作品解説

葬式で人生が大渋滞?Z世代の不安をブラックユーモアで描く
自分の価値や将来に不安を抱える大学生が、親戚の葬儀をきっかけに精神的な崩壊寸前まで追い込まれていく数時間を描いたコメディドラマ。
ユダヤ教の葬儀儀式「シヴァ」の場という閉鎖的な空間を舞台に、主人公の焦燥や人間関係の混乱をスリリングかつユーモラスに描き出します。
監督は「ボトムス 最底で最強?な私たち」で注目を集めたエマ・セリグマン。本作は2020年のコロナ禍に発表された長編デビュー作で、ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部の卒業制作として制作した同名の短編をもとに長編映画化した作品です。
主演は、Z世代のアイコンとしてアメリカで人気を集める俳優・クリエイターのレイチェル・セノット。短編版に続いて主人公ダニエルを演じています。
共演には「シアター・キャンプ」や「ブックスマート」のモリー・ゴードン、「glee グリー」のダイアナ・アグロン、「シリアスマン」のフレッド・メラメッド。
スタッフ
- 監督・脚本:エマ・セリグマン
- 製作:エマ・セリグマン、キーラン・アルトマン、ケイティ・シラー、リジー・シャピロ
- 製作総指揮:リアノン・ジョーンズ、レイチェル・セノット、マーティン・アルトマン、フィオナ・アルトマン、スー・コリンズ、ビクトリア・クー
- 撮影:マリア・ルーシェ
- 美術:シャイアン・フォード
- 衣装:ミシェル・J・リー
- 編集:ハンナ・パーク
- 音楽:アリエル・マークス
そんなに大きな作品じゃないですし、日本で有名な俳優が出ているということもない。でも劇場公開してくれたということで公開週末に早速観に行ってきました。
地元でやっていてくれたのでラッキーですが、意外にもそこそこの大きさのスクリーンで、人も結構入っていました。
〜あらすじ〜

大学卒業を目前に控えたダニエルは、誰が亡くなったのかも知らされないまま、親戚のシヴァ(ユダヤ教の葬儀の儀式)に参列することになる。
故人の自宅には親類や知人が集まり、久しぶりの再会に賑わうなか、幼なじみで元恋人のマヤがロースクール合格を称賛される一方、ダニエルは進路の不安や外見の変化について親戚たちから遠慮のない質問を浴びせられ、次第に居心地の悪さを感じていく。
そんな折、数時間前に会ったばかりのパパ活相手マックスが、容姿端麗な妻キムと赤ん坊を連れてシヴァに現れる。
思いがけない再会に、ダニエルの心はさらに大きく揺さぶられていく。
感想レビュー/考察

エマ・セリグマン監督の作品は「ボトムス 最低で最強?な私たち」が有名。そちらは学園モノを題材にしながらも、有害なゲイと包み隠さない下ネタ他非常にパワフルで挑発的な作品でした。
今作はそれよりも前に監督が作った作品になっていて、原作としてはセリグマン監督自身が2018年に作った同名の短編映画をもとにしています。
系譜としては逆行するかたちでこちらの作品を観ることになりましたが、個人的にはボトムスよりも好きかもしれません。
パパ活から始まる物語 ― “実と虚”が暴かれる瞬間
映画は黒のスクリーンから始まり、先行して男の喘ぎ声が聞こえてくる。強まる声に合わせて画面が明るくなりイメージが見えると、そこにはパパ活真っ最中で年の離れた男に跨る主人公ダニエルの姿があります。
パパ活という要素から始まる作品ですが、その後すぐに分かるのはダニエルが敬虔なユダヤ系の家系にあること。
曖昧ながらも家族が亡くなったことで、その葬式”シヴァ”に参加することになるダニエルですが、パパ活相手には「友人とのブランチ」なんて言う体裁を気にする様子が見えます。
実と虚。
この部分が非常に嫌な形で露呈されていく、地獄のような葬式密室劇の始まりです。

葬式会場は“最高難易度ステージ”の人間関係
ダニエルが両親と落ち合うと、ものすごく口うるさい母に、抜けててボケてる父親が紹介される。気苦労が絶えないような両親を横目に、通りの向こうで同じくらいの歳の女の子と目が合うダニエル。
この時点でなんとなくダニエルの意識がもっていかれているのですが、家の中で戦闘が開始すると、そのマヤとのぶつかり合いも見えてきます。
敵だらけの最高難易度を誇るステージのようなこの家。
ダニエルが直面していくのはハラスメントと言っていい、他人からの評価。
誰しもが子どもの頃に、若いころに経験したことがあるあの意味不明かつ最低な子どもの比較や人生のアドバイスです。
ダニエルに対し、本人に聞こえているのは明らかなのに、ルックスについてや社会ステータスをああだこうだ話してくる親類。
正直誰なのかもいまいちわからないのに、前は太っててみすぼらしかっただの、大学で何しているか分からないだの余計なお世話ばかりが繰り出されていきます。
マヤの方は順調に大学で成績を修めて、就職もスムーズに行っているらしく、その比較でさらにダニエルは肩身の狭い思いをします。

