「ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから」(2020)
- 監督:アリス・ウー
- 脚本:アリス・ウー
- 製作:アリス・ウー、アンソニー・ブレグマン、M・ブレア・ブレアード
- 製作総指揮:エリカ・マトリン、グレゴリー・ズック
- 音楽:アントン・サンコー
- 撮影:グレタ・ゾズラ
- 編集:イアン・ブラム、リー・パーシー
- 出演:リーア・ルイス、ダニエル・ディーマー、アレクシス・レミール、キャサリン・カーティン、コリン・チョウ 他
作品概要
「素顔の私を見つめて…」でレズビアンであることを保守的な家族から隠す中国系アメリカ人を描いたアリス・ウー監督が、その長編初監督作品から実に16年もの期間を空けて挑む長編第2作品目。
今回はアメリカの片田舎の高校生を主軸に、ラブレターの代筆から始まる友情と、共感や孤独、未来への道を描いていく青春映画になります。
分悪を愛する中国系移民の主人公を演じるのはTVシリーズで活躍するリーア・ルイス。そして彼女にラブレターの代筆を頼む少年を短編やTVに出ているダニエル・ディーマーが演じます。
また恋の中心になるカースト上位の女の子をアレクシス・レミール。主人公の父親役には「マトリックス リローデッド」などで注目を集めた武術下でもあるコリン・チョウが演じています。
今作は劇場公開ではなくてネットフリックスでの配信公開がされています。ほんとは映画祭ではプレミア予定があったそうですが、コロナ感染症の拡大を受けて中止になってしまったそうです。
私は監督の作品を観たことがなく、あまり知らない状態で鑑賞。というかアリス・ウー監督ってコンピューターサイエンスでMIT出てるインテリなんですね。マイクロソフトで働いていたとか。
そこから映画監督になりながら結構評価の高い作品生み出しちゃうって、本当にわからないものですね。
学園ものですがちょっとLGBTも入っていて、グレッグ・バーランティ監督の「Love、サイモン」とかオリヴィア・ワイルド監督の「ブックスマート」など最近は結構このジャンル傑作が出ていますので、いろいろ見てみようと思いました。
~あらすじ~
幼い頃に一家でアメリカに移住してきたエリー・チュウ。
高校最後の年を迎えている彼女は、学校で課題の代筆業を営み稼ぎを生活の足しにしている。
文学オタクな彼女はからかわれたりして生きているが、ある日アメフト部員ポールからラブレターの代筆を頼まれる。
手紙の相手は学校でも一番可愛く人気があり、またカーストトップの男子の彼女でもあるアスター。
しかし問題があった。
それはエリーもまたアスターに想いを寄せていること。
しかしお金に困った状況もあり、エリーはラブレターの代筆を1度だけ引き受けることに。それはもちろん、アスターに近づくため、1度では終わらなかった。
そしてアスターとの代筆交じりの手紙のやり取りをしていくうちに、エリー自身の想いも強くなりながら、アスターの抱える孤独、またポールが抱えているやりきれなさも見えてくるのだった。
感想/レビュー
アリス・ウー監督のすごく久しぶりな作品ですが、大枠としてはよくありがちな青春モノかと思いました。
不器用なオタクな主人公が、真っ直ぐではないながらも想いを寄せる人に近づいていく。
そしてギミックとしては代筆という嘘を最初から敷くことで、進んでいきながらも葛藤とスリルが生まれていきます。
もちろんポールがアホの子なのでそこには十分なコメディも盛り込まれ、その設定だけでとても楽しめる作品になっていると思いました。
独特の落ち着きと静けさ、監督の大胆な一筆
しかしこの作品が一定の青春ロマコメ以上の力を見せていると感じるのは、展開されるドラマとその幅の広さ、何より小粋なタイトルにもあるような、スタートラインに立っていく話である点だと思います。
作品全体がエリーのムードに合わせられています。不必要に明るくもなく、登場人物たちが高校生だからとはしゃぎ回ることもない。
全体を通して静かであり落ち着いている。
ここにある文学的かつ映画の古典のような心地よい重さと安らぎは、間違いなく他の同様な青春、カミングエイジジャンルの作品とは異なっています。
それこそが、この作品におけるアリス・ウー監督の”大胆な一筆”なのかもしれません。
自意識をもち自己を認識している作品ってあると思うのですが、今作はそれです。
映画自体のキャラクターみたいなものを作品自身が理解しており、それに合わせた空気を纏うことができています。
マイノリティに目を向けながら、スケールを抑え個人的な話に
エリーという主人公はいわゆるマイノリティ。
