作品解説

エミリー・ブロンテの不朽の名作小説「嵐が丘」を、新たな視点で映画化したラブミステリー。
主演とプロデューサーを務めるのは、「バービー」で世界的ヒットを記録したマーゴット・ロビー。数多く映像化・舞台化されてきた古典を、現代的な感性で再構築する。
監督・脚本は、「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェネル。原作の持つ情熱と狂気、そしてミステリアスな愛憎劇を、緊張感あふれる映像表現で描き出します。
主題歌はイギリスのポップアイコン、チャーリー・XCXが担当。
キャスト
- キャサリン役:マーゴット・ロビー
- ヒースクリフ役:ジェイコブ・エロルディ(「フランケンシュタイン」)
- 共演:ホン・チャウ(「ザ・ホエール」)、シャザト・ラティフ、(「きっと、それは愛じゃない」)、アリソン・オリバー
スタッフ
- 監督・脚本:エメラルド・フェネル
- 原作:エミリー・ブロンテ
- 製作:エメラルド・フェネル/ジョージー・マクナマラ/マーゴット・ロビー
- 製作総指揮:トム・アカーリー/サラ・デズモンド
- 撮影:リヌス・サンドグレン
- 美術:スージー・デイビス
- 衣装:ジャクリーン・デュラン
- 編集:ビクトリア・ボイデル
- 音楽:アンソニー・ウィリス
エメラルド・フェネル監督の新作ということで、やはり期待の作品。しかし嵐が丘は有名ながらもい実は1939年のウィリアム・ワイラー監督の作品をすごく昔に観たことがある程度で、あまり原作事態への興味は薄かったです。
とりあえずビジュアル面など含めては楽しみにしていました。公開週末にせっかくなのでIMAXで鑑賞。IMAXはほぼフル画角だったと思います。
しかし朝は早い回だったからか、そこまで人は入っていませんでした。
~あらすじ~

イングランド北部ヨークシャーの荒涼とした高地に建つ屋敷「嵐が丘」。
その主アーンショウ家の令嬢キャサリンは、ある日屋敷に迎え入れられた孤児ヒースクリフと出会う。身寄りのない彼と、奔放で誇り高い彼女は、幼い頃から強い絆で結ばれていく。
やがて成長したふたりの想いは恋へと変わる。しかし、身分の違いと社会的慣習、そしてそれぞれの選択が運命を大きく狂わせる。
すれ違いの末に引き裂かれた愛は、やがて執念と復讐心へと姿を変え、周囲の人々をも巻き込みながら連鎖する悲劇を生み出していく。
永遠を誓ったはずの愛が、なぜ破滅へと向かったのか。荒野を吹き抜ける風のように激しく、哀切に満ちた愛憎劇が描かれる。
感想レビュー/考察

何度も映像化されてきた名作「嵐が丘」
エミリー・ブロンテ生涯唯一の長編小説「嵐が丘」。
何度も舞台や映画にされてきた作品で、古くはウィリアム・ワイラーが1939年に映画を作っていたり、ティモシー・ダルトン出演のものやフランスを舞台にしたジャック・リヴェット監督による嵐が丘もあります。
またジュリエット・ビノシュとレイフ・ファインズ共演の90年代の作品、さらにアンドレア・アーノルド監督版の嵐が丘も。
優寧な悲劇であるということもありますが、何度も映像化されていることから、その時代のバージョンや解釈で語られることが多いのだと思います。
エメラルド・フェネル版のキャスティングと議論
さて、今回のエメラルド・フェネル監督版の嵐が丘ですが、キャスティングから微妙な批判もありました。
主人公キャサリン役のマーゴット・ロビーが少し役に対して年上だとか、ジェイコブ・エロルディは若すぎるとか。
ヒースクリフが人種的に間違っているという指摘もありますね。
この辺含めてまあ解釈違いということで済むのかとは思っています。これまでにもホワイトウォッシュ的なことはありましたし。
私は元となる原作があまり巨大で懐が深いからできることだと思います。
マーゴット・ロビーについてはたしかにキャスリンの設定としては少し年上なのかもしれませんが、現在の映画界のスターをキャサリン役に充てるという文脈で間違っていないのかと。
そしてジェイコブ・エロルディはフェネル監督の「Saltburn」からの起用でしょうし、さらにデル・トロ監督の「フランケンシュタイン」も相まって大きくて粗野な荒々しい存在としての性格が当てはまったのかと思っています。
ホン・チャウもアジア系として出演していますが、ネリーの設定がどうだったか曖昧ですが、気になるわけでもないのかと。

