「レ・ミゼラブル」(2019)
- 監督:ラジ・リ
- 脚本:ラジ・リ、ジョルダーノ・ジェデルリーニ、アレクシス・マネンティ
- 製作:トゥフィク・アヤディ、クリストフ・バラル
- 音楽:ピンク・ノイズ
- 撮影:ジュリアン・プパール
- 編集:フローラ・ボルピエール
- 出演:ダミアン・ボナール、アレクシス・マネンティ、ジュブリル・ゾンガ、イッサ・ペリカ、アル=ハサン・リ 他
ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台として有名なフランスパリ郊外のモンフェルメイユを舞台に、スラムと化した街とそこに走るグループ間の緊張を、新たに赴任した警官の巡回から描き出す作品。
監督はモンフェルメイユ出身で現在もその地に暮らす、ラジ・リ。
この作品はカンヌ国際映画祭では審査員賞を獲得、アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートし、フランスのセザール賞で作品賞を得るなど高い評価を得ています。
ワールドカップの勝利に沸くフランス。その郊外にあるスラム街の警察署に新しく赴任してきたステファンは、犯罪防止班に加わりパトロールに出る事になった。
チームには抑圧的で暴力も辞さないクリス、そして警官の権力を乱用するグワダがいる。
違法性もあるような巡回を続ける中で、地元のグループ間の緊張が高まる事態が発生する。
イッサという少年が盗みを働いたことがキッカケだ。
ステファンたちはイッサを捕まえるものの、警官の暴力に反対する少年グループに囲まれ、混乱の中でグワダがゴム銃でイッサを撃ってしまった。
そして最悪なことに、その一部始終がドローンによって撮影されていたのだ。
ドローンのビデオを回収しようと奔走するクリスたち、そして警察をつぶすネタになると同じくビデオを狙う地元の複数グループが加わり、事態は大きな騒動へと広がっていく。
ラジ・リ監督の目線は、このスラムの中に観客を没入させる力を持ちながら、それでいて観客含めて外側への要求が強く感じられるものでした。
まるでドキュメンタリーのような粗削りなカメラワークとズーミングなどを駆使し、音楽も排除してスラム街の巡回に観客も参加させるのです。
同乗する社内での撮影や、狭い通路、階段、店の中など、緊迫感が高められる撮影に圧倒されます。
音響としても会話や怒鳴り声、物を投げる音、そして心臓を撃つようなゴム銃の大きな音など構成が見事で緊迫した中に耳も含めて観客を放り込んでいます。
どのグループにいても怖さ、不安がありますが、ステファンにとって同行するチームも安心できる場ではない点もうまく作用しています。
冒頭の紹介からクリスは癇癪持ちでキレる、そしてキレやり方が警察内でも認められていると語られ、巡回中にも彼が事態を悪い方向へと進めないかヒヤヒヤさせられるのです。
約束されたスリルの中で本来ならばシンプルな構造を持つはずが、この作品があまりに不安定であるのは、正義が描かれないことと、それ以上に、悪が描かれないことにあると思います。
ラジ・リ監督は登場するすべての人物にはっきりとした色付けをしません。
一見悪役に見える、危険に見える人物すべてに、彼らの背景、人としての生をのぞかせているのです。
細やかな説明はなく、あくまで巡回に際してステファンへのざっくりとした説明が車内で行われるだけでありながら、節々から各人物の抱える背景、歴史が見えます。
彼らは何か物語上の役割をもって存在するのではなく、ここに生き暮らしているということです。
そこには家族がいて、守るべき仲間がいて、仕事があってこの先の展望もある。
汚職警官と正義の新米警官の構図になったかと思えば、次にクリスとグワダの家族とのシーンが挿入され単純な悪役像を壊します。
もしもこの作品の人物全員を染めているものがあるとすれば、それは怒りです。
長きにわたり蓄積されてきた不満、限界を迎える抑圧。
作中に起きる事件によってではない。それよりもずっと前から渦巻いてきた怒りが、もはや制御不能なものとなって噴き上げる。
そしてラジ・リ監督は、ドローンという仕掛けから、遠くからの俯瞰目線、つまり神の視点を作り出します。
その場で起きていることを体感させながら、同時に外側にいる私たちの位置を再度確認させるのです。
このカオスを誰が見ているだろうか。
ただ俯瞰するなら助けなくては。
渦巻く怒り、恐怖の中生まれた子供は親を殺します。
神話的ですが、その世界を焼き尽くす炎を生んだのは他ならぬ私たちということです。
初監督作品にて鮮烈な今を描ききったリ監督、素晴らしい。
強いてゆえば若干個人的な繋がりを持つ事欠けていますが、観ている側に強く訴える力のある作品でした。
感想は以上となります。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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