「ビューティフル・デイ」(2017)

  • 監督:リン・ラムジー
  • 脚本:リン・ラムジー
  • 原作:ジョナサン・エイムズ
  • 製作:パスカル・・コーシュトゥー、ローザ・アッタブ、ジェームズ・ウィルソン、レベッカ・オブライエン、リン・ラムジー
  • 製作総指揮:ジョナサン・エイムズ、ベン・ロバーツ、リジー・フランク、スー・ブルース=スミス、ローズ・ガーネット
  • 音楽:ジョニー・グリーンウッド
  • 撮影:トム・タウネンド
  • 編集:ジョー・ビニ
  • 衣装:マウゴシャ・トゥルジャンスカ
  • 美術:ティム・グライムス
  • 出演:ホアキン・フェニックス、エカテリーナ・サムソノフ、ジュディス・ロバーツ、ジョン・ドーマン 他

「少年は残酷な弓を射る」(2011)のリン・ラムジー監督が、久しぶりにメガホンを取った作品。

「Her/世界でひとつの彼女」(2013)「インヒアレント・ヴァイス」(2014)のホアキン・フェニックスが主演を務めます。

原作はジョナサン・エイムズの同名小説となっており、ラムジー監督自ら脚色し脚本を手掛けているようです。

また「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007)でも素晴らしいスコアを生み出したジョニー・グリーンウッドが音楽を手掛けていますよ。

カンヌ映画祭においては、パルム・ドールは逃しましたけども、ホアキンが主演男優賞そしてラムジー監督は脚本賞を受賞しております。

メインビジュアルや予告からかなり楽しみにしていた作品でしたが、公開日には観に行けず翌週に鑑賞。朝一だったので人は少なかったです。

元軍人の男は、誘拐された少女を秘密裏に連れ戻すという仕事を請け負っていた。

ある日、彼の元にまた依頼が舞い込む。選挙を控えた上院議員の、消えた娘を探し出すのだ。ニーナと言う少女は、子供が人身売買されているエリアにいるという。

少女を引き渡すホテルの場所を伝えると、男はハンマーを手に、少女たちが買われている場所へと向かった。

元軍人が人身売買系の誘拐事件に巻き込まれた少女を救い出す、そのプロット自体は何度となく繰り返されてきました。

しかし、リン・ラムジー監督が描き出したのは、そのプロットの展開ではなく、主人公の内面と彼がみる彼を取り巻く世界であり、その描き方は、これ以上なく映画的です。

ひとつ話す言葉という言語を抑制し、むしろ映像という言語にすべて語らせていくという手法は、純粋な映画体験として素晴らしいものでした。

それによって、観る人次第では説明のない難解な作品であるように思えるかもしれませんが、観たままから感じることを素直に受け止めると、けっこうストレートな作品であったと思います。

では描き方における映画言語とはどんなものだったかといえば、画面で展開されること、映し出されるもの、わずかな表情や完璧なスコアです。

まあいってしまえば映像を観る上での全ての要素です。だからセリフだけに集中しては意味がないのかなと思います。

そもそもホアキン・フェニックス演じるジョーは彼自身に極端にセリフがありません。必要な時にのみしゃべるだけですね。

そして彼の感情はホアキン・フェニックスの圧巻の演技によって伝えられ、彼の背景はフラッシュバックの多用によって見せられていきます。

その挿入される映像に彼は恐れおののき、それが過去からずっと彼に亡霊のようにとりついた記憶なのだと分かります。

父とハンマーの記憶、開いたドアと少女たちの遺体。

そこにさらに、独特に切り出される暴力シーン。

監視カメラ固定視点の映像に、天井に置かれた鏡の反射。間接的な見せ方をしていて、それはこちら側との距離をおきながら、こちらは何もできない感覚を強めていると思いました。ただ事は起こり人は死ぬ。

実際、直接の暴力シーンはすごく少く、逆にすでに起きてしまった暴力の跡を映し出すことが多い作品で、ジョーも感じているであろう無力さをこちらも観て感じ取れるのですね。

