「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(2021)
- 監督:ジェーン・カンピオン
- 脚本:ジェーン・カンピオン
- 原作:トーマス・サヴェージ
- 製作:エミール・シャーマン、イアン・カニング、ロジェ・フラピエ、ジェーン・カンピオン、タニヤ・セガッチアン
- 音楽: ジョニー・グリーンウッド
- 撮影:アリ・ウェグナー
- 編集:ピーター・シベラス
- 出演:ベネディクト・カンバーバッチ、コディ・スミット=マクフィー、キルスティン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、トーマサイン・マッケンジー 他
作品概要
「ピアノ・レッスン」などで有名なニュージーランド出身のジェーン・カンピオン監督による西部劇ドラマ。
1920年代における男性性の化身のような牧場主と、その新たな家族となった女性、その息子との関係性をスリリングに描いていきます。
威圧的であるカウボーイを「ドクター・ストレンジ」などのベネディクト・カンバーバッチが演じ、彼の弟を「もう終わりにしよう。」などのジェシー・プレモンス、彼と結婚する女性を「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」などのキルスティン・ダンストが演じています。
また一人息子として「X-men ダーク・フェニックス」のコディ・スミット=マクフィーが出演。そのほか最近の「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」も記憶に新しいトーマサイン・マッケンジーも出演しています。
カンピオン監督自身が脚本を務めており、製作はNETFLIX。
今作はヴェネチア国際映画祭でコンペに出品、そこでは銀獅子賞を獲得しました。そのほかにもトロントやニューヨーク映画祭でも公開され、東京国際映画祭でも上映がありました。
この作品がすぐに配信されることも知っていたので、映画祭では観ず。ちなみに一部の劇場でも公開されていたんですけれど、都合が合わないのと劇場公開のみの作品を優先したため、今回は配信の鑑賞になります。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」NETFLIX公式サイトはこちら
~あらすじ~
1920年代のアメリカ、モンタナ州。
大規模な牧場を経営するバーバンク兄弟。弟のジョージは地味ではあるが真摯で、対照的に兄のフィルは尊大で威圧的だった。
ある時兄弟は他のカウボーイたちを引き連れて食堂を訪れ、ジョージはそこで未亡人であるローズと出会う。
心優しいジョージはローズを支えようとし、二人は親しくなるが、フィルはローズは金目当てだと嫌悪し、また彼女の連れ子であるピーターも女々しいやつだと侮蔑していた。
ジョージ一家がフィルのいる牧場へと越してきたことで、フィルからのローズとピーターに対する嫌がらせは激しくなり、ローズは特に精神的に追い込まれていった。
しかしある時、フィルとピーターが交流を始めたことでこの関係性に変化が起こり始める。
感想/レビュー
不快ながらもどこか孤独なマチズモ
ジェーン・カンピオン監督が描き出していくのは人間の特に嫌な部分というか、スリリングで不穏、不安に包まれたドラマです。
心理描写が繊細で丁寧に感じますが、とてつもなく静かでありどこへ転がるのか分からない不安さを持っていながらも、しかし確実に見る人へ牙をむき攻撃してくる作品です。
西部劇という背景を持ってはいますが、年代はもう20年代に達しており新しめです。
ここで描かれているのは旧来的な家父長制や男性優位主義、マチズモとそれを解体していこうとする姿にも思えます。一種、旧時代と新時代の折衝または衝突のようです。
まずもってフィルを演じているベネディクト・カンバーバッチですが、決してゴリゴリにマッチョで見た目がいかついとかそういうわけではないです。
ただ彼の凄いところは、そうしたルックについてではなくて、「この人は頭の中がそういう風になって固まっている。」と所作などからしっかりと感じさせることです。
またどこかに変質的な、ブロマンスの行き過ぎた感じとかまで私は感じ、気味の悪さも覚えました。
実際、女性に対するあまりに侮蔑的な態度とフィルが崇拝するブロンコ・ヘンリーの存在とをみていくと、濃厚なブロマンスというか男性が男性を愛する(性的かはおいておいて)というものも見えてきます。
しかしカンバーバッチはここにフィルの苦悩までしっかり覗かせますね。
たしかにひどい奴なので、見捨てたいし死ねばいいとも感じてしまいますが、彼自身が苦しんでいることを理解できるようになっていました。
彼も、男性らしくという呪いにかかっていると思うのです。いまさら女性と結婚できないし、また愛したブロンコ・ヘンリーもいない。孤独です。