嘘と見栄が自分を追い詰めていく
しかし、そこで悩ましいのは、ついつい見栄を張ってしまうことなんですよね。
ネット世界でパパ活が簡単にできてしまうように、SNSで自分の生活を綺麗に見せられてしまうように。
つまり取り繕うことや偽装することに慣れてしまっている今の世代だからこそ、ダニエルは引かずにいろいろなごまかしと嘘を並べ立ててしまいます。
それがさらに自分を追い詰めていくのですが。
その場しのぎのきり抜けをしても、パパ活相手のアレックスの登場に動揺を隠せないダニエル。
アレックスの方もダニエルが何を言い出すか気が気じゃない。
しかもアレックス妻が赤ちゃんを連れてシヴァにやってくるのでさらに現場はカオスに。
笑ってはいけないのに笑ってしまうブラックユーモア
しかしセリグマン監督はこのとてつもない修羅場に対し、ユーモアを織り交ぜて全体を軽くしています。
笑ってはいけないけど笑ってしまう。
そのバランスが絶妙です。ダニエルのステータスだけ見れば、学業は疎か、就活も全然しないでパパ活して、周囲には嘘ばかりついているわけです。
でもレイチェル・セノットの微妙に立ち回りが下手な感じとか、被害者に見えるくらいの災難の数々に、観客はダビエルを不憫に思えてくる。
そしてもっと根幹にある悩みや不安に共感できる。

「何者になりたいのか分からない」という苦しさ
ダニエルが抱えている問題の大本には、”何者になりたいのかが分からない”、”何をしたいのか分からない”という苦しさがあると思います。
大人になる過渡期に、誰もが聞かれるし自分でも自分自身に問いかけること。
そこにまっすぐ答えがある人なんてどれほどいるでしょう。
学生で子供だった人間が、今後どう生きるのか今答えろと言われて。
自分でも迷っているから、安易だというパパ活に進んだ。お金は稼げるし、ジャッジされない関係性。
そんなダニエルが、専攻も就職先も、今も未来も見えないのに選べるわけない。
でも、もう子供だからと逃げられない年齢にはなってきた。
その葛藤と問題を自分でもわかっているから、周りにとやかく言われると余計に混乱するのです。
圧迫感の演出が生む“精神的密室”
地獄絵図のような家の中密着するカメラワークは圧迫感があり、精神がすり減る。
息抜きと自分を見つめ直すトイレの機能。そしてその唯一のプライベート空間ですら、他人の出入りでダニエルの領域が侵される。
トイレにスマホを忘れたせいで知られたくない真実がバレるのは、この家という舞台のなかの、安全領域の崩壊としてよく考えられています。

マヤとの関係が唯一の“救い”
だからこそ限界になったダニエルが途中で唯一外に出たシーンが輝く。
先にマヤがタバコを吸っているところ。初めて「大丈夫?」と聞いてくれるマヤ。
取り繕いと意地悪とで口喧嘩しますが、言い合いがかわいいシーンです。お互いにさみしいの裏返しが、「なんで返信くれないの?」の言い合い。
お互いにめんどくさい彼女になりつつも好きが先行していくのと、笑顔を見せる数少ないシーンです。
気まずさのごった返しの中で、マヤとの関係性は救いです。
カオスな車内に詰め込まれた“これからの人生”
最終幕、笑ってしまうくらいにカオスなこの世のめんどくさい要素が詰め込まれていくワゴン車。
まとまりもない人たちのぎゅうぎゅう詰めが、まさにこの先の人生のようだけれど、その中でも通じ合える人と手を握りしめれば、少しは前を向いて生きていけると思えます。
セリグマン監督はバランス感覚がいいですね。
若い時代に感じた分からない不安と焦りと、周りからのうっとうしい重圧を詰め込みながらも、シリアスになりすぎない可愛いユーモアに乗せている。
だいぶさかのぼる感じではあるものの、こうして劇場公開されてみることができてよかったと思う作品でした。
今回の感想はここまで。ではまた。


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