「モキシー 〜私たちのムーブメント〜」(2021)
- 監督:エイミー・ポーラー
- 脚本:タマラ・チェスナ、ディラン・メイヤー
- 原作:ジャニファー・マチュー『モキシー』
- 製作 エイミー・ポーラー、モーガン・サケット、キム・レッシング
- 音楽:マック・マコーン
- 撮影:トム・マギル
- 編集:ジュリー・モンロー
- 出演:ハドリー・ロビンソン、ローレン・サイ、ニコ・ヒラガ、アリシア・パスクアル=ペーニャ、パトリック・シュワルツェネッガー、エイミー・ポーラー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、クラーク・グレッグ 他
作品概要
「インサイド・ヘッド」で喜びの声を務め、また「ワイン・カントリー」(2019)で監督デビューも果たした俳優のエイミー・ポーラーがNETFLIX製作の下で作成した学園ドラマ。
内気な女子高生がある転校生がきっかけで、匿名にて学校における女性差別への抗議活動を開始、それが大きなムーブメントとなって周囲を巻き込んでいく様を描きます。
主人公を演じるのは「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」などのハドリー・ロビンソン。
また親友役にはモデルで日本では「テラスハウス」に出演していたローレン・サイが、また主人公の恋人になる男子として「ブックスマート」のニコ・ヒラガ。
転校生役にはアリシア・パスクアル=ペーニャ、さらにアーノルド・シュワルツェネッガーの息子で最近は「ダニエル」が日本公開したパトリック・シュワルツェネッガーも出演しています。
ちなみにお母さん役として監督も出ていますね。
ネットフリックス制作なので劇場公開はなく配信公開になっている作品です。
今年配信開始された際にネットで話題になっていたことや海外批評にて度々名前があったので、サービス加入時から楽しみにしていた作品になります。
あらすじ
あまり目立たない女子高生のヴィヴィアンは、親友のクラウディアとおとなしい学校生活を送っている。
学校内にはアメフト部のミッチェルをトップに、スクールカーストが出来上がり、ミッチェルと友人たちは好き放題嫌がらせをしたり遊び惚けており、校長や教師たちも興味が無いように放置している。
ヴィヴィアンもミッチェルとは関わらずただおとなしくすることで学校生活を送り続けるが、ある日転校生ルーシーの登場ですべてが変わった。
「なんで私がミッチェルを無視しておとなしくするの?あいつが馬鹿をやめればいい。」
いやがらせにも負けずまた校内での女子生徒の扱いに対しても強く訴えるルーシー。
そんな彼女がミッチェルたちの作る学生に勝手なタイトルをつけたリストで最低の侮辱を受けたことで、ヴィヴィアンは我慢の限界を迎えた。
彼女は学内の性差別や不平等を問題的する冊子「モキシー”Moxie”」を自作し、女子トイレに置き始めたのだ。
それがヴィヴィアンも思っていないほどの共感と行動を集め、革命へと発展していく。
感想/レビュー
学校というシステムにこびりつく性差別に切り込む
エイミー・ポーラー監督が挑戦しに行った題材は、社会に出てから実際に体験する前に、既に学びの場にはびこっている性差別。
システム的なマイノリティへの攻撃や体制側の理解の無さです。
おそらく多くの芸術作品は実社会にて大人の直面する問題を中心に展開されますが、学校という実は手を付けられていない、しかし問題視すべき舞台に目を向けたことは大きな功績だと思います。
また、映画史に置いては学園者というものはその時代ごとにアップデートされ、1つのジャンルとして成り立っていること、そうした学園者はまさにティーンが観ていくものであることもあり、時代に置いて炸裂させるには最適です。
実際に学生たちがこれを見て、自分たちが背負わされている校則に係れていないルールが発散されていると感じてくれれば、それ自体が少しでも救いになるでしょう。
そして今作がNETFLIXの配信である点も、若い世代に向けていたりもするのかなと感じますがそれはちょっと言い過ぎかも?
いずれにしても挑む題材と舞台は、実は非常に危険であり改革が必要な、芯の部分であるので、ここだけでも敬意を表したいところですね。
そのエネルギッシュさに加えて、見やすくするためのコメディ的な要素もあり、さらに終始してヴィヴィアンが自分こそがモキシーの創始者であることを明かすのかという点も置かれるわけで、見ていく上での引付や興味の持続も十分に感じました。
性差別を描くために設定したキャラが逆にカテゴライズに
となんだか上げておいていうのもなんですが、個人的には否定派となった作品でもあります。
理由としてはまず一点として、声高すぎること。もう一つがカテゴライズを批判する上でカテゴライズに陥っている点です。
前者についてはもはや好みなのかもしれませんが、いろいろと直接的なセリフや描写に過ぎる気がします。それゆえにあまり曖昧な葛藤につながるような部分が見えにくく思い、後者にもつながる部分が出ています。
カテゴライズされて苦しみ、また性差別を受ける女子生徒を描く。
それは大切なのですが、例えば”身体的な成長が進んだことでそうした性的な視線を受ける。または配慮がされて制約を受ける女子”、”マイノリティであるが芯が強く戦う女子”など。
逆に今回のキャラクターとしての造形こそがすごくカテゴライズ的になってしまっています。
ここでの問題は学校における性差別や不平等の被害者というのをあまりに型で描いてしまった点に思います。
その多様性が問題の種類でしかない。それぞれの人物にそれぞれの多面性が与えられておらず、すごくシンプルというか一面的なのです。
だからどうにもノリきれませんでした。
特に男性の面についてはさすがにミッチェルというありきたりなクズは良いとして、男女ともに同調圧力が全くいない点も腑に落ちませんし、またセスについてはそれこそ今度は女子に都合のいい男子でしかない。
女子の位置を押し付ける女子とか、カースト上位に媚びて生きるしかない存在など、描くべきところの描写足りなさすぎると思います。
届くべき世代に届き、革命を起こせれば
非常にエネルギッシュなのは間違いないですし、ムーブメントの間にヴィヴィアンの青春が詰められている点もまあ学園ドラマとして合格なのでしょう。
親友との確執とか新しい友達の登場での嫉妬心や意地を張ってしまう面などもあります。
それらも挑んだ題材にしてはありきたりで、過去に観たものでしかないのですが。
また全体のムーブメントが、その青春のイベント的な交わり方をしているのもちょっと残念でした。まあしょうがないですがクラブ活動的というか。
それは題材の軽さを出してしまう点もあり、最後に性犯罪被害にあった女性を出す点においても、その深刻さが薄れてしまった気がします。
生きづらさを描く系譜として特に、今作を観た時期には「プロミシング・ヤング・ウーマン」や「17歳の瞳に映る世界」を観ていたせいか、ドラマとしても主人公含め描きこみが物足りず、またエンタメとしても大胆さに欠けた気がしてしまいました。
ただ間違いなく、教育の場でありながら社会的抑圧が黙認され不平等であるシステムを舞台に、こうして若年層向けに学園ドラマを製作した意義はあります。
とにかくティーンの層に響き渡り、モキシーが現実にも学校改革を起こしてくれるならそんなに素晴らしいことはないでしょう。
入り口としてはそのポップさやライトさが機能することはできる作品と思います。切り込むこと自体はお勧めできる作品でした。
ということで今回の感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございます。
ではまた次の記事で。
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