「ブラインドスポッティング」(2018)

  • 監督:カルロス・ロペス・エストラーダ
  • 脚本:デイビード・ディグス、ラファエル・カザル
  • 製作:キース・カルダー、ジェシカ・カルダー、デイビード・ディグス、ラファエル・カザル
  • 音楽:マイケル・イェザースキー
  • 撮影:ロビー・バウムガートナー
  • 編集:ガブリエル・フレミング
  • 出演:デイビード・ディグス、ラファエル・カザル、ジャニナ・カヴァンカー、ジャスミン・ケパ・ジョーンズ 他

メキシコ出身のカルロス・ロペス・エストラーダ監督の初長編、オークランドに住む二人の友情と彼らをとりまく社会問題を描く作品。

主演を務めるのは、ラッパーであるデイビード・ディグス、そして詩人であり俳優のラファエル・カザルのふたり。

彼らは今作の脚本と、制作も手掛けています。

今作はサンダンスにて2018年初披露、その後夏ごろに北米公開されたようです。

実際のところ、年末の海外のベスト関連で目にしたのが私は初めてで、今回は輸入盤ブルーレイでの鑑賞となります。

今作はアメリカ前大統領バラク・オバマ氏が2018年のお気に入りに選出したことでも話題になっています。

日本未公開であり、今後日本でも公開されるのかは分からないですね。

※8/30(金)公開決定しました!

カリフォルニア州オークランド。

犯罪を犯してしまい刑務所で2か月過ごしたコリン。彼は現在保護観察処分であり、決められた生活ルールの中過ごしている。

何より大事なのは、オークランド警察の世話にならないこと。いかなる状況においても。

保護観察の残り日数が3日となる中、コリンの親友であるマイルズはケンカを吹っ掛けたり銃を持ち歩いたり、コリンの願いと真逆のことばかりしていた。

コリンは夜遅く、保護観察官の下へ帰る途中、警官が黒人青年を射殺する場面に出くわす。

何事もなく無事あと3日乗り切ろうとするコリンだが、彼の脳裏から銃声と横たわる青年、そして白人警官の顔が離れなかった。

傑作。

この映画は人種と階級層の問題、警察による暴力、変わりゆく環境や大人たちの未成熟さに向き合い、私たちが見ようとすらしていない潜在意識の中、もう一つの側面に目を向けさせる力強いものでした。

その複雑かつ多層的な要素を描くのに、たった90分くらいで、しかもコメディ調で観やすいのにもすごく驚かされます。

まずは監督がもつビジュアルの面がとても強く働いていると思います。

鑑賞するとセリフと編集トーンなどの軽快さが印象強いかもしれませんが、ビジュアルも大きいと思います。私は好きです。

オークランドロケでオークランドに暮らし働く二人を描く本作では、朝、昼、夜とオークランドの顔が色々と伺えます。そのなんとカラフルなこと。

朝日、家々の色やペイント、夜のネオンライティング、そして重要な意味を持つ信号機のレッドライトとグリーンライト。

ネオンカラーによる刺激的かつ悪夢的なシークエンスや、若干傾くカメラ、そして亡霊たちの幻想など、セリフ回しやキャラだけでなく、彼らを切り取るビジュアルもとても記憶に残るものだと思います。

