「PASSING -白い黒人-」(2021)
作品概要
- 監督:レベッカ・ホール
- 脚本:レベッカ・ホール
- 原作:ネラ・ラーセン
- 製作:レベッカ・ホール、フォレスト・ウィテカー、ニナ・ヤン・ボンジョヴィ、マーゴット・ハンド
- 音楽:デヴ・ハインズ
- 撮影:エドゥアルド・グラウ
- 編集:サビーヌ・ホフマン
- 出演:テッサ・トンプソン、ルース・ネッガ、アレクサンダー・スカルスガルド、アンドレ・ホランド、ビル・キャンプ 他
「ワンダー・ウーマンとマーストン教授の秘密」や「ゴジラvsコング」など俳優として活躍しているレベッカ・ホールが、自身の出自や家族の歴史を絡めつつ初の監督デビューを飾った作品。
原作とするのはネラ・ラーセンが1929年に出した同名小説で、20年代のニューヨークを舞台に白人として生きる黒人と、黒人コミュニティに生きる黒人、二人の女性の友情と社会をテーマにしたドラマになっています。
主演は「クリード 炎の宿敵」や「マイティ・ソー バトルロイヤル」などのテッサ・トンプソン。
また「ラビング 愛という名前のふたり」のルース・ネッガが、白人社会に生きる黒人女性を演じています。
今作はレベッカ・ホール監督の初監督作品ですが、彼女にとっても個人的な歴史の絡んだ題材になっているそうです。
NETFLIX製作の作品で、配信開始は知っていましたが当時すぐには観ませんでした。年を超えたあたりでBAFTAだったりいろいろな賞レースでルース・ネッガ、テッサ・トンプソン、レベッカ・ホール監督、また作品がノミネートを果たしていることで興味がわき配信を鑑賞。
一部のネトフリ映画って劇場で限定公開してくれるんですが、今作はとくに上映はなかったようです。
「PASSING -白い黒人-」NETFLIX公式サイトはこちら
~あらすじ~
1920年代のニューヨーク。
アイリーン・レッドフォードは白人のふりができるような肌色であったため、普通ならば黒人が入店拒否されるような店で買い物をしていた。
こうした白人のふりは”パッシング”と呼ばれているが、アイリーンは同じくパッシングをしている女性とカフェで出会う。
そのパッシングをしている黒人女性クレア・ケンドリーはアイリーンの高校時代の友人で、いまは白人の夫を持ち裕福な生活を送っていた。
アイリーンはクレアのとったリスクに恐怖する。人種差別の根強い社会で、ここまで大胆なことをすることは命の危険さえあるからだ。
しかし、クレアはありのままで楽しく過ごせるアイリーンの住む黒人社会に親しみを持ち、たびたびアイリーンの住むハーレムを訪れるようになった。
そして、アイリーンの夫や息子たちは、白人として生き、奔放で自由あるクレアに魅了されていく。
感想/レビュー
アメリカにおけるパッシング、ワンドロップルール
今作を語るうえで、アメリカにおける白人と非白人の在り方については少しふれておきます。
今作でクレアを演じているルース・ネッガ。彼女は実はこうした白人のような黒人という役柄を以前にも演じていますね。
それはジェフ・ニコルズ監督の「ラビング 愛という名前のふたり」です。
アメリカではワンドロップルールというものが存在していました。
たった一滴であっても、黒人の血が混じっている者は白人ではなく黒人として扱われるというものです。
白人の純潔性を強めそれ以外を差別するものですが、今作はそのワンドロップであればアウトである女性が、肌の色合いとして通用するので白人として偽って生きたという事実をドラマにしています。
つまりこの社会には、白人かそうでないかしかないのです。
白人と黒人両方の血を継いでいれば、その肌の色には変化が出ますが、中間や割合だとかは一切見ない。ただ白人か否かというはっきりとした白黒の世界なのです。
だからこそこの作品はモノクロで撮影されているのでしょう。
世界そのものは白と黒で構成されているのですから。
グレーでありグラデーションのある人物
ただし、レベッカ・ホール監督は単純にこの世界を白黒で描きたかったのではないと思います。
なぜならこの作品は彼女にとっても個人的であるからですね。
レベッカ・ホールは(私もずっとそう思っていたのですが)白人に見えます。
ただ、彼女の家系、家族の歴史を探っていくと、実はおじいさんがオランダ系とアフリカ系、ネイティブアメリカン系のバックグラウンドを持つ方だったそうです。
つまり、ワンドロップでいえばレベッカ・ホールは黒人または少なくとも非白人ということになるわけです。
ただし、そんな単純な色分けをすべきということはない。
だから彼女は、この作品をモノクロでありながらもグレーやグラデーションの豊かな美しい作品に仕上げたのだと思うのです。
人物に光が当たり映るカラーは、やたらと真っ白だとか真っ黒ということはありません。
テッサ・トンプソン演じるアイリーンも、ルース・ネッガが演じているクレアも、それぞれがそれぞれにこのモノクロの映像の中で美しく見えます。
白いから、黒いからではなく、あくまで彼女たちそれぞれに一番合うグラデーションがある。
今作のフォーカスはパッシングによって黒人または白人かという部分ではなく、”白人のふりをしているという黒人そのもの”に当てられている気がします。
