「ヘイト・ユー・ギブ」(2018)
作品概要
- 監督:ジョージ・ティルマン・ジュニア
- 脚本:オードリー・ウェルズ、ティナ・マービー
- 原作:アンジー・トーマス『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』
- 製作:ジョージ・ティルマン・ジュニア、ウィク・ゴッドフリー、マーティ・ボーウェン、ロバート・テイテル
- 音楽:ダスティン・オハローラン
- 撮影:ミハイ・マラメイア・Jr
- 編集:アレックス・ブラット、クレイグ・ヘイズ
- プロダクションデザイン:ウィリアム・アーノルド
- 衣装:フランク・L・フレミング
- 出演:アマンドラ・ステンバーグ、ラッセル・ホンズビー、レジーナ・ホール、アルジー・スミス、ラマール・ジョンソン、コモン、アンソニー・マッキー 他
「ソウル・フード」などのジョージ・ティルマン・ジュニア監督が、アンジー・トーマスの同名小説を映画化した作品。
主演には「エブリシング」(2017)のアマンドラ・ステンバーグ。
その他「クリード 炎の宿敵」のラッセル・ホンズビー、レジーナ・ホール、コモン、アベンジャーズシリーズのファルコンを演じるアンソニー・マッキーが出演。
トロントでプレミアの後秋ごろに北米公開、批評家、観客共に高評価を得ている作品です。
日本での劇場公開はせず、2019.3.13よりデジタル配信ということです。
私の環境的にデジタル配信が見れないのと、早めに見たかった+安かったので海外版ソフトを輸入しての鑑賞です。
~あらすじ~
16歳の高校生スターは、自身の済むガーデン・ハイツから離れたところにある私立高校に通っていた。
というのも、ガーデン・ハイツは低所得者の多い地域であり、麻薬売買や銃撃事件が多発し、スターの周りで起こったある事件から、裕福な白人たちの通う高校へと移ったからだ。
そんなある時、誘われて行ったパーティで、幼馴染で疎遠だったカリルに再会し、彼に家まで送ってもらうことになる。
しかし、途中で警官に止められ、カリルはただ車からヘアブラシを取ろうとしただけだが、それを武器と誤認した警官はカリルを銃殺してしまった。
感想/レビュー
この作品は社会性の強いテーマを扱ったものではありますけれど、映画としてはティーン向け、ヤングアダルトと言われる部類に入ると思いました。
原作小説自体があまりびっしりした小説ではなくて、やや軽めで、カテゴリーもTeen&Youngに入っています。
作品内には大人たちも出てはきますけれど、そこへは主人公を踏み込ませず、というか絶えず十代の目線から彼らが生きる今を映し出し、そして保護者たる大人たちの欺瞞にも踏み込ませていきます。
そういう意味では、まさに高校生とかに見てほしい作品ですし、学生はじめ若い世代が生きている”今”をこのように力強く希望をもって映し出したということ自体がとても素晴らしいことだと感じました。
今のアメリカにおける10代は、クラブや恋愛、試験などはもちろんですけれど、それ以上にこうした社会と向き合っている。
この作品は、まだ幼いスター、セブン、そしてセカニに対して、父が警察に止められた時にどうすればいいのかを教えているという強烈なシーンで始まります。
アタマのおかしな親父かと思えば、これこそがまさにカリルが銃殺されるシーンでの重要なキーとなっており、そしてこんな風に生き抜くすべを教わらなければいけない環境なんだという残酷さが刺さってくるシーンでもあります。
スターが二重生活を送るのも、そのせいです。
撃たれないように高校を選ぶなんて、こんな悲しいことはないですよ。
私は身の安全を基準にどの高校に行くか考えなければいけなかったことはありません。
常にスターの視点に置かれた今作は彼女の葛藤をメインに描き出します。
二つのペルソナを抱えていく上で、両方に属するがゆえにどちらにも属さない感覚。
正直海外評でも言われている通り、この作品アマンドラ・スタンバーグのおかげで輝いています。
周りからの期待と、騒動の渦中に立つ怖さ、そしてセンセーショナルな友人たちに対するいら立ち。
それぞれの複雑な要素は、スターが生み出したものではありません。
ただ、彼女が生まれたときから存在する確執や問題が、彼女の人生から奪い続けるのです。
友人や恋人は白人社会に、しかし家族もカリルも黒人社会にいます。
その板挟みに苦しみ、どちらかにつけば、どちらかからはもう以前と同じには扱ってもらえない怖さ。
アマンドラは絶妙に幼い、同時に大人の片鱗を感じるバランスでスターを演じてみせています。
“Black Lives Matter”の運動もやまず、劇中でもそうであるように、彼らの学校生活もその渦中にありますが、果たしてそのアプローチが正しいのか。
イベントごとのようになってしまい怒りを覚えたのはスターと同じです。
人の、若者の、何より大切な幼馴染の死である。
当事者からして、本当に戦おうとせず楽しんだり自分の主張や暴力性を表に出す機会として利用されるのは、やっぱりかなり腹が立ちますね。
ただ同時に、スターたちに寄り添わされたことで、普段私たちが立っている側を見ることができました。
日本で同運動や衝突をニュースで見る中で、果たしてスターに嫌悪されない人たちであるか?
私はやはり偽善的で、気づかぬ差別を持ったままの人間かもしれないなと感じました。
こうした視点は恥ずかしながら自分になかったもので、この作品によって一つ世界のとらえ方を学んだと思います。
世代に若干の違いはあれど、子どものころから経済危機が騒がれ、リーマンショック、テロ、ナショナリズムの台頭や止まない差別と偏見、海外から聞こえる警官の暴力と、日本国内で散見される女性蔑視と性暴力。
いま日本の十代はどう感じているのか。
私のような少し上の世代からヘイトを受け継いだせいで、Little Infants F Everybodyになっているのかもしれません。
スターが16歳にして2回も友人の葬式に出たことがあるのは、彼女が悪いわけではありません。
彼女の環境を形作った上の世代が、彼らの持っていた憎しみ、軋轢をそのままにしていたからです。
スターはまだ少女ですが、セカニが銃を持つという決定的な瞬間に、勇気を出し継承を止めることを選びました。
自分のコミュニティをより良いものにしていくことを選んだのです。
この作品はティーンの世代の今を真摯に描き出し、多くの10代に寄り添っています。
ただ、同時にこの作品は若い世代の叫びの代理人でもあると思います。
これを観た大人たちが、少年少女たちの観ている現実を同じく見つめて、社会を変えなければいけないのです。
手厳しい質問をぶつけるスターには、何度も考えさせられる作品でした。おススメです。
配信がはじまったら是非見てほしい作品でした。
感想はこのくらいです。それでは、また。
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