラン、ショーン・ペローネ
- 製作総指揮:ベン・ロス、ラミ・ヤシン、ガビ・アンタル、ジェームズ・ホップ、エリザベス・グレイブ
- 原作:ザック・フォード
- 脚本:クロエ・オクノ
- 撮影:ベンジャミン・カーク・ニールセン
- 編集:マイケル・ブロック
- 音楽:ネイサン・ハルパーン
- 出演:マイカ・モンロー、カール・グルスマン、バーン・ゴーマン、
「V/H/S/94」で共同監督をしたクロエ・オクノ監督が、自身単独での長編映画デビューとなる作品。異国の地に引っ越してきた女性が、誰かに見られているという恐怖に苛まれていく様を描くスリラー映画です。
主演は「ザ・ゲスト」や「イット・フォローズ」などのマイカ・モンロー。
その他「ネオン・デーモン」のカール・グルスマン、「ダークナイト ライジング」のバーン・ゴーマンらが出演しています。
今作はネトフリにて配信になっていて、劇場公開はないですね。22年のモノなんですが、日本のネトフリには24年の11月に来ていました。新着リストの中にあったので鑑賞しました。
~あらすじ~
夫の仕事の関係でルーマニアのブカレストへ引っ越してきた若いアメリカ人女性ジュリア。
ルーマニア語が分からず、さらに英語が通じる相手も少ない環境で、夫は仕事ばかりで不在がちのため孤独感を募らせていくジュリア。
そんなある時、彼女は向かいのアパートからの視線を感じる。建物の窓を見ていると薄暗い部屋の中で男の影が見え、こちらをずっと見ているのだった。
彼女はこの謎の男につけ狙われ、のぞかれていると感じ、次第に恐怖に蝕まれていく。
夫や周囲の人間、警察はまともに取り合ってくれず、言葉が通じないこともあってさらに孤立してしまうのだった。
そのいっぽうで、彼女の住む地域では若い女性を狙った連続殺人が起きていた。
感想レビュー/考察
約束事としてかなり過去の作品に通じるものがある作品でした。
覗き込むこととそれにより主人公に危機が迫る点はヒッチコックの「裏窓」をかなり彷彿とさせます。
ただ、ちょうどいい塩梅でスリラーとしての気味の悪さを持っていたので楽しめました。
あまりジャンプスケアを使わない点もいいと思います。ジリジリと追い詰められていく感覚が主人公のジュリアと観客でシンクロしやすいと思いますし。
朧げに脅威を感じ取らせる撮影
音楽も仰々しくない。あとは撮影の妙があると感じます。見えにくさを重視した撮影でした。
おおよそ影をつかむとか、恐怖から直視できないジュリアの心理を表現していると思います。
男のことは見るというよりも感じ取るといった具合です。
輪郭となんとなくの風貌はわかるがピントは合っていなかったり、靴から上にカメラをパンして見上げていくものの、顎のあたりでカメラは止まり、その顔をしっかりとは捉えない。
ちなみにOPでも、夫婦が新居にやってきてさっそくセックスをし始めますが、じっくりとカメラが引いていきます。
そして窓の外に出て行くんですが、この時点で、向かいらこの夫婦の営みを見ている誰かの視線のように変容していくというのは、示唆的でおもしろいスタートです。
言語の壁を、状況が分からない不安に変換
さらにジュリアには言語の壁があって、彼女が周囲の会話をしっかりと把握できない点も、不安や怖さに繋がります。これも、明確ではないという怖さですね。
何か分からないことが分からないままになっている時のモヤモヤと不安を各セクションで徹底していると感じました。
反撃の機会を奪ってしまう夫の親切心
また会話については夫のフランシスが造形的にもよく描かれていたと思いました。
彼はOPすぐのタクシーの中で、ジュリアのために運転手の言葉を英訳します。
しかしそこで、運転手がおそらくかなり失礼な、性的な発言をする。そこでフランシスは表現を和らげてジュリアに伝えるのです。
また後にはフランシスの仕事仲間との食事シーンでも同じようにルーマニア語での会話でフランシスがジュリアのために英訳します。
ただここでも全部を訳して伝えなかったり、表現を柔らかくしています。
もちろん悪意はないです。夫としての優しさからジュリアのことを想ってフランシスはこの様に保護としての通訳をしている。
しかし、誹謗や攻撃に対してジュリアが正しい反応を取れなくしてしまっていることでもあります。
自分自身を信じられなくなることが最大の苦しみ
この柔和なアプローチに加えて、ジュリアの恐怖に対して、ある意味論理的な回答を繰り返す点は、「ガス燈」の効果を引き起こしかねない。
ジュリアはスーパーマーケットでの監視カメラの映像を確認して、自分なりの確信を得る。
しかし、フランシスは「視線を感じたからこの男性はドアの方を観たのでは?」とジュリアこそが男を覗き追いかけていると示唆します。
だからジュリアは追われていると言いつつ男を意識して追っている自分の矛盾に気づいてより悩んでしまう。
自分自身を信じられなくなっていくことこそ最大の苦しみでしょう。
組み立てやマイカ・モンローは素晴らしい。彼女は美しいながらも儚いような、脆さをうまく出しています。
隣のストリッパーの女性との交友についても、なんだか明るくなるというよりも依存相手を見つけているようで、危うさが拭えない感じ。
ほんのりとも、観客にも信じて良い語り手なのか怪しい感じを出していたと感じて、だからドラマ部分が完成されていると思います。
そういった意味ではとても完成度の高いスリラーでありました。
連続殺人鬼は実在し、怪しい人物がそのまま犯人である
しかし最終的な展開は、終わり方はちょっと普通かもしれません。今作はもっともっと、女性が感じ取っている恐怖と孤独だけを描いても良いと思うのですが、やはり物語として決着をつけなくてはいけなかったのでしょうか。
疑わしかった男がやはり連続殺人鬼でしたし、最後はジュリアも襲われる。もちろんここで、夫(男性)に助けてもらうのではなくて、自分自身の力で殺人鬼を倒すという決着は、現代風で良いと思います。
それでも結局は、主人公が怪しいと思った男が殺人鬼でしたという既定の路線で終わってしまったのは、そこまでの道のりが良いからこそ凡庸に感じてしまいました。
音楽や撮影、また会話の仕組みやマイカ・モンローの演技はとてもいいものですので、終わり方が惜しい感じがする以外はとてもひりひりするスリラーでした。
NETFLIXで配信されていますので、気になる方は是非。今回の感想はここまで。ではまた。
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