たしかにジョージが声をかけても動かないカウボーイたちを、一声で動かせますし、口笛で犬も従う。
それでも人間としての深いつながりをもう、フィルは持つことはできない状況にあるのです。
アクションやリアクションの細部に込める不穏さ
そんな彼に精神を侵されていくローズを演じたキルスティン・ダンスト。
そして自らも嘲笑されながらも、母に寄り添い守ると誓う息子ピーターを演じるコディ・スミット=マクフィー。
彼らの苦悩という点も非常に静かながらも激烈に描かれています。
特にローズの消耗っぷりと彼女の牢獄に囚われたような気持ちはすさまじく共感できるものでした。キルスティン・ダンストはローズが押し殺されている状況を崩さずに、よく彼女の崩壊を見せていると感じます。
喋ったりできないし(メイドたちも彼女の前ではふと世間話を止める・・・)、叫んだりするわけでもなく、ただ抱え込む。洗い流すかのような酒の数。
ピーターはそんな母を見つつ、現実から目を背けるように、また母の名誉を守るように、ベッドの酒瓶をそっと隠す。
詳細、細部なんですよね。その繊細さがドラマチック。
フィルが重ねて邪魔する音色。それは支配でありまた彼が主導して狂わせることであり。
その不穏な音色を思わせる櫛をはじく音。だからローズにはそれが耳障りである。
セリフではないアクションやリアクションにかなり不安感やスリラーにも近いような怖い空気を立ち込めさせていて、油断ならない。
各部セクションのレベルの高さ
そして何よりもこの作品で主人公化のように全体のトーンを引っ張っていくのが、ジョニー・グリーンウッドによるスコアですね。
これまでも「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」なり「ビューティフル・デイ」でもその独特勝つ不穏な音色で魅了してきたのですが、今作もまあ素晴らしい楽曲ですね。
音楽こそがおそらく一番前面に出て感情を描き出しているのかと思います。
その他撮影についても雄大な西部の景色と同時に孤独を煽ったり、ここぞと空撮を入れてきて俯瞰、もしくは対象物が小さくなって逆に現状の不透明さを見せていたり。
また編集に関しても何か質問や問いかけのようなセリフを切り、重なるように答え禍のような映像に切り替わるキレがありますね。
全体にどのセクションもレベルが高かったということです。
気づけば深く突き刺されている
物語は終盤に向けての展開で、優しく心温まる友情へ転換し、分かりやすく筋道立ったように思わせます。
しかし絶えず音楽は不穏であり、拭いきれない一抹の不安とともにですこのまま衝突が和解になればと願いながら見ていくことに。
しかしふと終幕を迎えて戸惑っていると、自らに突き立てられた刃に気づき、その深さは映画を見終わってからこそ痛みとして襲ってくる。
ピーターは彼の当初からの約束を果たす。母を守れずして男ではないと。
The Power of the Dogとは
フィルの顛末からみると結局は決別と解体に行き着いたようにも思えますが、終盤の僅かな友情というものは、前述のようにマチズモの孤独をあぶり出しています。
“The Power of the Dog”犬の力というのは聖書に記された言葉。
キリストが十字架に磔にされる際に神へと向けた言葉にあります。彼を弾圧し殺そうとする民衆やローマ兵を指している言葉ですが、今作ではローズやピーターを虐げるフィルを指していると思われます。
ただ、本当にフィルを指しているのか?
私はフィルを彼自身にした概念や環境こそ、今作でこの犬の力が指しているものと感じました。
フィルはブロンコ・ヘンリーや彼を囲むマチズモの環境で育ち仕事をしてきた。
その中で男として生きる上で選んだ人格。そのせいで彼は孤独であり、淘汰されていく羽目になったわけです。
キリストは処刑されるとき、ローマ兵や民衆を糾弾しません。むしろ彼らも迷う存在であり、その罪も背負って死んだのです。
それを踏まえても、やはりジェーン・カンピオン監督はフィルもまた犬の力の犠牲者として描いたのではないかと思うのです。
代表される個人が絶対的に悪いのではなく、無知や心の牢獄ゆえの暴力があり、そういった思想が殺すのは被差別者だけではないと。
銃撃戦もない西部劇ですが、現代における思想の凶悪さとそれを持つ者に訪れる破滅に通じる作品。
カンバーバッチの高い評価もうなづけるもので、アメリカの過去から現代に通じるテーマを描くこともありこれは賞レースでもいい線にいくのでは?
劇場限定公開に行けばよかったなと今更思いますが、ネトフリの配信で観れるため、会員の方はもれなく鑑賞をお勧めできる作品でした。
というところで今回の感想は以上になります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
それではまた。
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