4:3の画面構成は焦点を中心にいるアイリーンに置きます。
左右余白が少なく、若干上下のフォーカスの緩い画面。集中しつつも明確に見れていない。
ここもまたハッキリとしないグラデーションなのかなと思います。
アイリーンの心情としても、ハッキリと何が良いとか悪いとかはわからないのでしょう。
人物の心情は音楽によっても大いに語られます。
人物それぞれにメロディがありますが、その変調から感情が描かれていましたね。
映画史においての変化
パッシングの映画としては古く、エリア・カザン監督による「ピンキー」があります。
あちらでは主人公パット(パトリシア)を中心に、黒人であるか白人であるかを選択することを描きます。(ただし主人公はジーン・クレインが演じていて白人すぎる俳優かもしれません)
その点と比較したとして、レベッカ・ホール監督はより当事者たちの視点から語ります。俳優の選定についても同様ですね。
ここはクィアをヘテロが演じたりすることが、クィアはクィアの俳優が演じるような変化に似ているのかなと思います。
選択のもつ危険さ
そして、自認を描いた過去と異なり、ここでは選択をすでにした二人の黒人女性の葛藤と衝突がある。
クレアの住む世界とは白い光と吹き抜けの空間に包まれており、対するアイリーンの周りはトーンを落とし物が多くてレイヤーも多い。
クレアは言います。彼女の父が亡くなり、白人社会の叔母に育てられたと。
そして娘を一人もうけたが、次は試さない。それは次に生まれる息子が”darker”だったときのリスクがあまりに大きいからだと。
このクレアとアイリーンのはじめの方での会話だけで、パッシングする黒人の危険性と苦痛が見て取れます。
クレア自身は自らパッシングを選択したのではないのかもしれません。
環境から白人社会に生き、そして周囲の社会から白人と思われた。
ただしクレアの毎日には危険が潜む。その緊張感は強烈な白い光として逃げ場なく彼女に照射されています。
隙を少しでも見せれば、黒い影を落とせば存在を否定される。
ルース・ネッガはこのクレアの破滅性をやや怖く演じていました。
あまりにリスクの高すぎるパッシングに、自暴自棄にすら見える。
クレアにはアイリーンに対する羨望もまた愛情や執着すら見えました。
その危険性が自身のコミュニティ、家庭に入ってくることがアイリーンにとっては恐ろしい。
ただ同時に夫と同じくクレアに惹かれていく様もテッサ・トンプソンは巧みに出しています。
白人でいることで享受できる利権に厳しい意見を唱えつつも、自由にダンスを踊るクレアから目を離さない。
クレアとアイリーンが一緒にいることは互いにリスクですが、不思議と二人の愛情のようなものを感じました。
まっすぐ向かってくるクレアに対して、アイリーンは逃げてしまいます。
今作で唯一アイリーンが素直になる、非常にリラックスしている相手が、ビル・キャンプ演じるヒューだと思います。
それはヒューの秘密をアイリーンが知っていることも背景にありますね。
誰もがパッシングをしているグレーな世界
印象的なセリフはダンスパーティーでの「誰もが何かのふりを(パッシング)している。」というもの。
ヒューはゲイでありながらそれを隠し生きている。
クレアは白人のふりを。
そしてアイリーンも、良き母や良き妻という役目をパッシングしている。
上品で優しくおとなしい女性として振る舞いつつ、ヒューの前での彼女は良い感じに皮肉を効かせ刺激があり楽しい女性です。
さらにいうと、クレアに対する反応から彼女はバイセクシャルかとも思わせてきます。それもまた彼女の本当の自分の露呈への危険を強めたのでしょうか。
これが今作をアメリカにおける人種の問題を超えて普遍的な人間の観察にしているところ。
どんな人もありのままで生きていくことが難しい。
白人と黒人、パッシングの歴史の物語であると思います。ただそうして片づけて今うにはあまりにも複雑に、人種やセクシュアリティ、差別が入り混じります。
パッシングが成立するならば、人種に何の意味があるのか。
その個人の人種がこうして周囲にとって構成され定義されるのであれば、そもそも人種による差別が意味をなさず、なくしていけるのかもしれません。
悲劇的な結末へと向かう作品ですが、少なくともこのドラマ、あまりに切ない友情を通して、この世界を見る目が変わるかと思います。
見つめている世界ははっきりせず、白黒に区別されているのではないと。
個人的な1度きりの挑戦なのか、新たなアクターズダイレクターの才能の開花かはわかりませんが、レベッカ・ホール監督の素晴らしい初監督デビューになったと思います。
彼女の選択と、そしてそれにこたえる撮影や音楽、主演のテッサ・トンプソン、ルース・ネッガが光る作品でした。
NETFLIX加入されている方は是非ご覧ください。
というところで今回は以上。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。
ではまた。
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