アジア系の移民でありながらまた、特にこの架空のコミュニティでありよくありがちなふさぎ込み系田舎町にては非常に生きるのが難しいクィアでもあります。
ここについても展開するための仕掛けではなくて、真剣で優しい取り扱いをしていると感じます。
ポール含めてとにかくキリスト教の力も強い町というわけで、宗教とセクシャルマイノリティのテーマも入れながら、そうした大事にしてしまうともはやエリー個人の話ではなくなりかねないため、あまり広げません。
むしろやはり、嘘をベースにした友情やアスターとの交流という点で、自分自身をさらけ出すことへの恐怖を描いています。
母亡き後に気力のない父。家を支えなくてはいけない。内外において、家庭的、社会的にも塞ぎ込んだ状況のエリー。
父とエリーが駅のそばに住んでいるのも象徴的に思えます。移動の基点。移民として、安住する街ではなくて移動を感じる場所。
主演のリーア・ルイス。個人的には頭のいい感じとかはアジア人の典型なキャラかなと思いましたが、でも彼女の葛藤は本物に見える素晴らしい演技でした。
ポールとのやり取りではあまり強い突っ込み役になりすぎない感じもリアルですし、怖いとか不安とかの感情に関して、キャラクターじゃなくて生きている人間にしっかり思えました。
ポールも自分自身のスキルと夢がありながらも(おもしろいくらいにうるさい)家族のこともあってなかなか前に進めず、そして影の存在です。
私がポールに関しての描写で良いと思うのはエリーがレズビアンであることが分かった時の反応です。「罪だ。罰を受けるよ。」そこには怒りとか嫌悪がないんです。
キリスト教徒として育ったからこそ、同性愛が罪と思う、そしてだからこそその罪を背負うことで大切な友人が苦しむと知って心を痛めているんです。
そしてアスター。彼女ははじめの登場時から周りと触れ合わずに本を読む。共感できない人ばかりが周りに集まり楽しくはないけれど、恵まれているはずの自分にわがままを言う資格はないと感じる。
共感相手はいなくて、でもこの環境でみんなのアイドル(理想)として生きるしかないのかも。
それぞれが等身大の、大人になっても難しい問題を抱えている。
度々映り込む古典作品が示唆的です。
「カサブランカ」「ヒズ・ガール・フライデー」、「ベルリン 天使の詩」。嘘の執筆、人間のあらゆるドラマ、すべて望む形ではないが残った友情。
アリス・ウー監督はオープニングのモノローグのとおりに、この作品にてエリー、ポール、アスターに安易な解決を与えません。
プラトンからの引用、「私達は片割れを探している。」。
ただ愛とか自分を満たしてくれる片割れとか、そんなものではなくてむしろ対象物ではなくてそのアプローチ自体とか、生きていく上で成長する方法自体を、この作品では描いています。
この道の先へ。一緒に歩いてくれた人がいた
何度か映るのは同じ道を走ったり歩いたりしながらも、二人のキャラクターが中央線などに分断されている構図。
彼らはみんな未来へ、自分の将来への道を進んでいる。
でもだからと言って、行き先が同じなわけではない。交わらないそれぞれの車線を走っているわけです。
それは少し切なくも、同じように道を歩く仲間がいることが確かなものだということ。
独り走る自転車は辛く、マイノリティであることに差別的な声もかかる。でも一緒にポールと歩けば、味方がいる。
アスターとはやはり結ばれるわけじゃない。二人はまた中央線を隔てて会話し、並行して歩くだけ。でもちょっとの勇気からの歩み寄りがあって、それはゴールじゃなくてスタートだって分かるんです。
タイトル通り、半分、半人前。でもこれは誰かとか何かを埋めることで完成するって意味ではないんです。
むしろ自分自身がフルになっていくには人生を先へ先へと進んでいかなくては。
アリス・ウー監督は青春物としての定石をなぞってはいながらも、確実に彼女らしくマイノリティへの優しいまなざしや落ち着きと一風変わった空気を作り出し、リアルな人物描写で物語を織りなしました。
何かのゴールを設定する青春映画が多い中で、スタートラインに立つことを見せていく。そこにはやや大人な視線も注がれて感じます。
繊細でユーモアもあって。行きつく先も風変わりだけどすごくしんみりと希望がある。とても素敵な青春映画でした。素晴らしかった。
アリス・ウー監督はまだ2作品目。今後も監督を続けてくれるとすごく楽しみではありますが果たして。
今作はネットフリックスにて配信されていますので、加入している方はぜひ。
ということで感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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