コリンの見る悪夢や過去が語られるシーンなど、緩急やテイストの切り替えが見事です。

一歩間違えると陳腐な場面に関しても、ビジュアルの力でホラーテイストを強めます。

ビジュアルに関して、カルロス監督はミュージックビデオ畑出身ということで、そのセンスが効いているのかもしれませんね。

台詞の計算された流れや愛着のわくキャラクターも好きです。

冒頭にマイルスの家のなかで出勤前のシーンがありますが、あれだけでもうガッチリ心をつかまれましたね。

今作はそのノリの良さが、見事なセリフ構成とリズムによく表れていて、のちに重要な意味を持ちますが、人物のセリフがそのままラップになるシーンがあります。

というか、セリフに常にリズムがあるような感じで、いつもラップしている感じ。

感情を流れるように口走る気持ちよさがあります。これはやはり主演を務める二人の力。

デイビード・ディグス、ラファエル・カザルのケミストリーと、彼らの才能に大いに感謝するところですね。

ダイアログだけでなく、もともとは映画俳優ではない彼らがスクリーン上での存在感をばっちり纏ってしまっているのも素晴らしいと思いますね。

また非常にコメディとしても機能するセリフ回しも多く、リズムネタのようにすら思えますね。

ただ、同時に実は全然笑えない状況というのも描かれています。

幼稚な悪友が何気なく過ごす中に、残りの保護観察3日というサスペンス設定がもともとありますが、それ以上に見えてくるのが、二人にかかる社会的なアイデンティティ。

コリンはリスクを避け、タイムカードもしっかり押すし、健康志向で人生のやり直しをかけています。

ただマイルズはグリルをして歩き、すぐ怒鳴り散らして、そして銃を持ち歩くトラブルメーカー。

それでも、世界はドレッドの黒人コリンが危険であり、白人であるマイルズは無条件に無実ととらえます。

警官が駆けつけたとき、どちらを撃つか。その答えを心の中で出しつつ、出してしまうことが恐ろしかったです。

「フルートベール駅で」で描かれたオスカー・グラント氏の死、これもオークランド。

2009年の元日ですが、それから10年たっても、実情に大きな変化がみられていないというのも非常に胸が痛いところです。

タフガイになろうとしているショーンに、刑務所へ行った理由は「タフガイだったから。」というコリン。

ショーンが銃を手にするシーンはおそらく今作のどんなシーンよりも緊張に包まれているのですが、その状況から一気に、変わっていくオークランドの中でもがく二人と、続いていきそうな差別と偏見、そして成長する事へ向き合っていく。

白人の富裕層の移住で、オークランドのゲットーの真似事をする奴には確かに腹が立ちます。

何故って、やつらは結局、ゲットーの現状なんて知らないからです。オークランドでは白人がマイノリティ。そこで生きるとはどういうことか。

安全圏に住んで、オークランドを知ったような口をきいてのさばるわけですから。

でも、ヴァルとコリンの会話でのように物事って変容していくんですよね。スラングが生まれていくのと同じように。

そして変わっていく中で、自分も変わらなくてはいけない。

もちろん、いつまでも幼稚な悪ふざけをしていられないこともあり、そしてまたブラインドスポッティング、つまりは見えていなかった、または見ようとしていなかった点に目を向けていく必要があるんです。

見えていなかったのは”向き合う二人の人間”。

それは引っ越しのお客に言われて、相手をみて理解するため向き合ったことが思い起こされます。

あのときはコリンもマイルスも、ふざけて真面目に見なかった。

でも、のちに彼らは真剣にお互いとその社会的な位置を見ることになるんです。

“Big Black Guy”であるコリンは誰にも”Misreading”されないという。ただ、その読み誤らないイメージこそ、実はバイアスによって不当に持っているイメージだったということです。

クライマックスにかけては意外な対峙になり、あふれ出る感情はラップになり口から流れ出てきます。

ただ、その起源と同じく、怒りを銃弾にこめて放たずに言葉の表現に託す。”I ain’t no Killer.”

軽快なコメディテンポの中に、主演二人の才能が炸裂している本作は、セリフ回しと監督の放つビジュアルスタイルによって強い力を持っています。

個人的には、最後の最後までコリンとマイルスに、つまりオークランドで生きる一般人に寄り添った脚本が何より大きいかなと思います。

大きな社会問題をはらんでいても、俯瞰せず自分たちの日常や子供に起こることに絞ることで、身近な解決の糸口に思えるからです。

運転席を代わり、お互いの目線で改めて互いを見直す。

最後のシーン、二人の乗るトラックに差し込むきれいな日の光に示されるように、生きる私たちのこの先が明るくなるよう、この親友のように見えなかったものを見ていきたいですね。

デイビード・ディグス、ラファエル・カザルのふたりほんとにすごい。

感想はこのくらいになります。今現在日本公開が決まってはいないようですが、これはぜひお願いしたい。

ただスタッフ・キャストの面や規模での集客では厳しめかと思います。

もしよければ、海外版のソフトは安く売ってるので輸入してみてください。おススメです。

それではまた。

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