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「小さな独裁者」”Der Hauptmann” aka “The Captain”(2017)

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映画レビュー
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「小さな独裁者」(2017)

  • 監督:ロベルト・シュヴェンケ
  • 脚本:ロベルト・シュヴェンケ
  • 製作総指揮:フィリップ・リー、マーカス・バーメットラー
  • 音楽:マルティン・トートシャロウ
  • 撮影:フロリアン・バルハウス
  • 編集:ミカル・ゼナッキー
  • 出演:マックス・フーバッヒャー、フレデリック・ラウ、ミラン・ぺシェル、アレクサンダー・フェーリング、ワルデマー・コブス 他

1945年にドイツ兵ヴィリー・ヘロルトが引き起こした虐殺事件を元に、「フライトプラン」や「きみが僕をみつけた日」のロベルト・シュヴェンケ監督が映画化した作品。原題となっている「Der Hauptmann」というのはドイツ語で”大尉”という意味です。

日本においてはカラー作品として配給されましたけれど、実際のところ今作は白黒映画として公開されているものです。

私は日本公開してすぐに見たのですが、その時は白黒ではなくカラーでの鑑賞。のちに元々のバージョンである白黒版が上映されましたね。

題材が実話でナチス、しかも虐殺などのあるハードなものということですが、結構人が入っていました。若い人もチラホラ見かけました。

ナチス・ドイツの敗戦が濃厚になってきた第二次大戦末期の1945年、ドイツ軍部隊を脱走した若者へロルトは、憲兵隊の追跡を逃れ森に逃げていた。

へロルトは道に乗り捨てられていた軍用車を発見し、食べ物や水などをあさっているところ、荷物の中に空軍大尉の軍服を発見する。

へロルトは寒さからその軍服をまとったが、通りかかった兵士フライタークに本物の大尉と間違われ、同行を願いだされた。へロルトはこのまま大尉になりすまし、軍服と口から出まかせで道中で会う兵士を指揮下に収め、ヘロルト戦闘団なるものを結成する。

丈の合わない軍服と借り物の権力がヘロルトを暴走させていく。

終戦から何十年とたった今も、ナチス・ドイツは描かれています。

今作もナチス・ドイツにおける実話をもとにした作品であり、やはりナチスを描いてはおりますが、その着目点は一兵士にとどめられています。

つまり大きな国という単位や、戦局、システムではなく、かなり焦点を絞ったところに一人称視点を置いているわけです。

そして、今作ではナチスを描くとよく出てくるであろうユダヤ人収容所も出てきませんし、またナチスにとっての敵である連合国軍も登場しません。

全編通して、このヘロルトという20歳くらいの青年とともに、非常に小さく狭い範囲で観客は状況を眺めていきます。

今作を観ていく上で、この狭い視野、限定された空間とその中で猛威を振るうシステムというのは非常に大事だったと感じました。

この狭いナチス・ドイツのシステム下では、軍の権力こそ絶対です。軍における階級こそ全てであり、その力は保証され、どんなことでもできてしまいます。

人物はみなこの拘束的な絶対ルールに従う、またはそれ以外に何も与えられないがために、尋常ではない事態に突入し人間としての倫理観が何かを告げていても、抗うことができません。抗っていい、抗おうという考えすら起こらないような環境下にいるのです。

その中でもしも、ルール上最強と言っていいカードを得たらどうなるか。

今作が描くのは、その危険性だと思います。

へロルトは単なる脱走兵でありますが、大尉の軍服というアイテムにより、システム上における強者となります。中身は関係ありません。その軍服にこそ意味があるわけです。

ヘロルトをスクリーン上で眺めていき、彼の狂気に走る様を見て、怪物だ、生まれつきの異常者だと思えたでしょうか。私は思えませんでした。彼の行動原理は何よりも、論理的だからです。

その論理はもちろん、スクリーンの外側での私たちにしてみれば狂っていますが、先に挙げたようにこの限定的で非常に狭く確定された世界では真っ当です。

人の命すら手中に収めることができ、殺人に全くの罰則もなければどうでしょう。

誰だって、気に入らない奴の一人や二人、殺してしまうはずです。

その自然な残虐さ、正義のお墨付きを得た非人道的行為こそ何よりも恐ろしいものです。

なにせその残虐な行為に対し、一切の罪悪感がない。間違ったことと分かっているが行う悪ではなく、圧倒的に正しくむしろもっとやった方がいいということになっている。

絶対的正義に立つ(少なくとも本人はそう思い、環境がそれを助長する)時こそ、人は残酷です。

それを知らずに狂っていく様を、今作はへロルトを通して体験させます。観客の中にこそ、へロルトがいるのだと。そして私たちの中にナチスが眠っているのです。

当時のナチス・ドイツがなぜあそこまで残虐な行為をしたのか。化け物だったからではなく、ごく普通の人間だったからです。私たちのように。

学校、会社、家庭。ある限られた社会性を持つ空間や組織内で、外から見れば理不尽なパワーバランスが形成されることは本当によくあります。そしてそこで人が人をいじめ、暴行し虐待する。

何よりその中にいると、誰もそれを止めようとしない。おかしいと声を上げることすらなくなってしまう。自分でも気付かない、引き出されあふれ出てくる残虐さは、心底恐ろしいものです。

あえて観客との距離をとらず、遠い存在だなんて感じさせない。ロベルト監督は本当に警鐘を鳴らしています。エンドロールにて、現代に繰り出すヘロルト戦闘団を観ても、笑えません。いまいたるところに彼らを見ることがあるからです。

虐殺など、観ていてつらいようなところもありますが、自分の中にいる加害者の本質を今一度思い起こされました。自分の暴力性は絶対に認識しておかなくてはいけないと思います。

自分は正しいのだ、自分は残虐ではない。それがいかに危険であるか、是非ヘロルトを通して確かめてほしい。彼は実際にいたのですから。かなりおススメの作品でした。

感想はこのへんで終わりです。それではまた次の記事で。

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