「ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏」(2018)
- 監督:ジャスティン・ケリー
- 脚本:ジャスティン・ケリー、サヴァンナ・クヌープ
- 原作:サヴァンナ・クヌープ『Girl Boy Girl: How I Became JT Leroy』
- 製作:ジェフ・ビーズリー、マーク・アミン、ソー・ブラッドウェル、カシアン・エルウィズ、ジーリ・サラン、パトリック・ウォームズリー、ジュリー・ヨーン
- 製作総指揮:トレイシー・クリスチャン、タイラー・ボーム、ナディーン・ドゥ・バロス、ウェイン・マーク・ゴッドフリー、アンダース・エアデン、マーゴット・ハンド、ジェリー・ハウスファター、ロバート・ジョーンズ、サヴァンナ・クヌープ、ジャスティン・ケリー、フィリス・レイング、ゲイリー・パール、ジェド・ルート、デヴァン・タワーズ、カミ・ウィニコフ
- 音楽:ティム・K
- 撮影:ボビー・ブコウスキー
- 編集:アーロン・L・バトラー
- 出演:クリステン・スチュワート、ローラ・ダーン、ダイアン・クルーガー、ジム・スタージェス 他
ローラ・アルバートがJ.T.リロイというペンネームで発表されたベストセラー小説をめぐり、その架空の作者を別の女性が演じたという実話を映画化した作品。
正確にはその架空の作家を演じた女性の自伝を元にしています。
小説を書いたローラはローラ・ダーンが演じ、そして架空の作者J.T.リロイを演じたサヴァンナをクリステン・スチュワートが演じています。
またリロイの小説を映画化しようとするフランス女優をダイアン・クルーガーが演じます。
私はこの実話や実際に作られた映画に関しては全然知識がなく、そもそもの話が面白そうなことや俳優目当てでの鑑賞となりました。
公開から少し経っていたのと、平日夜の回というのもあって劇場は空いてました。
1999年に小説家ローラ・アルバートは『サラ、神に背いた少年』を書きあげ、それはベストセラーとなった。
しかしローラは自身の名を出さず、存在しないJ・T・リロイというかくうの少年作家を生み出し、フィクションである作品を彼の自伝としていた。
あるときローラのボーイフレンドの妹であるサヴァンナと出会ったことで、ローラにある思惑が生まれた。
それはサヴァンナに返送してもらい、J・T・リロイが実在するとして公の場に出てもらうことだった。
サヴァンナも軽い気持ちでそのローラの申し出を受けるのだったが、インタビューや雑誌向けの写真撮影が重なり、ついには小説の映画化にまで話が進む。
そしてJ・T・リロイとしてのふたりにそれぞれの欲求が生まれ始めるのだった。
そもそも題材となる実話が非常に興味深いことがあります。
実在の人物が生み出したフィクションの登場人物の、存在しない架空の本人をこれまた一致しない他人が演じたという話を、俳優たちがこれまた一つのフィクション(実話をもとにこそしていますが)としてスクリーンに映し出すわけです。
この説明だけで満足する、仕組みと構造を示して終わるってしまうことすら想像できますが、今作でジャスティン・ケリー監督はある程度の掘り下げと、多層的に重なるフィクションとそれらが私たちに果たす役目を描いていると思いました。
それを完成させてくれているのは、演技の中で演技をこなしながら、ジレンマに揺れる様を見ごとに演じているセンターとなるクリステン・スチュワートとローラ・ダーンかと思います。
クリステンはアサイヤス監督「アクトレス ~女たちの舞台~」でも見事に演技の中の演技を見せてくれていましたし、ローラ・ダーンも昨今の出演同様に変化に富んでいます。
どちらもただ単にそれぞれの人物がキャラクターを演じているだけでなく、自分で一度被った、または生み出したペルソナ(仮面)の所有に揺れているのが、生きて感じられます。
クリステンの場合には、彼女自身のキャリア初期が存在として大きく思えます。
雑誌の中、メディアの中のクリステン・スチュワートが一つのレイヤーとしてさらに重ねられても見えるので、ここにまた虚構と真実の構造が深まって見えました。
二人の完璧と言える俳優の力があるので、実際のところその他の登場人物たちが甘い作りでも満足できる、おもしろいドラマが成立していると思います。
彼らの生み出したJ.T.リロイ。
それはフィクションの化身と言っても良いでしょう。
フィクションというのは私たちと不思議な距離を持っています。
それは確実に隔絶した他己でありながら、同時に実在のなさゆえに自分が入り込むことのできる自己でもあるのです。
現実世界には絶対に存在しない、入り込める他人。
それを生み出す側として、ローラとサヴァンナがいますが、始まりは完全に無垢で、また共感できるものです。
ローラはOPすぐのパーティのあと、注目を集めているのはその芸術的才覚ではなく、ルックスだと車内で愚痴っています。
自分のありのままが、世界にとって興味深いと断言し光の中へ進める者はいないと思うのです。
ですから、J.T.リロイが必要だった。
解放と生を感じるために利用したペルソナに飲まれていく。
少しの跳躍が戻れない状況へと転がりますが、非常に知的な論議を口論に落とし込み見せています。
小説が嘘であっても、途中でJ・T・リロイに駆け寄ったファンが癒されたことに、救われたことに批判向けることは難しい。
誰しもフィクションに自己を重ねたり、それを自分の都合に良いように消費するものです。
自分は演者ではないので想像するしかありませんが、役に喰われていく俳優はいると思います。
強烈なキャラクター(フィクション)を演じたゆえに、まるでそれが俳優という自己から体を奪うように巨大なペルソナとして大衆に消費される。
フィクションといってもその作家の一部や人生が入っているに違いないと、作家と作品を切り離せないこともあります。
この考察や、そこで溺れる二人を演じる俳優が素晴らしいことは確かですが、作品はその先には到達しません。
他にもいるペルソナを与えられた存在であるジェフの掘り下げはなく、また本音と建前の構造が用意されたエヴァもうまく機能していないように思えます。
センターだけを描くのであれば、結末はかなりシンプルで安易とも思えました。
単純な分離を果たし、それぞれ新しく生きていけるほど、J・T・リロイが軽い存在には思えないからです。
事実が興味深く、それを見事にドラマとして見せている点で非常に楽しめましたが、心からの嘘が真実を超える、その先には到達せず、時間経過や周囲の人間など描写が不足しすぎる印象もあった作品です。
クリステン・スチュワート、ローラ・ダーンのメイン俳優が確かなことはあり、彼らを目当てに観賞するのはおすすめです。
後若干気になったのは、カンヌあたりとかでの合成感が強めだった点。目立ちすぎない?
突き抜けていない点と着地がうまくいっていないと思いますが、総合的には満足な作品です。
感想は以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。
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