原作からの大胆な改変とシンプルな語り
そして物語自体も改変はされています。
まず今作がフォーカスするのはキャサリンとヒースクリフが出会いそして別れるまでになります。
原作ではそれ以上にヒースクリフのその後、彼の子供たちの世代まで描かれています。
さらさらに語り方もかなり変えてシンプルです。
原作が出版寺に不評であり、後世に評価されたのは、その複雑な構造です。
回想形式で、しかも召使いの視点から語られる物語。
その中で時系列も交錯し、さらに手紙を読み上げる形式での語りも取られる。
そうしたストーリーテリングから抜本的に改変され、特段の語り部を持たずにクロニカルに物語は進行していきます。
原作を知らずとも見やすい仕組みになっているとも言えますね。

エロスとグロテスクが混ざるフェネル監督の作風
そういったエメラルド・フェネル監督版の、彼女の解釈としての嵐が丘であると思って鑑賞しましょう。
さて肝心の中身ですが、合わない人はキツいと思います。
嵐が丘そのものや原作でのヒースクリフのような粗野な、荒々しい感じがあります。
しかしそれはこの地の過酷さというのもありますが、物語がエロスとグロテスクさと、けっこうキワモノ感があるのです。
美しい往年のクラシック悲劇というにはあまりに尖っていますから。
エメラルド・フェネル監督は「プロミシング・ヤング・ウーマン」でも「Saltburn」でもたしかにセクシュアルで尖った描写が多い監督です。
今作では特に後半にキャサリンとヒースクリフが互いの誤解を解いて、失った年月を取り戻そうとする一連の流れ。
失った時間を埋めるためには身体的接触しかないと言わんばかりにセックスまみれです。
そして思わせぶりなかたつむりの通った滴りのクローズアップやら。
2人の描写だけでも「何を見せられているんだ?」と言わんばかりのポルノ状態です。

歪んだ愛を体現する登場人物たち
それに他に登場人物のネリーやアリソン・オリバー演じるイザベラ。みんなクセが強い。
ネリーは幼少期にヒースクリフによってキャサリンを奪われてしまったことや、いつまでも自分は召使いのみでありながら、ヒースクリフは孤児出身なのに成り上がったり、キャサリンの心を奪うなどの対比も相まってすごく意地悪になります。
もちろんそういった心理背景から納得のできる造形ではありますが。
そしてイザベラ。
無垢な被害者なのかといえば、執着や依存がつよい存在です。
彼女はとにかく人と強く結びつきたいのですね。ドールハウスにキャサリン本人の髪の毛を使ったキャサリンの人形を置いてる。ヤバい奴。
しかもそのドールハウスとそれを覗き込む人物が無限構造となっているところなど、終わりない内容や隷属を思わせます。
彼女はコントロールする/されることに愛を感じる存在であり、だからこそキャサリンへの当てつけとして粗暴さを出すヒースクリフの下僕たることに充足を得ていくのですね。
愛において渇望と歪みが渦巻くさま。
それを下品だと思ってしまったり、とめどないポルノ以上の何かを感じられるかが何とも微妙でした。

圧倒的なビジュアルと美術が物語を駆動する
キャサリンについて、締め付けられるコルセットの描写や望まないな結婚はあります。
女性の道具としての利用等の部分は時代とフェミニズムを見れる気もしなくもない。
エドガーから提供されるあの寝室の微妙に気味の悪いこと。
キャサリンの肌の色を模し、青く走る血管の模様やそばかすまで入れ込まれた部屋の美術は秀逸。
この作品のストーリーを力でドライブするのはこうした美術だと思います。
ビジュアルと言ってもいい。
衣装から室内含めた絢爛さ。そこに感じる自然の欠如。
ネリーを問い詰めるシーンでの部屋。カットバックする2人の隔絶と上から下からの視点。
その後ろに上半分が明るめで下半分が地獄のように赤黒い壁が見える。
嵐が丘パートはセットらしい質感もありますが、その厳しい環境、岩や霧等の自然は1種のファンタジー世界のようにすら見えました。
ビジュアルの圧倒的な力に、ジェイコブ・エロルディの妖しげさと舌。
話の底の浅さが見えなくなるビジュアルに圧倒される作品でした。
まあ1つの嵐が丘の解釈、エメラルド・フェネル監督版の嵐が丘として見てみるのはアリだと思いました。
今回の感想は以上。ではまた。


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