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「マンハッタン無宿」”Coogan’s Bluff”(1968)

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映画レビュー
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「マンハッタン無宿」(1968)

  • 監督:ドン・シーゲル
  • 脚本:ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン
  • 製作:ドン・シーゲル
  • 製作総指揮:リチャード・E・ライアンズ
  • 音楽:ラロ・シフリン
  • 撮影:バド・サッカリー
  • 編集:サム・E・ワックスマン
  • 衣装:ヘレン・コルヴィグ
  • 出演:クリント・イーストウッド、スーザン・クラーク、リー・J・コッブ 他

後々に師弟関係となり様々な映画を撮っていったドン・シーゲル監督と、俳優クリント・イーストウッドコンビ。彼らが初めてタッグを組んだのが、こちらの作品になります。

マカロニ3部を抜け、「奴らを高く吊るせ!」(1968)でアメリカ映画でも活躍を始めたイーストウッドがここにきて都会で活躍するのです。

署の警部には名優リー・J・コッブが出演してまして、今考えると豪華なショットになっていますね。

アリゾナで保安官助手をしているクーガンは地元で一匹狼で知られる男だった。

そんな彼がある日、凶悪犯リンガーマンの身柄引き渡しの任務を任され、一人ニューヨークへと向かうのだった。

だが、犯人は精神異常ゆえに入院しており、退院許可が出なければ引き渡しはできないという。いらだつクーガンは自己流でリンガーマンを病院から連れ出すのだったが、彼の仲間に襲われ逃がしてしまう。

クーガンは責任問題として任務から外されてしまうのだが、一般人の身のまま、自分でリンガーマンを追跡する。

有名なことですが、この監督と俳優コンビの一番光る作品は「ダーティハリー」(1971)なわけです。

あちらが完成形であるとすれば、今作は源流そしてまさしくドン・シーゲルとイーストウッドが混ざり合うその瞬間のような作品になっています。

シーゲル監督の乾いたバイオレンス描写はしっかり感じられると同時に、イーストウッドが運んでくるマカロニの風も感じます。

抑揚を付けずに展開させる襲撃や殴り合いはやはり陰惨さを持ってはいますね。殴りかかる顔のアップを多用したり、女だろうが容赦なく投げ飛ばすのは印象深い。

それにイーストウッドの立ち回り方はまさに名無しのガンマンのようですね。完全なるアウトサイダー。都会におけるカウボーイと揶揄されるのです。

暴力に盛り上げはなく、主人公がしていく行為に関しては一定の距離を置くような作りです。

アリゾナのカウボーイのやり方としても、一般市民としても、クーガンが行う行為にヒロイックな印象を与えません。確実にハリー・キャラハンへと通じていく部分です。

ただ今作品にては、ハードコアになりすぎないような要素もちりばめられています。もしかすると、今作の方がハリー刑事の物語より観やすいかもしれませんね。

田舎の刑事が主役という事もあり、カルチャーギャップコメディな部分も多くあり、またそこかしこに笑える要素が入っています。ロマンス要素も入ってますね。

確実に素質を持った二人が出会ったその瞬間を感じる映画。

社会正義、自警。都市という文明化された社会で起きている、犯罪者が法をすり抜ける現状。そこに田舎者の保安官を使い、為すべきことを為させる。

今作ではまだユーモアと人情が感じられますが、本質的にやりたいことはハードな社会派映画なのでしょう。

淡々としてドライなラストのチェイスなどを観ていると、アンチヒーローの兆しが見て取れますね。

融通の利かない、枷にしかなっていない法機関に、悪なのは観て分かるにもかかわらず、刑務所でなく病院に送られる。

クーガンは確かに精錬された都市の法には全く合わない一匹狼ですが、愚直と言っていいほどの正義感で突っ走る。そして彼は一般市民として悪人を逮捕する。その瞬間に、市民が何を求めているのかが込められている気がします。

最後はアリゾナと呼んでくれる警部にすこしほっこりする終わり方。芯の部分にアンチヒーローの芽生えを感じさせつつ、ちょっとしたユーモアで包んでいる作品です。

というところで感想はおしまいです。さらっとしたレビューです。それでは。

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