作品解説

誰もが知る童話「シンデレラ」をモチーフに、大胆な再解釈を施したノルウェー発のゴシック・ボディホラー作品。
本作では、原作で“意地悪な義姉”として描かれてきた人物のひとりであるエルヴィラを主人公にしています。
王子の妃に選ばれるため、彼女は想像を絶する痛みと恐怖を伴う身体改造を受け入れていき、その過程を通して、「美しくなければ愛されない」という価値観がもたらす執着や狂気が、容赦なく描かれる。
まさにルッキズムに囚われた現在にささるプロットです。
主人公エルヴィラを演じるのは、モデルとしても活躍するノルウェー出身の俳優リア・マイレン。
監督は、本作が長編デビューとなるエミリア・ブリックフェルト。
強烈なビジュアル表現は高く評価され、第98回アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされました。
キャスト情報
- エルヴィラ:リア・マイレン
- レベッカ:アーネ・ダール・トルプ
- アグネス:テア・ソフィー・ロック・ネス
- ユリアン王子:イサーク・カムロート
- アルマ:フロー・ファーゲリ
あまり公開規模も大きくないのですが、予告編を観てから結構気になっていた作品でした。公開週末に観に行ってきましたが、結構混みあっていましたね。
ボディホラーなので人によっては眼をそらしたり、気分が悪くなりかねない強い描写があります。
ただ陣割していない点とか、ややコメディなところで緩和されているかと。実際に映画館では笑いも起きていました。
~あらすじ~

スウェランディア王国の王子ユリアンは、国中の淑女たちの憧れの存在。
母レベッカの再婚をきっかけにこの国へやって来たエルヴィラもまた、いつか王子の花嫁になることを夢見ていた。
しかし、新たに家族となった義妹アグネスは誰もが認める美貌の持ち主。一方のエルヴィラは、矯正器具に覆われた口元やふくよかな体形など、どこか控えめな容姿だった。
そんな折、アグネスの父が急逝し、家族の関係は一変する。レベッカはアグネスを貶め、エルヴィラを王子の花嫁に仕立て上げるため、手段を選ばず“美”を施していく。
やがて、王子の花嫁候補を集めた舞踏会が開かれるが――。
感想レビュー/考察

ルッキズムという、現代に蔓延る重たい病
ルッキズム。現代の私たちが囚われている重い病気のうちの1つ。
とにかくTVだろうがSNSだろうが、あらゆる広告媒体もメディアも、容姿の良い人間が登場する。
一部特別な人間が少数いるのではなく、一般人があふれるSNSでもすぐに見た目のいい人が露出していて、それが当たり前になってしまう。
容姿はもともとは人に見られる仕事での優位だったのですが、でも間違いなく見た目ってすべてを左右しています。
しかし、「美とはもっとも価値のある貨幣である」というテーマを扱ったホラー映画「ネオン・デーモン」を思い起こすように、その行き過ぎた美の追求はとても恐ろしいものです。
美をめぐる人類の神話と、シンデレラという題材の新たな目線
古来からの人間の闘いなんでしょう。美しき娘に嫉妬する女王とか、美しさゆえに呪われるとか、おとぎ話も神話も美を中心とする。
その中でもルッキズムを暴走させるキャラがいるのが、あのシンデレラです。
もともとは灰かぶり姫として、美しくも不憫な少女が、最後には王子に救われる物語。王子とは、女性を救う男性。男性にめとられることが女性の人生の目的ですべてという、今では結構危ういシンデレラの物語。
それを、シンデレラじゃない方中心にルッキズムの滑稽さと怖さ全開にしたのが今作です。
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グリム童話がもともと持っていた“黒さ”
子供の頃にシンデレラの原作を読んだ記憶があるのですが、たぶんグリム童話版だった気がします。めっちゃ黒かったのですよ。
グリム版は、この作品のネタバレにもなりますけど、とにかく継母と二人の姉の王子、つまりは金と権力への執着がすごくて、落とした靴に合うように自分のかかとやらつま先を切り落としたり。。。
人体を改造してでも王子の妻になる、継母からすれば王子の義理の母になることに突き進んでいた描写が衝撃で覚えています。
義姉を主人公にした、残酷で誠実なおとぎ話
エミリア・ブリックフェルト監督の初デビュー作は、その黒いおとぎ話を前提に、残酷ですが女性の解放へと向かうような作品。
プロットはただシンデレラをなぞりますが、主人公は義理の姉エルヴィラ。
原作と違い、別に意地悪でもなければむしろ穏やかで優しい彼女ですが、母の再婚から人生が変わる。
もともと王子の詩集を読んで恋焦がれていた少女は、上流階級に加わり、憧れの王子の目に留まるチャンスを得る。
ただそれが母親にとっては財産目当ての政略結婚となり、娘を道具として使い始めるのです。
女性が家族間の政治道具にされているというのは、昔のことのようで今もあること。そこに、王子のために美しくというルッキズムが重なって地獄が始まります。
ボディホラーとしての怖さはそこそこですが、人によっては厳しいものもあるので、ご注意を。

