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「ブルックリンの片隅で」”Beach Rats”(2017)

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映画レビュー
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「ブルックリンの片隅で」(2017)

  • 監督:エリザ・ヒットマン
  • 脚本:エリザ・ヒットマン
  • 製作:ブラッド・ベッカー=パートン、アンドリュー・ゴールドマン、ドリュー・P・ホープ、ポール・メゼイ
  • 製作総指揮:マイケル・メイズラー、フィリップ・エンジェルホーン
  • 音楽:ニコラス・レオーネ
  • 撮影:エレーヌ・ルヴァール
  • 編集:スコット・カミングス、ジョー・マーフィー
  • プロダクションデザイン:グレース・ヤン
  • 衣装:オルガ・ミル
  • 出演:ハリス・ディキンソン、マデリーン・ウェインステイン、ケイト・ホッジス、ニール・ハフ 他

新鋭監督エリザ・ヒットマンによる長編第2作目。

サンダンス映画祭で上映されたようで、批評面での評価はなかなか良いものになっていました。同映画祭ではコンペで監督賞を受賞していますね。

主演にはイギリスの若手俳優、ハリス・ディキンソン。

彼はドラマの経験はあるようですが、映画は今回が初かな?同じく長編映画デビューとなる女優のマデリーン・ウェインステインも出演。そのほか、助演にケイト・ホッジスも出ています。

インディペンデントですが結構気になっていて、ニューヨーク旅行の目的の一つでした。公開後少し経っていたし、もともと人がすごくくるタイプの映画ではないですが、映画好きな方達がそこそこ来ていましたね。

ブルックリンに暮らす青年フランキー。彼は学校に行かず、いつも友人とつるんでは昼はビーチ、夜は街を歩き回る。当てもなくさまよい、タバコ屋で煙をふかし、友人とハッパをやる。

フランキーはルックスも良く、ある時花火大会で女の子に出会い、彼女からのアプローチで付き合い始めることになる。

しかしフランキーは迷っていた。彼は自分自身に戸惑っているのだ。夜な夜なビデオチャットサイトにアクセスし、そこで裸で相手を待つ男たちを眺める自分に。

やがて彼は話すだけではなく、チャット相手の男と夜に会うようになる。

ハリス・ディキンソン。美青年~。男も振り向く男ですね。ガッチリまでいかずとも鍛えられた肉体に、クリアな瞳、幼さも感じる顔。

フランキーを見事に演じていたと感じます。彼の素晴らしさを味わう作品としておススメですよ。

まだまだ若手で無名のイギリス人俳優らしいですが、期待の新星となっていくでしょうね。

フランキーの抱える問題は、単純に自分がゲイであるというアイデンティティを隠すかオープンにするかと言うことでは無いと感じます。

彼自身が台詞にて何度も言うように「自分の好みが分からない」という事です。それは年上とか、痩せてるとか髪の色がとかの好みであり、そもそも男性と女性どちらが好きなのかと言う問いでもありました。

そこで監督エリザ・ヒットマンが持ち出したのが、インターネットサイト。

今でこそ珍しくもない、出会い系サイトで、ブルックリン近郊の男性が男性パートナー(ほとんどセックス目当てですが)を探す場です。

ネット上でのペルソナ。これを巧く使っている作品だと思いました。

フランキーは友人やシモーネと会う時もフランキーですが、それは彼らに向けたフランキー。

チャットサイトを眺めるフランキーはまた違う存在なのです。そのネットでのペルソナは、現実の私たちによくあてはまりますよね。

家での自分、会社や学校での自分そしてSNSでの自分。それぞれ話し方ももしかすると性格も異なっているでしょう。

そこでフランキーは、いわゆる”リアル”の自分と、ネット上の自分どちらが自分なのか分からくなっているのだと感じました。

一般的には、”リアル”なのがまあ中の人だとか、本人といわれます。そしてネット上のはあくまでキャラクターであると。

しかし、フランキーの場合はそうはいかないように思えますね。

ハリス・ディキンソンは心からの笑顔とか、逆に愛想笑いとか、ネットではなく現実で演じるようになりはじめて戸惑うフランキーを巧く表現していますね。無口ながら彼の眼差しは優しくいろいろと語っています。

フランキーはかなり好きな人物です。

彼は彼女ができたことで、すごいジレンマに陥ってしまいますね。自分に素直であれば、彼女を傷つけてしまう。彼女を拒絶することになってしまうからです。

フランキーは良い奴ですよ。自分中心に何か考えて、押し進もうとしないんですもの。人が傷付くことを、自分がそうなるより恐れているようでした。

しかし、残酷にも自分を隠せばいいというわけではなくなってしまいます。少しだけネットでのペルソナをみせたとき、思わぬ方向へと向かって人を傷つけてしまうのです。

そこでは自分を隠したがゆえに、男性を傷つけてしまいますからね。

そのドラマ性を確実に出せるハリスと共に、マデリーンもケイト・ホッジも良い演技をしていますね。

マデリーンもめちゃ美人で、お似合いカップルなんですが、2人の自撮りシーンで光の反射や鏡の曇りが邪魔をしているのも切ないなと。

またマデリーンの台詞が私は印象に残っています。

「女同士はホットだけど男同士はゲイ。」

ほんのり性の迷いを伺ったフランキーへの返答でしたが、何か核心をついているような気がしましたね。これはある意味男性が背負う性的な遊びの無さを表しているセリフのようにも感じました。

自分ってどれでしょう。

私たちは知らずにペルソナを抱えます。家にいるときがホントの自分?フランキーはそうでしょうか?

友人といる際の彼は間違いなく、サイトで出会った男とモーテルに行くフランキーとは別人です。

フランキーは様々な面でのフランキーを抱えはじめ、そして一つの自分に困惑する。当てもなくたむろし、ハッパもボール遊びも泳ぐのも、フランキーですが、彼は変化している。

シモーネには「毎年同じさ。もう飽きたよ。」と言った花火は、フランキーが変われば違って見えるはず。

私自身自分を完全に把握しているとは思いません。好きなものも分からないかも。

いつの、どこの自分が本当なのか。ネット上でこそもしかすると本音でいるのかもしれません。

今作は同性愛的描写はあれど、そこでの葛藤を描くよりむしろ、自分と言う存在の多面性に苦悩する青年を描いていました。

決まった自分と環境の軋轢ではなく、分からないという状態に苦しんでいるのですね。

エリザ・ヒットマンが持ち込んだ現代らしいネットの機能。知らない自分に出会う場所として、私たちのそばにある。

LGBT映画でありながらもしかし現代の若者、いやすべての現代人にとって普遍性すら感じる作品でした。

日本公開は未定のようですが、小さくてもいいので公開してほしいです。こちら個人的におススメ。

今回はこんなところでおしまいです。それでは、また~

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