「親愛なる同志たちへ」(2020)

  • 監督:アンドレイ・コンチャロフスキー
  • 脚本:アンドレイ・コンチャロフスキー、エレーナ・キセレバ
  • 製作:アリシェル・ウスマノフ
  • 製作総指揮:オレーシャ・ギドラット
  • 撮影:アンドレイ・ナイデノフ
  • 編集:カロリーナ・マシエジョウスカ、セルゲイ・タラスキン
  • 出演:ユリア・ヴィソツカヤ、ウラジスラフ・コマロフ、アンドレイ・グセフ、ユリア・ブローバ 他

Dorogie tovarishchi-dear-comrades-2020-movie

「白夜と配達人」のアンドレイ・コンチャロフスキーが、ソ連の血の日曜日と呼ばれるノヴォチェルカスクの虐殺と、その災禍の中娘を探し奔走する母を描いたドラマ映画。

主演は同監督の「パラダイス」にも出演していた、ユリア・ヴィソツカヤ。

今作は第33回東京国際映画祭のワールドフォーカス部門でプレミア公開されました。

自分は事件のこと含めて歴史に関しては全く知らないのですが、興味があって鑑賞しました。TIFF最終日の朝でしたが、結構人がいましたね。

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1962年6月、ソビエトのノヴォチェルカスク。

フルシチョフ政権下、党員として市の執務にあたるリューダは、中央の政策がスターリン政権時に比べて劣っていると不満を持っていた。

物価は上昇し、日用品がまともに手に入らず、町の工場では賃下げが行われるという。

リューダはそれでも共産党を熱烈に支持しているが、町の工場に勤める娘は党や体制への批判をしている。

そして、町の工場で大規模なストライキが勃発し、デモ隊が大挙して当局の建物に押し寄せる。

軍隊が出動し、高官たちも事態収集のために集まってきた中で、民衆に向けて銃撃が開始された。

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アンドレイ・コンチャロフスキー監督は、ソビエト、ロシアがひた隠しにしてきた歴史上の虐殺を、リアルな追体験として映画にしました。

そういう意味では暴露映画ですが、その手法は工夫されています。

今作はデモの始まりから、その隠蔽や粛清の様を、主人公リューダに付きっきりで描きます。

それは俯瞰視点をもたない、事件への密接なアプローチでありますが、同時に監督は主人公をその加害者側に立っていた人間にする試みを通して、同情や希望に似たものも入れ込んでいます。

こうした虐殺では、市民側やレジスタンスなどの正義の側が主役か、または当事者ではない外部の目線で物事を捉えることが多く感じるので、リューダの視点での体験はユニークなものでした。

リューダが主人公になることで、主人公の信条の揺らぎや、拠り所への疑念と崩壊があり、そこに親としての子どもを想うドラマが追加されることで、非常に濃い内容になっていますね。

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冒頭からスターリン政権を擁護し、民衆は群れをなして押し掛けるなか、間をすり抜けて自分は別に用意された商品を受けとる(無いと言っていたマッチを普通に出す始末)。

リューダは党員であることもあり、支配側、力のある側の人間なのです。

なので初めは彼女に敵意すら感じました。

普通の映画では悪役みたいな人ですからね。

民衆の徹底的な弾圧も、リューダが言い出しますし、とても感情移入できる人物ではないんですよね。

しかし、広場での虐殺が全てを変えていきます。

娘の安否不明以降は、KGB、軍による高圧的な態度、脅迫による隠蔽工作が横行し、リューダにも降りかかってきます。

この作品はモノクロ、そしてほとんど正方形のアス比を持った画面で展開されますが、リューダの境遇を考えるに、その狭苦しさと、ハッキリとした白と黒の世界が寂しく、そして残酷に感じます。

この画面には暖色や柔らかな光などない。銃撃の中で窓ガラスを通り女性を貫く銃弾。その音の鈍く小さなこと。

劇的なことはなく、音楽もなくあまりに荒涼とした中で淡々と残酷なことが繰り広げられます。

その最中に娘がいるのではと思うと、リューダの行き場のない不安と絶望も身に染みてきますね。

Dorogie tovarishchi-dear-comrades-2020-movie

共産党員、高官たちの描写には、滑稽さすらあります。

デモ隊の中に紛れ込むKGBのスパイの写真を見るシーン。口を開けて叫んでいるから扇動者だって、デモなんだから叫ぶのは当たり前だろというのに。

命令され退室する様含めて、人命がかかり暴力を振るうのに、その根源が頭の悪すぎる者しかいないのです。

軽薄で無知、そこからくる理不尽と惨たらしい暴力、そして卑劣な隠蔽。

誰しもが粛清に怯え、人としての情けも忘れた中で、他人の墓に勝手に埋められる名も記されない民衆。

人として超えてはいけない、死者の扱いまでも。

その連中に同調した人々として、リューダと、彼女と同盟関係を結ぶKGBの男がいるのですが、やはり監督はどちらも批判したいのではなく同情の気持ちをもって描いていると思うのです。

彼らは間違っていたかも知れません。

しかし圧政に加担してしまったとしても、希望があります。

闇の中で、国の未来たる娘を抱き締めて、リューダは前を向くのですから。

スターリン、フルシチョフ。国民は裏切られて来たのかもしれませんが、アンドレイ・コンチャロフスキー監督はそれでもロシアに望みを見ています。

告発であり、当事者への優しい眼差しであり。おもしろい視点から虐殺を描いているドラマでした。

今回の感想はこのくらいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

それではまた次の記事で。

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