「ソフト/クワイエット」(2022)
作品概要
- 監督:ベス・デ・アラウージョ
- 脚本 ベス・デ・アラウージョ
- 製作:ジョシュ・ピーターズ、サバ・ゼレヒ、ジョシュア・ベアーン=ゴールデン、ベス・デ・アウラージョ
- 製作総指揮:ロビーナ・リッチティエッロ、ジェイソン・ブラム、ベアトリス・セケイラ
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音楽:マイルス・ロス
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撮影:グレタ・ゾズラ
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編集:リンゼイ・アームストロング
- 出演:ステファニー・エステス、オリヴィア・ルッカルディ、ダナ・ミリキャン、メリッサ・パウロ、エレノア・ピエンタ、シシー・リー、ジョン・ビーヴァーズ 他
人種差別や同性愛者への憎悪から生まれるヘイトクライム。アメリカ社会で問題になっているその問題を、ごく普通の女性たちの集会とそこからエスカレートしていく自体を通して描く作品。
全体をワンカット構成で作り上げたサスペンスフルな作品を、これまで短編を手掛け、今作で初の長編監督を務めることになったベス・デ・アラウージョ監督が送り出します。
出演には監督の過去作でも組んだステファニー・エステスや、「イット・フォローズ」のオリヴィア・ルッカルディ、「足跡はかき消して」などのダナ・ミリキャンらが出演します。
ジェイソン・ブラムのブラムハウスが製作となり、ジャンルホラーではないものの、また社会的な側面を強く持ったホラー映画と言っていい作品となりました。
大々的な作品ではなくインディ系なのですが、シネコンで公開されるとのことでついでに観たいと気になっていました。
公開週末に早速行ってきましたが、おもったよりも人は入っていました。といっても年齢層高めではあり、若い人は見かけなかったのですが。
~あらすじ~
幼稚園に勤めるエミリーは、「アーリア人団結をめざす娘たち」という白人至上主義のグループを結成し、教会で集会を始めた。
そこにはいわゆる普通の女性たちがあつまっているが、それぞれが職場や社会における人種統合や多様性を批判し、静かにしかし着実にこの”過ち”を正そうと話し込んでいた。
しかし、エミリーは神父に今すぐ出て行くように言われ、場所を自分の家に変えようと提案。
エミリーを含めた4人が家での見直すことにし、ワインを調達するためにメンバーのキムが営む店へ行くことに。
そこで店が開いていると勘違いしたアジア系女性二人が入ってきたことから事態は悪い方向へ。
騒ぎに発展した口げんかの後、怒りの収まらないエミリーたちはそのアジア系女性アンの家に行って”教育”しようと車を走らせたのだった。
感想/レビュー
この作品は終始居心地が悪い。
それはもちろんそう感じるべく設計されているからであり、その居心地の悪さや胸糞悪さを存分に味わい続けることを機能としています。
もしも仮に少しでもエミリーらに共感したり、楽しんでしまうことがあればそれは注意が必要なのだと個人的には思います。
自分は最悪の気分でした。
ワンカット(少なくとも編集しつつそのように見せている)での構成は、最終局面の視認性の悪さを覗けば、この最悪のライドに同乗することと、そしてともすれば共犯関係にさせられるという効果も持っています。
4テイクほどリハをして完成したというすさまじい努力とプロ根性をたたえつつ、選択としてこの手法は成功しているのではないでしょうか。
自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪
今作は、何にしても悪が自分を悪と認識していないことが最悪です。(ジョジョの奇妙な冒険に出てくるウェザーが言う「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」なのです)
エミリーたちは終始、自分たちが絶対的に優れていると根底で思い込んでおり、そして彼女たちにとっての正義がそこにあると思っている。
悪いことと知っていて言う、やる、のであれば悪人ですが、自分たちが正しく善い人間だと思っている悪人ほど質の悪いものはありません。
「なんで私たちがこんな目に合わなきゃいけないの・・・」と被害者面までしてみせる彼女たちの態度には、吐き気がします。
エミリーたちにとってハーケンクロイツは子どもに見せてもいい、パイに冗談で彫り込んで言いシンボルであり、ナチス式敬礼もまるで女学生が先生の目を盗んでふざけてやっているような軽さです。
このクズどもが。
腐りきった危険な女性たちが、終始”可哀そうな私”のために涙する様は、吐き気を催す邪悪そのものです。
しかしアラウージョ監督が鋭く切り込んだのは、彼女たちがエスカレートしその差別意識と残虐さ、醜悪さが表面化していく後半ではないと思います。
むしろ、この作品はOPがすごく重要に感じました。
普段からそこに、物腰柔らかに、静かに存在する
幼稚園の先生として働くエミリーが、迎えの遅くなった親を待つ少年と過ごすシーン。
トイレから出る際にも一瞥をくれていた清掃員に対して、少年に言わせること。
”身を守るために立ち上がる”などと綺麗事を並べて、実際には上下関係や差別意識の刷り込みをしている。
重要なのは、エミリー本人が表立っていないこと。
彼女はただ単に少年にささやくだけなのです。
表面化しないところに潜んでいるからこそ恐ろしく、そしてこうした人生の初めの段階にある教育制度に、エミリーのような人物がいることがおぞましい。
白人の男性が騒ぎ主張することが映画のメインストリームを埋め尽くす中で、この非常に危険なしかし確実にそこにいるものへカメラを向けたことが、功績として大きいです。
社会システム自体に差別が入り込んでいることを、そしてそれがエスカレートしていく様を、最低最悪な共犯関係で巻き込み体感させる良作でした。
監督や俳優陣はどうしても日本での知名度もなく、作品は埋もれがちですが、ぜひ鑑賞を勧めたい1本です。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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