「50人の宣誓」(2019)
- 監督:モーセン・タナバンデ
- 脚本:モーセン・タナバンデ
- 製作:エルハン・ガフォーリ、ジャリル・シャバニ
- 音楽:ヤヒヤ・セペイリ・シャキーブ
- 撮影:チュラジ・アスラニ
- 編集:カシャヤール・モハヴェディアン
- 出演:マーナズ・アフシャル、サイド・アガカニ、ハサン・プールシラズィ 他
第32回東京国際映画祭、アジアの未来部門に出品されたイランのドラマ/ミステリー映画。
イランの法律にある、50人の宣誓を集めれば判決を覆し決めることができるという法を題材に、裁判所へ向かうバスの中起こる親族のドラマを描く物語。
監督はモーセン・タナバンデ。長編2作目とのことです。
今回はイラン映画をあまり見たことがないことや、その題材、また密室劇メインの映画ということで楽しみにしていました。
上映後には監督を招いてのQ&Aセッションがありました。
あらすじ
裁判所へ向かうバス。中は多くの乗客でごった返している。
彼らは皆つながりある親族であり、これから裁判所で宣誓を行うのだ。
それは乗客のひとり、ラズィエの妹のため。
彼女は殺され、夫は殺人容疑をかけられるも無罪判決となった。
ラズィエは妹に報いるため、血族50人の宣誓を集めれば判決を覆せるという法を使うつもりでいる。
しかし、一行の旅は思いがけない方向へ進んでいく。
全編のほとんどがバスの中で展開され、その密室の中で会話を中心に織り成していきます。
まずもってその密室劇としての完成度の高さに感激しました。
誰がどのタイミングで話すかを計算しつくし、だからこそ各人物のアクションにも影響していて、バス内の前後移動やどこに座っているのかまで含めて考え抜かれています。
示すべきアイテムや注視すべき人物も、事態が動くたびにしっかりと思い返し、観客が頭を使いかつ難しすぎないように誘導してくれる。
荷物入れのところを印象付けるべく、「早く開けて」と叩いていたり、演出が細やかで巧い。
この手のプロットでは、情報の制限がとてもシビアだと思います。
情報を制限しすぎてしまうと、すべてが後だしジャンケンに感じられ、何でもありで興味を失ってしまいますから。
その点今作は台詞の端々や各人物のアクションにうまくヒントを散りばめつつ、観客のリードが上手かったです。
監督はQ&Aで、本来は厳格かつ神聖であるべき宣誓を、最近は安易に行う人々が増えていると語りました。
この作品の宣誓集めに関しても、イランでは判決操作のために偽の血族を集めるビジネスすらあるというのです。
実際に、今作で描かれるのは、宣誓への道ではなく、人が何か拠り所とするものへの信頼の崩壊であったと思います。
それはもちろん、警察に対してから始まり、軽々しいまたは利己的な宣誓する人々であり、そして何より信じていた人間に対してです。
人間は考えてみれば全て信頼で成り立っているものです。
お金を渡せばものやサービスをくれる。
そもそもその紙切れにその価値があると信じて行うわけですし。
正義に関しても、生きるということに関しても信頼しあいそれを問うことも省略された社会。
ただこのバスのなかは、結局はそれぞれに都合や真実があることを縮図のように見せています。
それが崩壊してしまったら。
真犯人が分かり正義が果たされようと、ラズィエの表情が示すようにそれは修復不可能なものなのでしょう。
であるならば、何かを誓うとき、その信頼を壊すことのないように、そして信頼がいかに重きものか理解した上で誓いましょう。
張り巡らされた伏線や密室劇の見事な台詞にカメラワーク。
一つの戒めのようなおもしろい作品でした。
感想は以上になります。
最後までよんでいただき、どうもありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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