「群衆」(1941)

  • 監督:フランク・キャプラ
  • 脚本:ロバート・リスキン
  • 原作:リチャード・コネル、ロバート・プレスネル
  • 製作:フランク・キャプラ
  • 音楽:ディミトリ・ティオムキン
  • 撮影:ジョージ・バーンズ
  • 出演:ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック、エドワード・アーノルド 他

キャプラとクーパーが組んだコメディ調のドラマ。

キャプラ監督らしく民衆に寄り添い高官やら富豪を批判的にとらえる映画です。隠れがちならが確かなキャプラ監督らしさのある映画ですよ。

キャプラ監督作は「スミス都へ行く」(1939)や「素晴らしき哉、人生!」(1946)も私は好きで、やはり庶民側を善良に、政治家や資産家を悪側に描きますね。

そして民主主義を訴えていると思います。今作も民主主義とその象徴を生み出したと感じますよ。

女記者のアンは新聞社の意大量リストラにあい失職してしまう。

怒りの収まらない彼女は、「不当な社会に抗議するため、クリスマスイヴに飛び降り自殺する」という記事を書き、署名に”ジョン・ドゥー”と記す。

とんでもない記事に上司は彼女を呼び戻すと、その記事で盛り上げて発行部数を増やしてみせるという。

このジョン・ドゥーを演じるための男を探し、彼女が彼についての記事を書くことでアンは復職。そしてそのジョン・ドゥーには田舎者のウィロビーが選ばれる。

かくしてこの民衆の怒りジョン・ドゥーは一世を風靡することになる。

偽りで盛り上げる手は数知れず、初めは適当にやって切り上げる気でいたウィロビーもだんだんと自分の立場が分かり始めます。

良い思いをしてるだけでなく、読む原稿に彼自身影響されるんですね。それが広がって群衆が集まると、大事過ぎて逃げ出してしまう。

しかしもはや自分はウィロビーでなく、ジョン・ドゥーであることを思い知らされるのでした。

群衆が信じる存在こそ現実なのかもしれません。そうなればジョン・ドゥーは逃げるわけにはいかないということです。

しかしそのジョン・ドゥー劇自体が政治だったという事実。

それを訴えようとしたウィロビーは逆にインチキの嘘つきとされてしまう。ここでは批判していた高官たちが逆に群衆を味方にウィロビーを陥れてしまいます。

群衆を味方に付けた方が勝つ。いつの時代も真理なのかもしれません。

しかし追い詰められたウィロビーはなんと群衆に救われます。それは彼がジョン・ドゥーとして伝えた精神を持つ人たち。

より人間らしい社会を共に目指した人たちはみなジョン・ドゥーなんです。ウィロビーはジョン・ドゥーに救われたんですね。

そしてなにより、そのジョン・ドゥーを生み出したアンに助けられる。

金持ちをぎゃふんと言わせて爽快なた作品に比べると少し切なさのあるキャプラ映画ですが、民衆の中にジョン・ドゥーを通し民主主義と人間主義を蘇らせ、観ている私たちもまたジョン・ドゥーとなり闘い助け合える。

確かな群衆の力を教えてくれる映画でした。

というわけでおしまいです。しかしエドワード・アーノルドは汚いお偉いさんが似合う俳優ですね。

それではまた。

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