ボディホラーが可視化する“女性の身体への抑圧”
身体的なグロさ、痛みは、そのまま女性が押し付けられている身体への抑圧のままということでしょう。
冒頭の方で、エルヴィラが自分の鼻にできたにきびを潰しているシーンがあります。そこから、普通じゃない量?長さ?の白いニョロニョロが飛び出してきますが、のちのサナダムシの布石でしょうか。
身体に入れられた何かを出している、拒絶を象徴しているように見えました。
しかし、エルヴィラは王子に幻想を抱き、純情。対していわゆるシンデレラ(アグネス)の方が強く独立していて、馬小屋で世話人とセックスするという大胆かつ解放された女性として描かれます。
そこから彼女は虐げられていくのですが、事実だけ見れば別に人に迷惑かけていないし犯罪者でもない。しかし、女性はこうあるべきという規範がアグネスを追い込んでいるのは皮肉。
痩せることに取り憑かれた現代と、サナダムシのメタファー
逆に母親や周囲の期待に応えようと、エルヴィラはどんどんと自分自身を捨てていく。特に体系を変えるところはメタファーも相まってすごく印象的です。
先生からもらうサナダムシの卵を飲み込む。
これは寄生虫で非常に危険ですが、食べてもこの寄生虫が吸収し、やせることができるという非常に危険なルッキズムへの傾倒です。
バカらしいと思うかもしれませんが、現代でも痩せること、細い体を得ることにあまりに固執し、病気寸前、虚弱状態になっている女の子は多くいますよね。
女性芸能人や俳優、アイドルが異常に痩せている、その姿を理想として不健康になる。
誤った理想から拒食症、摂食障害に陥る方は実際にいます。

吐き出される“理想の女性像”
終幕ではこのサナダムシを取り除くのですが、笑ってしまうくらいに巨大で長い白いサナダムシが、エルヴィラの口から吐き出されていく。
これは女性たちに深く深く埋め込まれてきた、固定観念や抑圧、男性が求める女性そのものなのだと思います。引きずり出すのが大変なほど、終わりが見えないほどに深くまで埋め込まれているのですね。
それを文字通りに断ち切って殺し、まっすぐにエルヴィラを一人の人として大切にしてくれた妹は、姉を救い出して外へ出て行く。
軽薄で女性をヤるための穴にしか見ていない王子でも、道具として使うことだけを考える母でもない。妹のアルマこそ大事にしたい相手です。
見た目の表現にかなり細かく配慮された精巧さ
主演のリア・マレインはかなりエルヴィラに入れ込んでいい演技を見せていますし、衣装やメイク他の良さも相まって人物の心情や状態を真っすぐ受け取れます。
ボディダブルを使っているそうですが、ヌードシーンでのエルヴィラの体型も、ひどく醜い太ったものでも、変に性的でもなくバランスの良いものです。

観客自身もルッキズムに巻き込まれていく構造
ルッキズムを批判するために、その当事者を主人公にして観客も巻き込む構成はすごく評価したいところ。
この作品の序盤は、別にエルヴィラに関してもアグネスに関してもルッキズムがどうのこうのと感じにくい。
どちらの少女もそれぞれが良い面があり、優劣もない。
でも映画が進行すると、作品全体が容姿の美しさの強迫観念にとらわれていく。だからこそ、エルヴィラに寄り添う観客も、彼女の苦しさを知っていき体感するように。そうすると、それまでは別に悪者でもなかったアグネスがどんどん嫌な奴に見えてきてしまうのです。
妬ましいし、美しさが際立ち、エルヴィラの劣等感も増す。
でも思い返せば、養子なんて関係ない二人の善き少女として見ていたのに、、、
それだけルッキズムというものが自分の中に入ってくると、周囲の見え方も考え方も変わってしまうということですね。
2時間もない映画の中でもその考えのシフトが起きてしまうのですから、人生でその価値観にさらされ続けているとどうでしょう。やはり恐ろしいものです。
美を売る映画というメディアが、美を批判する意味
映画というモノ自体も、嘘を作り、創造された美しさを売っています。出てくる人物は男女皆美しく、ただの友人でも上司でも、ほんの少しの登場人物もみな容姿が優れている。
ルッキズムをもとに商売をしている面の強い映画を使って、それを批判してくれるというのはそれだけで価値があると思いました。
容姿=自分の価値ではないんだよってこと。だからこそこの作品は多くの女性や、養子に囚われて悩む人に見てほしい良い作品と言えます。ただ、ジャンルがハードル高すぎる笑
というわけでこれが初監督作品ということで明確な目的やボディホラーの手腕も見せつけたエミリア・ブリックフェルト監督には今後も注目。
そんなわけで今回の感想は以上です。ではまた。


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