オープニングすぐに、裏口から路地への階段を上がるとき、ネズミの複数の死骸が転がっていて、ジョーは一瞥をくれるのですが、あれもひとつ既に起きてしまったことであり、また彼の中で救えなかったあの人身売買されてしまった少女たちを思い起こすのかもしれません。

細かなディテールはその他に、テレビで「ショーシャンクの空に」がやっていて、ティム・ロビンスが海についてのセリフを言っているシーンが流れます。

「海には記憶がない」

記憶に囚われた男であるジョーにとっては、逃避のような意味合いが汲み取れますね。非常に細部まで、画面に起きていることが声をあげているなぁと感激しました。

また、音楽も非常に重要な役割を果たしています。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」でも素晴らしい音楽を作り出したジョニー・グリーンウッドのスコアは、物の音というか擦れたりぶつかったりするようなものもあり、幻想的かつ恐ろしいものでした。

どこか歪な音楽は、主人公の把握しきれない残酷で醜い世界と、主人公の壊れた魂がさ迷いきしむ音を表すようでした。

特に”Dark Street”に感じられますけど、レフン監督の「ドライヴ」的なテクノっぽいスコアもあったりと、個人的にはかなりはまった音楽でした。

今作のサントラは今年のベストに入るのではないでしょうか。

過去に受けた暴力。そのハンマーの記憶を背負ったままジョーは生きてきました。そして救えなかった少女たちの亡骸も全て背負って生きてきたのでしょう。

止められない暴力を観客も体験することで、ジョーの人生が想像されます。過酷すぎる生であると。

何度も自分を窒息させ、ナイフを突き立てる自傷、死への傾き。

父と同じくハンマーを選び、少女たちの救助を行うジョーは、救われなかった自分と救えなかった少女たちを、その事実は変えられないものの、なんとか癒し、魂の救済を求めているようでした。

母を父から守れず、そして今回も守れなかったジョー。沈み行く彼をもう少し生きようとさせたのが、ニーナの存在でしたね。

彼女もおそらくこの映画が始まるよりも前から、餌食になっていたと思われますが、壊れた魂同士が共鳴し最後には互いを生かすことになるのは、非常に切なくも美しい。

ニーナを最初に救い出したのはジョーですが、結局ニーナは自分の力で脱出しますから、やはりニーナのよってジョーが救われたのでしょう。

ジョーは母も少女たちも、そしてニーナも救ってはいなかった。

ラストシーン。

少年ジョーはやっと死ぬことができ、そこからジョーという男が人生を歩み始めるように思えましたが、解釈の幅は無限です。

“You were never really here”

「お前は本当はここにはいなかった」

タイトルはまるで、助け出された少女に対して投げ掛ける言葉のようで、同時に少年の頃から人生が壊れ、世界を生きてこなかったジョーを表すようでもあります。

ずっとこの世界に居場所を見つけられず、浮いていた男。

彼がニーナという天使によって救い出され、生を受けたのか。それとも、何事もなくつづくレストランの会話と空の席を写すショットは、男と少女なんてもともと存在すらしなかったというのか。

オープニングで痕跡を消すジョー。水のみ場でふと少女の視線をとらえ、カットが変わると誰もいない。

いやあ深みがあっておもしろい。

音楽、撮影、演技、そしてそれらが全て統合されて完成された、一つの映像言語。

リン・ラムジー監督は独自の世界と描き方をしつつも、映画の根本的なおもしろさをフルに押し出した傑作を作り上げていると思います。

思い起こされ、想像させられる。体中の傷、顔を覆う行為、繰り返されるフラッシュバック。

ただ映し出される世界に放り込まれて、壊れた魂を持っていきる男に寄り添う。その体験こそ映画であり、私は拍手を送りたい。

素晴らしい映画です。あまり公開規模は大きくないかもしれませんが、是非劇場で観てほしい作品でした。

レビューはここまで。上半期ももうすぐ終わりですけど、年間のベストを悩ませる作品が多くて大変な2018年ですね。

それでは。

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